まいど通信
まいど!まいど通信編集長の田中です。突然ですが、11月って秋でしたっけ?読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋。秋にはいろんな呼び名があるけれど、どれもなんだかカラッと明るい、ポジティブなイメージが強すぎる気がして、自分の中で11月の印象とうまく結びつきません。11月ならさしづめ、孤独、哀愁、風に舞う落ち葉、一人傾けるブランデーグラス。BGMにはアズ・タイム・ゴーズ・バイを。サム、その曲は弾くなと言ったじゃないかなどと呟いてみれば完璧です。サム、その曲は弾くなってあれほど。
いま思いつく中で、11月のイメージとして一番しっくりくるのは別れの秋かもしれないです。情熱だけで後先考えずに突き進んでいた季節が終わり、物事を深く考えるようになって夢から覚める。この人でいいんだろうか。これが本当に望んでいたことなのか。ふと浮かんだちいさな疑問が心の中で徐々に容積を増していき、ある日、隠しようもないほど大きくなっていることに気付く。そしてもうこれ以上自分に嘘はつけないと覚悟した時、それはやってくるんです。周囲から見たら、まるで突然に。少しずつ水分をため込んだ山肌が、いきなり崩落するときみたいに。
これまでまいど屋を贔屓にしていた読者の皆さんの中に何かが少しずつたまっていき、ある日突然まいど屋よりもっと素敵な通販があるんじゃないかと思い立ってこの場所を去ったとしても、まいど屋は嘆き悲しんだりしないようにします。それはきっと秋のせいなんです。そして何年かのちに皆さんが偶然この店に戻ってきて月刊まいど屋を読んでいるのを見かけたときには、スタッフの一人にそっとこう呟く。こんなネガティブな記事はアップするなと言ったじゃないか。アップするなってあれほど。やがて皆さんは夜霧の中、楽天へと立ち去っていく。ボギーにはバーグマンとのパリの思い出が、まいど屋には皆さんと過ごした8年間の思い出がある。君の瞳に乾杯。。。毎年のことですが、秋風が冷たくなるこの時期、妙にセンチになって困ります。11月。妄想の秋です。
今月のテーマは秋冬作業服
胸騒ぎです。いや、ドキドキしちゃってるって言った方がいいかもしれない。月刊まいど屋の編集部にいると、年に一度、必ずそういう気持ちになります。昔、サザンが胸騒ぎの腰つきって唄ってたけど、それと似た心境かも。口笛を吹きたくなるような美形たちが次々と現れては、自分の前を通り過ぎていくんです。あちこち目移りしながら、意味ありげな腰つきを眺めながら、どれにしようかなんてあれこれ悩んじゃう。健全な下心をいっぱいにして、しっぽりできそうな獲物にモーションをかけ、そして期待に胸を膨らませていそいそと段取りを考える。さあ、これから何かが起きる。
今月号の公開を前に、今、確かに胸騒ぎがしています。編集部が選んだのは、バートル、サンエス、中国産業の3社。年に一度、秋冬作業服の特集を組む時だけに感じるある種の欲望に突き動かされるように、編集部から半ば強引にアプローチをして取材してきました。めでたく想いを遂げたまいど屋のレポートを読んだ読者の皆さんにも、きっと何かが起こるはずです。3社の腰つきは相当ヤバい。ね、胸騒ぎしてきたでしょ?
