【タニザワ】トップブランド、驚異の復活劇 image_maidoya3
あのタニザワが被災した。先般の震災で、まいど屋にとって、そしてまいど屋を訪れる多くのヘルメットユーザーにとって、最大のショックはタニザワが機能不全に陥ったことだった。福島と茨城の主力工場が被害を受け、一時、商品がほとんど生産できなくなった。震災後のヘルメット需要で在庫はあっという間に底をつく。それでも全国から殺到するタニザワ指名の膨大な数のオーダー。増え続ける受注残と先の見込みが全く立たない焦燥感。ご注文頂いた全てのお客さま一人ひとりに連絡して事情を説明し、在庫のある他メーカーの商品をご紹介する。ところが。。。
  今回の震災で改めて明らかになったのは、タニザワの強固なブランド力とお客さまの圧倒的な支持。タニザワをよく知る長年のユーザーは、どんなに納期がかかっても、それどころか、手に入るのがいつになるのか全く不明でも、辛抱強く入荷を待った。ヘルメットはどれでも同じなんかじゃない。そんなユーザーの強い思い。トップブランドがトップブランドである所以。知識として理解していたことが、皮膚感覚として伝わり、まいど屋スタッフ全員の骨身に染みた。
  震災後、半年が経過した今、タニザワの商品も、かなりスムースに入荷してくるようになってきた。まだまだ受注残が残っているが、とりあえずは納期の回答ができるようになった。タニザワはどこまで復活したのか。今回のインタビューでは復旧の進んだ茨城工場を訪ね、タニザワ完全復活のスケジュールと今後の展望について、工場長の雪下雅彦さんに詳しくお話を伺ってきた。

タニザワ
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震度6強の揺れに耐え、早期生産再開に貢献した茨城工場社屋。
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強いリーダーシップで茨城工場を復活へと導いた工場長の雪下雅彦さん。
■操業中の被災、全員無事!
  3月11日(金)、午後2時46分。あの大地震は、ここ茨城工場のある北茨城市中郷町にも、震度6強という容赦ない揺れをもって襲いかかった。
  「最初は風かと思ったんです。テントが大きく揺れたので。でも違った。たまたま建物の外にいたので、揺れをあまり感じなかっただけでした」。建物内は大変だった。突然、大きな揺れがきて瞬間的に停電になった。事務所では棚が倒れて書類が散乱し、デスクからパソコンが落ちた。
  何が何だかわからないまま、屋外避難場所に集まってきた従業員たちを、余震が幾度となく襲う。「中に戻るな!と指示を出し、しばらく様子を見ていました。で、もう今日はダメだ、と。各部門のリーダーに日曜日(翌々日)に現場確認に来るように言って、その日は解散しました」。
  茨城工場の従業員は約140名。幸いにも人的被害はなかった。「その時点では、電気も水道もすぐに復旧して操業できると思っていたんです。建物自体、傾いてもいませんでしたから」。しかし、電気の復旧に丸3日、水道に至っては1週間ほどかかった。また、工場周辺でも場所によっては家が倒壊したり傾いたりする被害も出ていた。
  「最初の2晩はキャンプみたいでした。警備員も来られないので、単身者の人に寝泊まりしてもらった。幸い、救援物資が届いていたので、ここにいれば水もガスボンベもあって煮炊きができる」。
  電気が復旧しても稼働の見通しは立たない。ガソリンがないので従業員が来られなかった。本社(東京)からガソリンの支援があったが、社用車3~4台分程度。非常にありがたかったが、とても社員の分までは回らない。そんな状況下、全員に自宅待機の通達が行きわたるまで丸4日かかった。
 
