【エピソード3】フランス人、乱入すimage_maidoya3
カメラマン氏と僕、そして高橋さんと宮脇さんの4人が夢中になって破廉恥な撮影をエスカレートさせていたまさにそのとき、駅からスタジオに向かう雑踏を二つの影が急ぎ足で歩いていた。アスファルトにはいよいよ本格的になってきた夏の日差しが照りつけ、輪郭がはっきりした黒々とした影からは、陽炎が立ち昇っているようにも見えた。二つの影の動きはどちらもしなやかで素早く、それを追いかけるようにスニーカーの足音が通りを移動していった。足音はまるでスキップをしているようにリズミカルで軽やかだった。よく耳を澄ませていたなら、足音に交じって時折、耳慣れない言葉が聞こえてくることにも気づいたかもしれない。そしてその声のトーンから、彼らが静かな興奮に包まれながら何かを求めて先を急いでいることを感じ取ったかもしれない。だが会話は一言か二言で終わってしまうことがほとんどだったから、特に注意をしていなければ、二人の間にどんな種類の高ぶりがあるのかまでは、やはりわからなかったろう。特にこの二人はこのあたりではほとんど見かけることのないフランス人なのだから。
  二人のフランス人の名は、マチューとジュリアン。読者の皆さんがまたかと舌打ちをしたところで、語り手である僕にはどうすることもできない。その日、どこからか情報を伝え聞いた彼らは、彼らの強い意思で行動を起こし、僕たちのいるスタジオに向かっているのだから。彼らは一年前の約束を忘れてはいなかったのだ。将来、再びどこかで出会い、ある種の特別な感情を共にしようと誓い合ったあの約束を。二人はスタジオの入っているビルの前で立ち止まると、半袖の腕で額の汗をぬぐい、ビルを見上げた。一連の動作がほぼ同時で、傍目にも二人の息がぴったりとあっていることがわかった。6階だなとジュリアンが言った。そうみたいだねとマチューが答えた。そして無言でエレベーターのボタンを押し、やはり無言のままそれに乗り込んだ。エレベーターは二人の身体を静かに目的の階まで運び、それからゆっくりと扉が開いた。エレベーターホールにはたまたま撮影の小休止で煙草を吸いに来ていた僕がいた。しばらくの間、僕らは何も言わずに互いの顔を見つめ合った。歩み寄って距離を詰めることもしなかった。やあ、とマチューが言った。ジュリアンは挨拶をする代わりに、ただ右手を挙げて見せた。僕は久しぶりだなと言った。それから手にしていたタバコの火を灰皿でもみ消し、新しいパンツをはいてきたかと二人に聞いた。もちろんだよ。買ったばかりの、新しいトランクスさ。万が一母さんが見たって涙を流すことがない新品だよ。そうか、それならいいだろうと僕は言った。ところでここで何が行われているかは知ってるね。君たちはそれを承知でここに来たんだ。今から君たちは僕たちの未来を賭けた特別なプロジェクトに参加する。マチュー、ジュリアン、また会えて嬉しいよ。ようこそ、撮影現場へ。僕らは握手を交わし、それから互いに抱き合った。僕の両腕には二人の存在が強く、確かに伝わってきた。マチューの背中は固く骨ばっていた。ジュリアンは汗ばんだ大きな背中だった。どちらも引き締まった筋肉が呼吸に合わせてかすかに上下動を繰り返していた。二人の身体からは、懐かしい匂いがした。さあ撮影に戻ろうか、と僕は言った。見栄えがする君たちのパンツが役立つ時が来たんだ。まずは中に入ってくれ。高橋さんと宮脇さんの二人を紹介するから。女性モデルたちの名を聞くと、とたんに二人はここに上がって来た時と同じ緊張した顔つきに戻ってしきりに瞬きをし始めた。そしてうつむいたまま僕の後に従いてスタジオ内に足を踏み入れた。
 

