【特集2】テレワークは大自然の中で♪image_maidoya3
というわけで、無事に食料も手に入れて、父島生活の第一歩を踏み出した編集長。あとはのんびりと過ごすだけ、と言いたいところだが、島の滞在中にやるべきことは自炊や家事だけではない。仕事があるのだ。父島に着いたのは1月半ばで、年始はずっと大阪にいたものの、実家で正月休みを満喫して、休み明けからいくつか取材を済ませたくらい。原稿料で生活しているライターなのに、年が明けてからほとんど原稿を書いていないのだ! 「月末までにアレ書かないと」「例の督促もそろそろ来るぞー」「あそこにもそろそろ企画書を送らなきゃ」。――じりじりと身を焦がすような感覚に身をよじりながらも、出発までは「まあ、おがさわら丸で書き始めればなんとかなるだろ、24時間もあるんだし」と楽観的に考えていた。しかし、結局おがさわら丸の航海中でも、原稿を書くどころかパソコンを取り出しさえしていない……。そして父島生活がスタートしてからも、食料の買い出しや島内レクチャーツアーへの参加など、イベントが続いた結果、1文字も書かないまま3日が経過。当初の計画では、日の出と共に起きて軽く体を動かしたあと、宿で粛々と働き、質素な食事を採って早く寝る「修行僧のような生活」をするはずだったのに、部屋にはビールの空き缶ばかりがたまっていくではないか!

特集2
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美しぎるビーチが勤労意欲を奪う
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夕暮れ後、紫に染まる海も美しい
●意外と充実? 島ライフ
 
  まず、父島・ドック期間生活のリアルについて語ってみたい。
 
  人口約2000人とただでさえ少ない父島だが、この期間は内地に帰る人がたくさんいる。ちょうど島について4日目、編集長が乗ってきた「おがさわら丸」は、この時期が一番きついという強いうねりをものともせず、東京港へ向かって行った。島民たちの温かい見送りが名物の小笠原だが、今回は船に乗っているのがほとんど島民だから、別れの挨拶もひときわ熱気を帯びている。ここ小笠原では「また島に来てね」という意味を込めて、観光客にも「いってらっしゃい」というのがお約束なのだが、このドック便の見送りは正真正銘の「いってらっしゃい」である。
 
  出航後、島内の人口はおそらく1700人程度になっている。その結果なにが起きるかというと、まず店が長期休業に入る。飲食店は観光客向けが多いので、半数程度が「ドック明けまでお休みさせて頂きます」。2、3軒あるスーパーや商店も休業が多くなるが、毎日どこかひとつくらいは営業している。土産物屋はタバコや薬、生活雑貨も扱っているので、数日おきにちゃんと開く。ただ、お店の営業時間は17時くらいまでなので、かなり注意していないと買い逃してしまう。
 
  生鮮食品が不足するという話はすでに書いたけれど、一方で、意外にも生活雑貨の品ぞろえは充実している。学校は小中高とあるので、必要な文房具などはきっちり揃うし、ほかにも内地のホームセンターで売られているようなものは(いつでも買えるわけではないものの)、だいたい手に入る。詳しくは次のエピソードで書くけれど、作業服や軍手などの仕事用品もちゃんとある。ほかには診療所、歯医者、ガソリンスタンド、自動車整備工場も1件ずつある。ファストフード店や書店、アパレル店、映画館なんかは一切ない。
 
  と、ないない尽くしに見えて、嗜好品の入手環境がパーフェクトなのは面白い。タバコは、内地でもなかなか売ってない銘柄でもちゃんと手に入るし、酒は異常に品ぞろえのいい自販機で24時間いつでも買える。自販機ではさらに、お菓子やパン、おつまみが買えるほか、カップ麺まであるので(もちろん給湯可)、深夜でも空腹に苦しむことは絶対にない。このあたりは内地の田舎も見習ってほしいところだ。
 
  ふらりと海岸に行けば、目を疑うような珊瑚礁と夜なら満天の星が。そこで自販機のビールを飲むのもいいし、カップヌードルで小腹を満たしてもいい。わざわざ言うまでもないが、天国である。
 