プロフェッショナルの矜持
素人が何を偉そうになんて言わないでください。ファンにはあれこれ言う権利がある。 プロには何にもわかっちゃいないただの素人に批評される義務がある。調理師免許さえ持っていない普通のひとたちが、この店はうまいだまずいだ言うのと同じことなんです。だから、新聞のスポーツ面はまず彼の成績をチェックしてから読み始める一ファンとして、ここ数年の彼の低迷ぶりを嘆かずには、そして一日も早い引退を望まずにはいられない。去り際の美学、武士の潔さはどこへいったんだろう。
イチローのことです。彼のあんな姿は正直言って見たくないんです。あれほどの栄光に包まれた選手が、なぜこんな状況を甘受していられるのか。何試合もの間、一本のヒットも出なくても、どうしてあんな堂々と胸を張っていられるのか。
プロフェッショナルの矜持って何だろう。泥にまみれても、周囲がもうダメだろうと諦めてしまっても、自分を信じて次のチャンスを待ち続けることなのかな。もしまいど屋がスランプに陥って、周囲のだれもがもうあの店は終わったねなどと噂をするようになった時、自分はいったいどうするだろう。ピンチになったとき、はじめてイチローの考えていることが理解できるようになるのかな。調子のいい時はなんにもわかっちゃいなかったねと思うようになるのかな。
或る日のハイダウェイ
その日、僕は仕事着のままオフィスを出た。日はまだ高く、風は暖かだった。デスクには分刻みで確実に処理されることを待っている仕事が残ったままだ。あと1時間、いや30分後にはおそらく誰かがその尻拭いを始めなければならない。引継ぎがされていないことで、多少の混乱があるだろう。そしてオフィスにいる誰もが舌打ちをして、僕の居場所を探し始めるだろう。
何もかも放り出してどこか遠くへ行ってみたくなることがある。肩に背中に、大小さまざまな荷物を抱えたままでいることがつらくなることがある。僕は毎日、何をしているのだろう。何のために。誰のために。
ためらいながら、誰かが僕を呼びとめてくれないかなと思いながら、僕は駐車場に停めてある車に乗り込む。それからイグニッションを回し、迷いを断ち切るように頭をからっぽにし、西に向かう。高速を走り、夕方には箱根に着く。そこで目についた旅館に飛び込むように駈け込んでチェックインをする。
フロントの女将は申し訳なさそうに、予約がないと夕食を準備できないのだと言って謝った。いいですよ、外で済ませますから。部屋は空いているんでしょう。寝るところがあれば、一人になれるところがあればそれでいいんです。どうせ温泉宿の豪華な夕食をひとりで食べたところで、むなしいだけなのだ。
通された部屋は大きくて立派だった。食事を出せないから、お詫びのしるしにと女将は言った。いいところですよ、ここは。よかったら何日かお泊りになれば、疲れも取れると思います。
「疲れているわけじゃないんだ」と僕は言った。「そんなに疲れているように見えるのかな」
「あ、いえ」。女将は僕の顔をちらりと横目で見てから、困ったように下を向いた。「すみません。なんだかあまりお元気がなさそうだったので。でもここは本当にいいところなんです。お忙しい方が、ほんの少しだけ、現実から離れて一休みをするには。たくさんのひとがそうされます。日々の生活で損なわれてしまった大切なものをここで取り戻して、元の場所に戻っていくんです」。
女将が部屋を辞すと、僕はひとりその空間に取り残された。ひとりでいるには、そして長い時間を過ごすには、そこは大きすぎ、静かすぎ、また金がかかりすぎているように感じられた。窓の外に箱根の山の緑が迫っている。眼下には清流も見える。僕は冷蔵庫からビールを出し、ソファーに座ってそれを飲んだ。それから窓の外をただぼんやりと眺めた。持ってきた煙草に次から次へと火をつけた。やがて外が暗くなると、外へ食事に行くのも面倒になった。携帯電話には一本の電話さえかかってこない。僕がいなくなっても、世界はごく普通に、いつもと同じように回り続けるみたいだ。今ごろはデスクの上の書類も、きれいに片づけられているのだろう。それでいいのかもしれない。それが望んでいたことなのかもしれない。もう一度携帯の着信を確認する。やっぱり何もない。僕は仕事着のまま布団に横になり、目を閉じて眠りにつく。
翌朝、いつもと同じ時間に目が覚めた。今度は朝食もちゃんと出た。あまり食欲がなかったが、僕はそれをどうにか全部食べ、せっかく温泉にまで来たのだからと露天式になっている大浴場に行って湯につかった。誰もいない湯船からは、部屋からの眺めと同じ緑の山と、透き通った川の流れが見えた。とりあえず、やるべきことはこれで全部済ませたのかもしれないな、とそのとき思った。おそらく、きっと、僕にはこんな儀式のようなものが必要だったのだ。こうすること自体に意味などない。それをして特に心が晴れるような気分になることもない。会社を出たときから、そんなことはわかっていた。それでもその手順を踏まないことには、僕はいつもの場所に立っていることさえできなかったのだ。
風呂から上がると僕は服を着てチェックアウトし、車を走らせて昼過ぎには会社に戻った。すれ違うスタッフが、おはようございますと僕に挨拶した。僕もおはようと挨拶を返した。
オフィスはいつもと同じように見えた。僕のデスクも、昨日のままだった。開きっぱなしだったパソコンの画面には、箱根の旅館の検索結果がそのまま残されている。山積みの書類も片付けられてはいなかった。やれやれ。僕は首を振ってエキスプローラを閉じる。そしてワードを起動し、儀式の最後の仕上げとしてこの文章を書き始める。世界は何も変わっていないように見える。でも、今、僕は確かに知っている。車を数時間走らせただけのところに、こことは違う世界があることを。そして、その気になりさえすれば、僕はいつでもそこに行けることを。
僕はまいど屋に戻ってきた。何のために。誰のために。その答えを探すために。