エピソード3
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マチューとジュリアン、二人は仲良し~♪
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楽しそうなフォーショット
スタジオに入ったマチューとジュリアンは、すぐに僕が言った言葉の意味を理解した。二人の視線の先には、空調ブラウスをはだけた高橋さんと宮脇さんの、あられもない姿があったのだ。先住者にとっては極めて自然な、心地よい環境であっても、免疫のない状態で突然飛び込んできた者には、ある種の恐れを抱かせるのに十分な排他性を感じさせることがある。現場を満たす特異な雰囲気に飲まれた二人は、みるみる表情を硬くし、フランス語で何やらボソボソと話しだした。いつもの流ちょうな日本語は、全く聞こえてこなかった。
  マチューはリュックを置くと、恐る恐るズボンを脱いで新しいパンツを見せてくれた。一方、ジュリアンは派手なキャラクターパンツとピンクの無地パンツを手にして、どっちがいいだろうと自信なさげに聞いてきた。近くにいたスタイリストさんが右手のピンクを指さした。そうだ、正解だ。ジュリアンの浅黒い肌にはピンクのほうが断然映える。
  パンツ一枚になった二人の身体は、去年より逞しくなっていた。特にマチューが顕著だった。ここ4ヶ月、毎日ジムに通って鍛えたというボディは、上半身に厚みが出て、腹筋が綺麗に割れていた。
  高橋さん、宮脇さんとの顔合わせが終わると、カメラマン氏から「君たちに絡まれ、女の子が怯えているところを撮りたいんだ」と説明があった。「さあ、いこう。女の子たちに絡むんだ。君たちがいつも街でやっているようにね」。
  そこでジュリアンが初めて笑った。なわけないやろ、と関西弁で言ってマチューも笑顔を見せた。二人の明るさには多少強がりが混じっているようにも見えたが、僕は黙っていた。そうだ、そうやって少しずつ慣れていってくれればいい。
  撮り始めて5分もするといつものお気楽な調子が戻ってきたようで、僕はホッとした。二人が攻めのアクションを楽しみだしたように見えた。女の子たちとの距離もぐんぐん縮まっていく。
  パシャッ!パシャッ!
  「もっと迫って!高橋さんたちはオーバーアクションで!」
  パシャッ!パシャッ!
  「マチュー、ジュリアン、女のコに襲いかかって!」
  パシャッ!パシャッ!
  やがてカメラマン氏の声が再び大きくなり始めた。マチューとジュリアンの登場で変化していたスタジオの雰囲気も、皮膚に甘くからみつくような粘着力を増して元の状態に戻りつつあった。それにつれて、フランス人たちの顔つきにもとうとうトランス状態を示す特徴が現れるようになっていた。
  「ジュリアン、いってみようか。君は鞭で打たれるんだ」とカメラマン氏が言った。
  アシスタントがさっと駆け寄ってきて、宮脇さんに黒い鞭を手渡した。なぜこのスタジオに鞭があるのか、このときになるともう誰も疑問を持たなかった。宮脇さんは物珍しそうに鞭の造りをチェックすると、感触を楽しむように振り回し、床に向けて力いっぱい振り下ろした。
  ジュリアンは口をあけたまま、力ない表情でそれを眺めていた。それから床に腹ばいになり、空調ブラウスとガーターベルト姿になった宮脇さんにピンヒールで踏みつけられた。宮脇さんがジュリアンの背中に本当に鞭を振り下ろすと、彼は苦痛に顔をゆがめながら大きな声を上げた。それでもカメラにピースサインを向け、笑顔まで作ってプロとしての精一杯の矜持を見せた。そしてこうした仕打ちが嫌いではないことを本気になってアピールした。果たしてこれは虚構なのか、リアルなのか、現場にいる僕にもわからない。鞭シーンは10分ほど続いた。
  「はい、OK!次、マチューいくよ」
  今度は、アシスタントが赤いローソクを持ってきた。
  「背中にロウをたらすけど、安心して。これ、その道の方々が使う特別なローソクで、熱くなりにくいんだ」
  スタッフの1人がローソクに火をつけ、試しに手にロウを垂らしてみた。「アチッ!!」と大声を上げてマチューが体をのけ反らせる。
  「本番では高い所から垂らすので、落ちていく間に冷えるから大丈夫」と、別のスタッフがフォローした。だが、実際、マチューは耐えていた。ほんの一瞬だけど、熱く感じるらしい。マチューの苦しみをよそに、高橋さんは涼しい顔をしてポーズをとり、次々とロウをたらし続けた。
  このシーンも10分ほど続いただろうか。終わる頃には、マチューの背中は赤いロウのポツポツで埋め尽くされていた。
 