  ●環境が良すぎる……
 
  島の生活では、何があっても、朝ちゃんと起きて机に向かうことだけは守ろうと決めていた。普段、自宅周辺で仕事をしているときと同じスケジュールで、散歩して体を動かしたらすみやかに仕事に入り、長めの昼休みを挟んで、夕方までは机に張り付く――。こうすれば多少能率が上がらなくても、最終的にちゃんと原稿は出来上がる。しかし、「今日はいいアイデアが出ないから」とか言って、外にフラフラ出て行ってしまったら「ジ・エンド」。これが10年以上におよぶフリーランス生活で得た真理である。
 
  自然環境は文句のつけようがない小笠原。しかもドック期間中は、観光客はおらず店もほとんどやっていないんだから、ひょっとしたら仕事が恐ろしく捗るのではないか――。というのが父島テレワークの目論見だったわけだけれど、結論から言えばこれは大間違いだった。
 
  断言しておく、小笠原はデスクワークにはぜんぜん向いていない!
 
  まず、自然環境がおもしろ過ぎる。街の目の前にあるビーチがめちゃくちゃきれい、というのはさっきも書いたが、さらに滞在中はホエールウォッチングのベストシーズンだったのだ。なんと湾内にもクジラが入ってくるし、船を出さなくても海岸線沿いにたくさんある展望台に行けば、ザトウクジラが簡単に観察できる。
 
  その結果、宿にこもってキーボードを叩いていても「いまクジラ来てるかも……」と考えてしまうから、そわそわして仕方ない。で、近くの展望台に行ってみるとクジラの親子が楽しそうに泳いでいたりする。まるで近所の公園にカモを見に行くくらいの気軽さで、ホエールウォッチングが楽しめるのだ。
 
  仕事時間にもかかわらず展望台で海を眺め、「環境が悪いのって大事なことだったんだな……」と呟いた。そう、内地にいる自分は、外に出てもつまらないから「仕事でもするか」という気になり、狭い部屋でカマボコみたいにデスクに張り付いているから「早く仕事を終えて解放されたい!」と、自ら拍車をかけることができていた――。そんなことに今さら気づいたのだ。
 
  すばらしい環境に身を置かれた人間は、あくせく働かなくなる。会社のビルやオフィスは、ストレスフルで少し苦痛を感じるくらいがちょうどいいのである。
 
  ●リアル・スローライフ
 
  さらに付け加えるなら、小笠原の人々が放つ独特の雰囲気もすごかった。1968年の小笠原返還後に島に戻ったお年寄りもいるけれど、街で触れ合う現役世代の多くはここ2、30年のうちに島へ来た移住者である。ただ海や島が好きなら沖縄や奄美大島でもいいし、あちらなら物価も安く、飛行機でパッと帰省もできる。にもかかわらず船で24時間かかる上、家賃や物価も高い小笠原に住もうというのだから、けっこうぶっ飛んだ人たちだ。だいたい自然好きで「満員電車がイヤだった」とかいうのだが、実際に移住してしまう行動力がすごい。
 
  島の人々は内地の小学生よりのんびりしている。昼休みに入ったら14時前まで店は開かない。クルマはほぼ制限速度で、横断歩道じゃなくても歩行者優先。街ではしょっちゅう知り合いに会うから、いたるところで立ち話が始まる。また、家やクルマにカギをかけない人も多い。だいたいみんな顔見知りだし、もし島の中で車やバイクも盗んでもすぐバレる。盗難よりいちいち抜き差すことでキーを失くすほうが怖い、というわけだ。ちなみに島民の足元は、だいたい「ギョサン」というサンダル履きだから、歩き方もスローである。
 
  と、こういう書き方をすると、東南アジアの田舎みたいなのを想像するかもしれないが、ファッション感覚や人間の距離感は、ちゃんと東京人なのがおもしろい。少なくとも九州や沖縄で見られるようなヤンチャなノリはない。真っ黒に日焼けしていても、話してみれば案外にも都会人なのだ。
 
  島生活での娯楽はというと、人によってシーカヤックだったりダイビングやサーフィン、シュノーケリングだったりする。ただ、老若男女が楽しめるもっとも身近な楽しみは、「夕日」だろう。ふだん観光業で働いている人も、ドック期間中は時間があるから、天気のいい日は16時ごろから家族や仲間とともに島の西側にある展望台に集まってくる。で、水平線に日が沈んで空が染まるのをじっくり眺める。子供は周囲を走り回り、若者はクジラを探す。
 