  ■受注をこなせ!無我夢中でフル稼働した4ヶ月
  震災直後だというのに自転車で出社してくる人がいた。ガソリンがある人は車でやってきた。少ない人員ではあったが、最初の1週間は工場にある完成品を出荷することに専念した。
  「本社から“埼玉に送ってくれ!”と指示があったんです。あるだけのものを送り出し、代わりに欲しいものを送ってもらう。配送業者も一切ダメでしたから、自前で路線便を出しました」。工場から車で10分ほどの所に自宅があるという雪下工場長は、毎朝8時半に来て製品を送り出し、モノが散乱する工場内の片付けや掃除をして、暗くなる頃に帰る。そうやって従業員が再び来られるようになる日を待った。
  生産を始めたのは、3月19日、3連休初日の土曜日から。生産要員が10人にも満たず、2型(ST#148-EZ、ST#0169-EZ)に絞ってのスタートだった。全員揃っての本格稼働は、その9日後の3月28日から。「よく無事に集まってくれた。全員でスタートでき、本当に安堵しました」と雪下工場長。それからは4型などを集中的に生産し、4月10日まで1日も休まずにフル稼動した。
  「3月は一年のうちでも一番注文の多い時期。受注伝票が相当溜まっていることはわかっていました。朝礼で、ゴールデンウィークまでは週1日しか休めないことを通達すると、みな覚悟したようです」。毎日残業して土曜日も稼働。事務系の人たちも組み立て作業に加わり、全員で懸命に取り組んだ。
  こうした努力の甲斐あって、大量に溜まっていた受注伝票も徐々にはけていき、6月末にはほとんど納品することができた。「通常の1.5倍以上と、今までにない出荷量。皆、本当によくやってくれました」と当時を振り返る雪下工場長。現在、生産体制はほぼ通常どおりに回復している。
 
  ■震災という非常事態から得た“大切なこと”
  「今回のことで、企業は“人”だとしみじみ思いました。被災して、食料や水を手に入れなくちゃ、ガソリンを何とかしなくちゃ、となるはずですが、こっちから無理にお願いしなくても自発的に集まってくれた人がいた。中にはリーダー的に動いてくれた人もいて、非常に頼りになりました」。献身的に行動してくれた人たちのおかげで、生産再開までの間、人手がなくて困ったということはなかったという。
  また、「やればなんとかなる!」とわかったことも大きな収穫だった。「皆、必死でやってくれた。一刻も早く製品を届けたいという気持ちが全員から伝わってきた。あれから何か月も経ったので、その時の気持ちはだいぶ薄れてしまったけれど(笑)」。
  もちろん、不安がなかったわけではない。雪下工場長が最も恐れたのは、生産休止によってお客さまが離れてしまうことだった。「待ってくださるお客さまもいましたが、あまり長引くと待てなくなります。生産を再開してもお客さまが残っていなかったら…。そう思うと怖くてたまりませんでした」。
  そんな不安を解消してくれたのは、営業からの情報だった。「混乱のため、どのメーカーも生産が遅れて納期がかかるようになったと聞きました。どこも状況は同じ。めいっぱい操業していれば、お客さまが流れていくことはない、と、その時初めてホッとしたことを覚えています」。
  震災から半年あまり過ぎたが、今なお受注は高い水準を維持している。ヘルメットは防災用としてのニーズも高いため、震災直後はボランティアなど一般の人たちの需要が高まった。そして、これからは復興に向けて現場用の需要が増えてくる。たとえば、吹き付け作業などから目や顔を保護するシールド付きヘルメット(型番:ST#161V-SH、ST#162V-SD)、上部の視界を良好にした透明バイザーヘルメット(型番:ST#161-EZV)、周囲を傷つけないソフトカバー付き(型番:ST#1840S-FZ)など、作業環境や職種に合わせたきめ細かなラインナップは、タニザワならではの充実ぶりだ。
  「頭を守るのは、タニザワの使命。今回の経験をバネに、これからもお客さまのニーズにしっかり応えられるモノづくりを続けていきます」。そう語る雪下工場長の言葉に、トップブランドとしての誇りと自信、そして強い信念が感じられた。
 
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トップブランドが誇るモデルの多くは、ここ茨城工場で生産される。
 

    

◆シールド付きヘルメット

歪みの少ないHGシールドにより、釘打ち作業やコンクリートの吹付作業などから目をガード。シールドは、スライドさせると帽体内にスッポリ収まるので、通常作業の着用にも便利。クリアな視界を確保する透明バイザー、雨だれを防ぐミゾ付き。


◆超軽量ヘルメット

軽量360gの『かるメット』は伝統的なMPタイプ。さらに310gにまで軽量化した『超かるメット』は人気のアメリカンタイプ。一日中かぶっているヘルメットだからこそ、軽さにもこだわって快適に。