まいど通信
まいど! 編集長の奥野です。今月は冬の風物詩「防寒ウェア」の特集をお届けしました。と、いま書いていて衝撃を受けたんですが、もう2021年も残りわずかなんですね。なんだか、悲しいというか、なごり惜しいというか「この1年なにしてたんだろ?」的な虚しさが波のように去来します。こんなふうに心にスキマ風が吹いてしまったときは、せめて体は暖かくして美味しいものでも食べましょう。年末を乗り切るための防寒アウターは、ぜひ「まいど屋」で!
●温泉を出た後は……
さて、ここからは前回の「まいど通信」の続きです。
自粛明けの旅で愛媛県の道後温泉にやってきた編集長。念願の「休憩付き入浴」を済ませ大満足で街に出たのはいいけれど、まだ昼間で居酒屋も開いていない。これからいったい何をすればいいのか?
ホテルに戻って仕事をするのも気が進まないので、街をブラブラする。が、やっているのは土産屋だけ。時計台の写真を撮ったり、酒蔵を見物してみたりしてみたものの、正直なところ退屈です。ひとりで人力車に乗ったりスイーツを食べたりするのもねぇ……とゆっくり歩いているうちに、道後温泉・本館の前を通りかかりました。
すると、入り口の係員が「整理券いりますか?」と声をかけてくる。なんでも改修工事中の本館は縮小営業していて、小さい浴室だから定員を決めているとか。
「今なら夕方の整理券をお渡しできますよ〜」
「それって、夕方に『いまから入ろうかな』ってやってきても無理ってこと?」
「うーん……、整理券の出方次第ですけど、夜まで待つことになるか、ひょっとしたら入れないかもしれません」
さっき風呂から上がったばかりで髪も乾いていないのに、次の風呂を予約する--。この不条理なシチュエーションに言葉を失いました。やはり道後といえば『千と千尋の神隠し』のモデルにもなった本館なので、入ってはおきたい。しかし、さすがに明日でいいのではという気もする。
ただ、話によればいま稼働している小さい浴室は、平常時なら「個室休憩」のチケットを買った人しか使えない特別なもので、個室は毎日すぐ売り切れるのでまず入れないとのこと。かなり葛藤しましたが、「レア」の言葉に弱い編集長は、つい整理券をもらってしまいました。予約時刻は1時間後。街のあちこちにある無料の足湯スポットをハシゴして時間をつぶし、また本館に向かいます。
案内された「霊の湯」は、わりと普通でした。脱衣場に降りていく階段とかロッカーとかは年季の入った木製で「さすがは明治生まれの重要文化財だな」という気はしたものの、浴室は小さくて、浴槽は4人くらいしか入れない。本来なら個室を予約した家族だけが使う浴室なので、当たり前なんですけど。道後温泉は温度が高いのでそもそも長湯できないのに加えて、この狭さでは温まったらすぐに出るしかない。まあ「あの霊の湯に入ったぞ」といった記念にはなりました。
昼は新館で温泉、時間調整のため足湯めぐり、そして夕方は本館で温泉と、意図せず温泉だらけの1日となってしまいました。このときは「もうしばらく温泉はいいや」と思ったのですが、いまこの原稿を書いていると猛烈に温泉に行きたくなってくるから不思議です。寒い日に道後の熱い湯に浸かったら、最高でしょうね!
●銅山の街
じつは今回の旅の目的は道後温泉だけではありません。この風呂づくしの翌日には、愛媛県新居浜市の別子銅山に行ってきました。松山から特急で岡山方面に向かって1時間くらい。私と同じ産業遺跡ファンの知人から「絶対に行ったほうがいいよ」と聞いて、いつか行こうと思っていたのです。
別子銅山は江戸時代に発見され、1973年まで300年近くも採掘されていました。日本を代表する銅山だったのが、閉山後の今は「マイントピア別子」という体験型ミュージアムになっています。トロッコに乗って坑道に入ると、鉱夫の人形なんかで再現された採掘現場があります。
まあ、ここまでは鉱山遺跡でおなじみの展示です。ところがここからがスゴイ。なんとここでは1916年から1930年まで採鉱本部が置かれていた「東平地区」を訪れるバスツアーをやっているのです。東平は、かつて鉱山労働者とその家族が暮らし、小中学校や病院まである標高750mの街でしたが、本部が移動してからはだれも住んでいません。つまり、90年前の街がそのまま残されている。それが近年、遺跡として整備され、見に行けるようになったのです。
11kmのドライブを経て、着いたところは「東洋のマチュピチュ」の売り文句通り、非日常な空間。家屋の土台や鉱石の貯蔵庫、索道基地などが、生々しく残っています。レンガは劣化して崩れ落ち、隙間からは草や木が生えているけれど、なぜか廃墟のような寂しさはありません。観光用に整備したのもあるでしょうけど、自然に還る寸前なのに不思議と明るい。ここで働き暮らした人々の息吹や躍動を感じる。索道で物資を運び、トロッコでふもとと行き来する様子が目に浮かぶようです。
驚くべきことに、ここには劇場まであったといいます。鉱山を経営する住友は、社員や家族への福利厚生として歌舞伎役者を呼んで興行していたとのこと。すごくいい話ですね。北九州の炭鉱や佐渡の金山など、鉱山遺跡に行くと、どこでも労働条件がひどかった、事故や病気も多かった、といった悲惨な話を聞かされるのですが、ここは違う。必要最低限の施設しかない街ではあるものの、みんなけっこう楽しく暮らして、誇りを持って働いていたことがよくわかります。
作業服で汗を流した先達の姿をリアルに感じられる別子銅山--。みなさんもぜひ、足を運んでみてください!
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というわけで、2021年の月刊まいど屋も今回がラストです。今年も毎月お付き合いいただき、誠にありがとうございました。次は2022年のお正月にお会いしましょう!