  このようにのんびり&ふんわりしたコミュニティの中で、宿にこもって一日中、時計をにらみながらパソコンをカチャカチャやるのは、並大抵のことではない。この島でこんな辛気臭い作業をしているのは自分だけなのではないか、という疑念が芽生えてくる。例えるなら、まるでファミリーが入居する団地の一室で爆弾を作っているような気分になってくるのだ。
 
  ああ嫌だ、こんな島であくせく原稿を書くなんて不健全だ、アブノーマルだ……。と、休憩をとってビーチに出てみれば、真っ黒になった老人が寝転んで日光浴していて、その横ではスッポンポンの幼児たちが海水浴している。
 
  編集長も心の平静を保つため、昼間の暖かい時間を狙って海に入るようになった。さすがに寒いので5分くらいだけれど。
 
  ●パソコン抱えてビーチへGO!
 
  ところでテレワークといえば、よくイメージカットで使われるのが「ビーチでの仕事」だろう。昔からそういう写真を見ながら、砂浜じゃ明るすぎて画面は見えねぇし、潮風と砂でパソコン壊れるだろ、とバカにしていた。でも、ここ父島の海はまったくベタベタしないし(栄養が少ないせいらしい)、各ビーチにはトイレやシャワーに東屋まである。これならチャレンジしてみていいかも、とレンタルの原付バイクでいちばん遠くのビーチに行ってみた。
 
  もちろん無人である。当初は「プライベートビーチだ!」といちいち興奮していたのだが、滞在が長くなると当然のことに感じてくる。そもそもドック期間に限らず、父島の奥にあるビーチは人がほとんど来ないという。さっそく屋根付きの豪華な休憩所のテーブルにノートパソコンを置き、仕事を始める。天気も良く風も少ないので、ビーチには穏やかな波の音だけが響いている。
 
  と、30分ほど経ったとき足元からガサゴソ音がした。予想通りオオヤドカリだ。いちおう天然記念物なのだが、島ではそこら中にいる。大物だったのでテーブルに載せてデジカメで写真を撮り、また仕事を再開すると、今度は沖の方でザトウクジラの潮吹き(「ブロー」と呼ぶ)が見えた。2頭、いや3、4、5……と、視線を海に向けたまま手探りで双眼鏡を取り出す。
 
  水平線よりだいぶ手前にクジラが横並びしている。右側のクジラたちが、顎でザッパンザッパン水面を叩いているかと思うと、左側の2頭は腹まで見えるくらいに身をよじって海面をのたくっていた。うーん、迷うけどこっちかな、と双眼鏡を左の群れに向ける。こんなに遠くからでも大きく見えるんだから、デカい生き物はというのはいい……と、しみじみ思っていると、ついにショーが始まった。
 
  ほぼ全身を海面から飛び出させる、ザトウクジラの「ブリーチング」である。回転を加えてジャンプしているのだろう。宙を舞った状態で白い腹を上に向け、手を広げながら巨体のすべてを海面に叩きつける。やっていることは軽業みたいなものなのだが、サイズのせいでスローモーションのように見える。ざっぱーんという音が遅れて聞こえた気がしたが、波が岩にぶつかる音かもしれなかった。いいもの見たなぁ……、と思い返していると十数秒後にまたジャンプする。こうなると、うわ、おお、すげぇー、の連続で双眼鏡を置くヒマがない。結局、連続ブリーチングは岩陰に隠れる4回目まで見ることができた。
 
  また仕事を再開していると、山から下りてきた人が東屋にやって来た。先日、宿の近くで会った旅行者で、もう数えきれないほど小笠原に来ているリピーターのおじさんである。
 
  「どう、はかどってる?」
  「ええ、まあ……」
  「今日はクジラがすごいねぇ」
  「ホント最高ですよね!」
 
  ただ海岸にいるだけで自然の美を心ゆくまで味わえる父島。ビーチでのテレワークは神の実在を感じられるような至高の体験だった。この日に書けた原稿がわずか3行であったことを除けば……。
 
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休憩所は屋根付きで机も広い
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天然記念物のオオヤドカリ