【静岡】山また山image_maidoya3
12月6日に京都の三条大橋をスタートして9日、ついに編集長は静岡県に到達した。宿泊地の「袋井」は東海道五十三次における27番目の宿場町。そう、東海道のど真ん中である。ただ「残り半分」といっても京都から江戸のルートでは、ここからが山場。西から東へ、広い静岡県を横断するだけでもハードなのに、予想もしなかった難所が次々と現れる。壁のような坂、膝を壊す石畳、そして峠、峠、峠……。歩いても歩いても抜けられない試練の地、静岡で編集長は何を見るのか。「東海道歩き」の後編・第一部は、10日目から12日目までの日記である。

静岡
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掛川の「新町七曲り」を正確にトレース
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難所「小夜の中山」に待ち受ける壁のような坂
●10日目:12月15日(水)@袋井(静岡県袋井市)
 
  朝おきると、右足の爪が紫色になっていた。ところが痛みが激しいのは左足のほうで、こちらは見た目は特に異常はないから不思議だ。2日目の草津以来、ずっと足の痛みについて語ってきたが、もう苦痛にも慣れてきた。ただし目的地に着いた後は一歩も動きたくない。あれだけの距離を歩いておいて、目の前のコンビニに行くのもしんどいというのは妙な話である。
 
  8時前に袋井のホテルを出る。今日めざすのは「島田」の宿場町。距離は30kmちょいでスタート時間も早いからラクできるはずだ。7日目から池鯉鮒-御油-新居-袋井と、ずっと1日35km以上のペースで歩いてきたので、さすがにこのあたりで力を抜かないと身が持たない。今朝は道を間違えてたいへんな距離をロスする夢をみた。わかりやすい恐怖心である。
 
  次の宿場町「掛川」はまっすぐ10km先。何もない道を淡々と進む。旅の初めの方は、こういうシチュエーションは退屈で嫌だったけれど、今は頭を使わないぶん助かると感じる。地図をチェックしながら歩くのは地味に疲れる上に時間のロスも積み重なる。
 
  京都をスタートして数日のうちは、2、3時間くらいぶっ通しで歩き続けることができた。しかし、今や足の連続稼働時間は1時間がやっとだ。石段を下る途中で激痛が走る。旧街道の趣ある茶屋なんかがあればいいのだが、そんなものはおろかコンビニもマクドナルドもないので、お寺の軒先で休む。12月とは思えない陽気だけが救いである。
 
  10時、掛川の城下町に入った。ここは大昔、学生時代の仲間と泊まったことがある。たしか二宮金次郎が作った報徳社を見に行った記憶がある。今回は掛川城すらスルーして先を急ぐ。それでも『ちゃんと歩ける東海道』に従って旧街道の「七曲り」は正確にトレースした。江戸への進軍を阻むための工夫らしいが、死ぬほど面倒臭い。近道を使って直進しても誰にもバレないのに、正直に七回曲がった自分を褒めてやりたい。
 
  掛川を出て次の宿場町「日坂」へ向かう。県道をまっすぐ進んで行けばすぐ着くのに、東海道は県道をジグザグに突っ切っていく。こういうルートをたどるから旧街道は500kmでは利かなくなる。地獄に仏とばかりに道の駅を発見したのでランチにする。冷やしとろろそばを食べて、また歩き出す。日坂・金谷を経由して島田まで、あと15kmくらい。いいペースだ。
 
  日坂は何もないのでさっさと次の……、と思ったら突如すさまじい道に入った。激坂。まさに壁のような坂だ。人間が歩ける限界レベルの斜度ではなかろうか。前のめりに登っていると、地面に手が届きそうに感じる。登りでよかった。こんな坂で足を滑らせたら、そのままズルズル下まで落ちて行ってしまうだろう。鈴鹿峠なんて目じゃない正真正銘の難所である。今日は楽勝だと思っていたが、まさかこんな怪物級の道に出くわすとは!
 
  このエリアを「小夜の中山」というらしい。強制スクワット状態で、茶畑の中をグイグイ登っていく。こんな急坂が長く続くわけがない、傾斜が厳しければそのぶん距離は短いはず……と思ったら、これが意外と長い。ということは、下りもまた急で長いと予想される。膝が壊れないか心配だ。この「日坂-金谷」は景観もいいしクルマも来ないから、ハイキングなら最高の道なんだけど。
 
  峠を越した後は足をかばいながら慎重に下る。もうすぐ金谷だ。膝と太ももの筋肉のダメージに喘ぎながら進んでいくと、石畳の登りが現れた。しかも江戸時代の姿そのままのゴツゴツしたヤツだ。傾斜もさることながら、死ぬほど歩きにくい。安全靴でよかった、と思っていたら足首をグキッと捻りそうになる。危ない、一瞬のミスでこの企画が終了してしまうところだった。ここもアクティビティとしてはすばらしい道だが、旅人にとっては苦痛でしかない。もし路面が濡れていたら、ためらわず隣の舗装道を通っていただろう。
 
