まいど通信


        

まいど!まいど通信編集長の田中です。警告します。もしあなたが本日、たった今画面にアップされたばかりのこの月刊まいど屋を読んでいるのなら問題はないのですが、仮に何かの事情で後日ここに来ているとするならば、いささか面倒を抱えることになるかもしれません。もちろん、それに対してまいど屋は多少同情の表情を作ったりはしてみせますが、それは社会生活を営む上で必要とされるポーズとしての同情なのであって、真剣になって具体的なアフターケアをしようなどという気はさらさら持っておりません。あなたを悩ます問題は基本的にあなたの問題であって、まいど屋の問題ではないのです。月刊まいど屋は毎月1日に公開される。記事はそのスケジュールに合わせて書かれている。昨日の新聞のテレビ欄を振りかざして、俺の楽しみにしていた番組をやってないじゃないかと局に抗議の電話をしたところで、お気の毒ですがと言われるのがオチなのです。
もちろん、よく訓練された視聴者相談センターのオペレーターなら、そうしたクレーマーめいた人物からの怪電話でも、まずは辛抱強く話を聞こうとするでしょう。あなたを刺激しないように言葉を選び、そして最後はあなたが自らに非があったと悟るよう、専門の心理学者によって作られたマニュアルにあるケースBのページを開き、その中で最も適切な対処法と思われるシナリオCに沿って話を進めていくはずです。しかし残念ながらまいど屋にはそういったマニュアルはまだ整備されていませんから、本日あなたが目にしているこの文章が、田舎の乾物屋の店番をしているおばちゃんみたいに、自分自身の内側さえ天日干しで道端にさらけ出しているような、身も蓋もない言い方になっているとしても仕方がないことなのです。もしあなたがそう感じ、まいど屋に対する怒りをますます燃え上がらせるような状況に陥りましたら、どうかのどかな田舎の、他意も害もないあのおばちゃんのことを思い出し、まいど屋だから仕方がないかと冷静になっていただければと思います。
さて、先ほどまいど屋は、あなたは場合によっては問題に直面するかもしれないと言いました。そう、まいど屋の危惧が現実のものになるとするならば、それは今まだ頭上高く輝いている太陽が地平線の下に沈み、時計の針が真夜中の12時を回った直後からあなたを悩ませ始めることになるはずです。本日4月1日、世の中を飛び交うすべてのステートメントに嘘であることを強要するエープリルフールの世界的合意が失効したとたん、フェイクが我が物顔で紙面を占拠した月刊まいど屋は、だって今日は4月1日だからという水戸黄門の印籠的魔法の後ろ盾を失って、あたかもあの超大国の報道官が強弁する「もう一つの真実」的な物語へと変質してしまう恐れがあるのです。そしてあなたはレポートで語られた話のどれが本当で、どれが全くのフェイクであるのか、見分けもつかないままにその混沌の荒野に置き去りにされてしまうかもしれない。
今月号のレポートのどの部分に周到に仕組まれた作為が紛れ込んでいるのかはここでは言いません。だって、今はまだ4月1日で、まいど屋は今日いっぱい嘘をつき通さなきゃいけないんですから。ただ、迷い人になってしまったあなたのために、気休めの羅針盤代わりになりそうな真実をひとつだけ残しておきます。---全てのニュースは一面においてフェイクである---賢明であろうと涙ぐましい努力を惜しまない読者のあなたは、どうか表現の枝葉末節に拘泥してその背後に控える本質を見失わないでください。今月号の月刊まいど屋は、そうした態度で読むべき怪文書、いや迫真のルポタージュなのです。

今月のテーマは編集長殺し
すみません。別にパクったわけではありません。いや、もちろんパクっているんだけど、相手はまいど屋など相手にするはずのない世界的大物ですから、特集期間中の1か月ほどそいつを遠慮なく拝借したところでバチは当たらないじゃないですか。それに実際のところ、こっちは本当に殺されかけているんだから、事実を正確に描写するために使った言葉がたまたまアレと同じだったと言い訳することだってできるわけです。レポート本文をお読みになった方にはお分かりいただけるかと思いますが、編集部は言いがかりをつけてきた不良グループに小突き回されるような散々な目に遭った末、それにまつわるコトの顛末をこうして皆さんにお伝えしようとしているだけなのですから。
そうです、いきなりヤツらが束になって襲ってきたんです。ただし、実際に殺されてしまったのなら、こうして今頃呑気にまいど通信など書いていられるはずはありませんから、アタマに「ほとんど」を付けました。ほとんど編集長殺し---これで意味が通るでしょ。あ、そうそう、さっき顛末と書きましたが、その言い方は正確じゃないかな。顛末というのは物事の決着がついた後に使われるべき単語だけれど、まいど屋のあちこちにずきずきと痛む青アザを残した例の諸問題は、決着がつくどころか、これから本格的に悲劇の第二幕を引き起こすはずなのだから。そして脅かすわけではないですが、その痛みはある一定の時間を経過した後、恐らく隣町の火事を見物しているような傍観者的態度でお気楽にこの月刊まいど屋を読んでいる皆さんにも伝わって、甚大な被害を及ぼす可能性が高いのだから。まいど屋が盛大に燃え上がることになれば、皆さんにも火の粉が降り注いでくるんです。どうか、よく注意して今月号をお読みください。