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  午後2時過ぎ。僕らは遅いランチ休憩をとり、それから場所を変えてさらに撮影を続けた。使わせてもらったのは、東京神田の高層オフィス。フランス人の二人が外資系企業のエグゼクティブマネージャーと中堅社員役になり、高橋さんと宮脇さんは営業アシスタントのお姉さんと事務の女の子ということになった。本当はそんな台本などなくてもよかったのだが、四人の強い要望でそうすることにした。こういうところで働いたことがないから、と宮脇さんは恥ずかしそうに言った。何か知らないことを始めるには、そうした仮面のようなものが案外役に立つの。特に私たちの奥深くに眠っている、当の私たちでさえ知らない自分が引き出されようとしているときにはね。
  宮脇さんの言葉通り、四人の動きは最初から滑らかだった。それぞれが思い思いに、まるでそこが自分の棲家のように自由自在に奔放に、体の内側から湧き上がる情熱をほとばしらせるようにして他のメンバーと絡み合った。撮影開始からもうずいぶん時間が経っていたが、四人はますます貪欲だった。周りにいるスタッフはそれに引きずられるように時間を忘れて仕事を続けた。そしてこの場所にもまた、魔物が降りてきた。
  僕の目の前には理想のオフィスシーンが繰り広げられていた。デスクの上にしなやかな足が投げ出され、前をはだけたブラウスの下で美しい二つの胸の形が露わになっていた。二人の女神の両脇を、フランス人の青年たちが一対のシーサーのように固めていた。僕は彼らが飽きもせずに、命をぶつけ合うようにして繰り広げるそうした刹那的なドラマを、これ以上ない幸福感に包まれながら見守った。それは僕が長い間追い求めていた空調オフィスウェアのあるべき姿だった。そしてこれからのまいど屋の理想の姿が、形を変えて現れたある種のメタファーだった。
 
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  撮影は8時間にも及び、ようやく終了した時は外はもう暗くなりかけていた。高橋さんと宮脇さんは自分の服に着替え、すっかり普通の女の子に戻っていた。二人そろってわざわざ僕のところにやって来て、今日はありがとうございましたと頭を下げた。「それに、本当に楽しかったです」と宮脇さんが笑顔で言った。あのオーディション会場で初めて会ったときのような控えめな笑顔だった。「こんなの、初めてだったから。わたし、きっと今日のことをずっと覚えていると思う。8月になったら、まいど屋さんのホームページを必ずチェックしますね」。高橋さんは何も言わず、ただ隣でにこにこと微笑んでいた。
  僕は二人にもう二度と会うことがないことを知っていた。タレントと個人的なつながりを持つことは所属するプロダクションが許さない。この世界ではそれが掟だ。こちらこそありがとうと僕は言った。それから二人と握手を交わした。どちらの手も温かで、壊れそうなくらい華奢だった。「今後の活躍を祈ってるよ。テレビで君たちを見かけたら、一度一緒に仕事をしたことがあると友達に自慢するんだ」。
  マチューとジュリアンも挨拶に来た。「僕らも楽しかったぜ」とマチューが言った。「握手をしよう」。
  「君らとはこれっきりじゃない。だから握手はしないよ」
  「え、何だって?」
  「またいつか、仕事をしようと言ったのさ」
  ジュリアンが僕にパンチをするような仕草をしてみせた。僕も彼にパンチを返した。厚い胸板が僕の拳を受け止めた。そして、俺たちをテレビで見ても友達に自慢してくれよと言って笑った。
  彼らがエレベーターに乗り込み、ドアが閉まると、オフィスはがらんとして静寂に包まれた。スタッフもほとんど全員が帰り、残っていたのは僕とコーディネーターの白石さんだけだった。僕は撮影に使った空調オフィスウェアを箱に詰め始めた。丁寧に畳んだ真っ白なブラウスから、宮脇さんが使っていたコロンの匂いがかすかに香った。窓の外には神田の夜景が広がっていた。
 
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ジュリアンの鞭シーンを他人事のように見物するマチュー
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ちゃっかりプライベート写真を撮る二人

    

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