  下りの石畳の途中、正面に富士山が見えた。きのう浜松で「天気がいい日は見える」と聞いてはいたけれど、「ついに」である。これからしばらくは浮世絵のような富士山を見ながら旅ができるわけだ。
 
  金谷を通過。大井川を渡って島田に向かう。なんとか暗くなるまでにホテルにたどり着けそうだ。小夜の中山と金谷の石畳はめちゃくちゃハードだったが、死にそうになる手前で乗り切れた。きょうは居酒屋に行こう。コンビニ弁当が続いたから、ちゃんとしたものが食べたい。
 
  †本日の移動距離=袋井→掛川→日坂→金谷→島田32km/通算322km
 
  ●11日目:12月16日(木)@島田(静岡県島田市)
 
  昨夜は愉快だった。ホテルのフロントで聞いたオススメの居酒屋に行くと、幸運にも常連だらけの店内にカウンター席がひとつ空いていた。そこに収まってビールを頼むと、隣のグループが「どこから来たの?」と話しかけてきた。この手の流れは絶対あると思ってはいたが、早い、早すぎるぞ。「きょうは、えーっと……袋井からです」と答える。回答が「本日の起点」になってしまうのは東海道旅行者のサガである。
 
  「へぇ、東海道を歩いてんの。どこから?」
  「京都からです」
  「マジか!」
 
  テンション爆上がりである。釣り仲間という三人組が、島田の名物をどんどん食わせてくれる。野趣あふれる黒はんぺん、辛子をつけて食べる豚串、島田の地酒「若竹」を52℃(だったと思う)の熱燗で--。ゆっくり呑むつもりが、一瞬で出来上がってしまう。
 
  「そんな面白いことしてるのにネットで実況したりしないの?」
  「うーん……、なんつーか、自分のためにやってるんで」
  「そりゃいい、気に入った!」
 
  なんで東海道を通しで歩いているのか。旅をしているとよく聞かれるので「大きなことにチャレンジしてみたくて」と答えることにしている。説明するのが面倒だからだ。
 
  三人組と2軒目突入。年長者のAさんは酒蔵に勤めている。「うちのフラッグシップ、飲んでみて」と純米大吟醸の「女泣かせ」を注いでくれた。日本酒には詳しい方ではないけれど、クリアさの中にしっかりしたコクがあっておいしい。黒はんぺんをあぶって海苔で巻いて、磯の風味と魚の旨味とを合わせて味わい、余韻が残っているうちに「女泣かせ」を啜る。高精度なマリアージュだ。
 
  結局、1円も使わず最高の一夜を過ごした。そして「明日も歩くんでしょ」と21時にはお開きにしてタクシーでホテルに送ってくれた。めちゃくちゃいい人たちである。もう死ぬまで島田のことは忘れないし、もし大阪で島田の人に出会ったらたらふくご馳走したい。
 
  さて、一夜明けた今日は8時に宿を出て「府中」の宿場町へ向かう。府中とは駿府城のこと。つまり静岡駅前だ。島田-藤枝-岡部と、20kmほど歩いたあとに峠越えがある。地図で見るかぎりそれほど難所ではなさそうだ。ただし山で暗くなると危険なのでなるべく早めにクリアしたい。午前中は先を急ぎ、昼間のうちに峠を越えたら足を緩めていいことにしよう。
 
  10時に藤枝着。11日目にもなるとリズムができてきた。午前、午後とも2時間程度でどこかお店に入って足を休めるのがコツだ。午前の部は10時くらい。午後も14時過ぎには、いったん靴を脱いで15分ほど休憩する。中途半端な時間なので、コーヒーでも飲むのが一番いい。しかし、なぜか静岡県の喫茶店は10時なのに開いていない。藤枝の商店街に日本茶の店があったので飛び込んだ。抹茶入り煎茶をアイスでいただく。読者は信じてくれないだろうが、静岡のお茶はものすごくおいしい。近所のスーパーで売っている「静岡茶」とはまったく別物である。
 
  岡部で台湾まぜそばを食べて、山にアプローチする。なんとなく「静岡は富士山だけで、あとは平坦」というイメージを持っていたが、ぜんぜんそんなことはない。昨日も今日も峠越えである。観光案内所で地図をもらって、1時間ほど歩くと宇津ノ谷峠の登り口に着いた。時刻は14時。このペースだと宿に着く前に暗くなってしまうものの、ゴールの府中は静岡の市街地だから大丈夫だろう。包帯を念入りに巻いてから登り始める。
 
  はい、宇津の谷峠、あっという間にクリア。島田の3人組から「クルマでも大変だよー」と聞いていたが、やはりこの健脚の敵ではなかった。きのう通った小夜の中山のほうがはるかにハードだ。未舗装だが歩きやすく、峠を越えたところにある昔ながらの集落も雰囲気がいい。時間があればゆっくり歩きたいフォトジェニックな道だ。
 