じゃ、そもそも、なぜ今回はこのテーマなのか(×上×樹風に)
時間を味方につけなくてはならない。つい最近、僕はそんな言葉を、ある作家(皆さんがご想像の通りのあのひとだ)の新刊本の中に見つけた。もし何か創造的な仕事がしたいのなら、自分を信じて、焦ることなく、何か確信的なものが自分の中に生まれるのを辛抱強く待つべきだ。いつになるかはわからないけれど、その時は必ず訪れる。そんな文脈で語られていたその言葉は、確かに僕の心の奥深いところを捉えた。
世界中で、多くのひとたちが彼の紡ぎだすイメージに影響を受けている。もちろん、僕も意識しているにせよしていないにせよ、影響を受けている人間のひとりだった。僕はその素敵な言葉を何度も暗誦し、自分を勇気づけようとした。影響を受けやすい僕の耳に繰り返しそれを言って聞かせれば、ひょっとしたら---水準は遠く及ばないにしても---僕にもそうした仕事ができる可能性があるのではないかと思ったのだ。だが、僕はそもそも味方につける時間を持ち合わせていなかった。僕にあるのは送別会シーズンの居酒屋の店内のような喧騒に包まれた仕事場と、締め切りが厳格に決まっている膨大な雑用の数々と、その合間を縫うように5分、10分と細切れに分断された時間の断片だけだった。
今の僕に何ができるっていうんだろう?ちいさな悪態を誰に向けるともなく何度も呟いてみたって答えは見つからず、僕はいつも同じところをぐるぐると回り続けた。ゲージの中の回し車を回し続けるハツカネズミのように、僕はどこにも行けなかった。あるいは自分の尾っぽを追い回している思慮の足りない子犬のように。または木の周りをぐるぐるまわって最後はバターになってしまった虎たちのように。そしてそうした無意味な努力を一通り試した末、僕は今回もやっぱりあの手慣れた方法に行きついた。それが最も手っ取り早く何かを創った気になれるのだ。僕が自由にできる時間は、使い切った歯磨き粉のチューブに強く力を加えるようなマネをしなければ集まらないけれど、そしてそんな貧乏くさい時間はとてもじゃないけど頼もしい味方には見えないのだけれど、とにかく僕はそれを使い、パソコンに向かって僕の知っているメーカーを物語風に描写し始めた。そうしてある程度書いてから取材をし、シナリオに沿ったコメントを拾い集めて物語の肉づけをしていった。だから今回の3つのストーリーには、僕がその短い時間に東芝の自動パン焼き器を使って膨らませたような、どうしてもお手軽に見えてしまうイマジネーションが多分に含まれている。願わくは、その急ごしらえのイマジネーションが、せめて東京ディズニーランドのシンデレラ城くらいのリアルさくらいは保っていてくれればいいのだが。そしてそれを目にした読者の皆さんが、つかの間、ネット通販の利用者と言う立場を越えて、まいど屋内部で起きていることを追体験するために作られたその虚構の中に、僕が伝えたかった真実をほんの少しでも感じ取ってくれればいいのだが。
なお、最初にはっきりと申し上げた通り、僕はあのひとの影響を受け、あのひとのようなタッチを意識的に採用して今月号を書いたわけだけど、そのプロセスの中では結局、魅力的な女性が僕の前に突然現れたり、スパゲティーを茹でるようなスムースな展開で多くの女のひとと関係したりするような幸運には全く恵まれなかった。残念なことだが、僕にはそこまでマネをできるような資質がないようだ。鏡を見れば当たり前のことなのだが、念のため、読者の皆さんにはそう断っておく。