  丸子の本陣を通り過ぎ、さらに6km足を伸ばして17時過ぎに府中に入った。久々に目にする大都会である。商店街の100円ショップで足の指を広げる器具やサポート靴下を買ってホテルに入る。きょうは峠こそラクだったものの信号や歩道橋が多く、精神的に堪えるウォーキングだった。駅ビルで弁当を買って部屋でゆっくりしよう。
 
  †本日の移動距離=島田→藤枝→岡部→丸子→府中33km/通算355km
 
  ●12日目:12月17日(金)@府中(静岡市)
 
  ホテルで朝食をとって8時スタート。ちなみに今回の旅では基本的に朝食付きのビジネスホテルを利用している。コロナ禍で停止になったビュッフェ形式も徐々に復活してきており、好きなだけ食べてOK。しかし、満腹になるとトイレが心配なので、控えめを心がけている。朝しっかり食べておけば、昼を軽食で済ませたり、ビスケットをかじりながら先を急いだり、とその後の自由度が高まるからスピードアップできるのだ。
 
  きょうは珍しくすでに宿をとっている。この先は「宿無し宿場町」が続くためだ。ここ府中からホテルがたくさんある沼津までは60km以上。その間に唯一、ビジネス旅館のようなものが1軒あるのが、途中にある「由比」の宿場町だった。ここが満室になると詰んでしまうので、昨夜のうちに大急ぎで予約した。素泊まりプランしかないのは残念だけれど、ここは手堅く行くしかない。
 
  府中から由比までは30kmに満たない。どんなに急いでもこのプランしかありえないので、きょうは回復日と割り切ってのんびり歩くことにする。信号も多いからちょうどいい。スタート時は雨だったのでカッパを着ていたが、2時間もしないうちに上がった。マクドナルドに入って雨具を片付ける。天気予報は「これから数日、雪が心配」と言っている。数日後の箱根は大丈夫だろうか……。本来なら左の方に見えるはずの富士山も完全に雲に隠れている。
 
  今日は足のコンディションが非常にいい。京都から付き合ってきた足のマメはついに固まったし、静岡駅前で買ったインナーソックスも効いている。指ぬき手袋のような構造になっていて、足指の摩擦を減らせる。足ケアグッズは始めのうちからもっと試しておくべきだった。
 
  11時に「江尻」の本陣を通過。清水と言ったほうがわかりやすいだろう。トイレを貸してもらった清水駅には『ちびまる子ちゃん』の絵があった。「海道一の大親分」清水次郎長には昔から興味がある上、東海道歩きの先輩でもあるので、何軒か土産屋をのぞいてみたが、とくに次郎長グッズはなかった。
 
  久々のゆとりあるスケジュールなので、ランチは海鮮丼にした。由比まで残り12kmだから気が楽だ。榊屋は常連で賑わう人気店。さすが清水は魚がうまい。そして急須で出してくれたお茶がまたすばらしくて、食事を引き立てる。これまで注目したことがなかったけれど、静岡は本当にいいところだ。店を出て時計を見ると、入店から30分しか経っていなかった。安い・早い・うまい、三拍子そろった名店である。
 
  13時30分、興津の宿場町を通過。西園寺公望の別邸が公開されていたので、30分ほど見学した。興津はリゾートのような土地である。黒潮の影響なのか、温かくて海の風も心地いい。12月なのに防寒はウィンドブレーカー1枚でじゅうぶん。さすが明治維新の元老が選んだだけはある。地図を見ると何もなさそうなマイナー宿場町なのだが、こういう土地ほど風情があって良かったりする。逆に大きな街は歴史的背景が薄れ、ただのベッドタウンになっていたりする。そういう意味で興津は大穴である。
 
  薩埵峠へ向かう。ここはハイキングコースになっているのか、あちこちに案内板があってわかりやすい。山裾の墓地の奥にある丸太階段から山登りスタート。傾斜は厳しいものの、道はよく整備されていて気持ちいい。しばらくすると右に海が見えて、傾斜がゆるくなってきた。--おお、富士山! 景色に歓声を上げたのは、東海道で初めて海を見た「潮見坂」以来である。でかい、金谷の石畳で見た富士とはケタ違いだ。ここまで近づいていたのか。この景勝地で初めて富士山をまともに見る。これは京都スタートの特権だろう。
 
  そのまま由比の宿場町に入って16時、宿に到着。今日は徒歩旅行というよりのんびり散歩したような感覚だ。30km以下というのはこんなに楽なのか。朝食は出ないので、今夜は和室でのんびりして早朝に宿を発つことにしよう。
 
  †本日の移動距離=府中→江尻→興津→由比26km/通算381km
 
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金谷には江戸時代の石畳が残っている
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薩埵峠は東海道でも一二を争う景勝地