まいど屋コミック242号/ソムリエ勝負

ホーム
まいど屋コミック242号／ソムリエ勝負

242話ソムリエ勝負

>ソムリエ勝負

お話に出てくるアイテム

FK7169
ソムリエエプロン

何年か前に、サハラを旅したことがある。どういうわけでそんな場所に行くことになったのか、いきさつを書くと長くなり過ぎるのでここでは省くけれど、とにかく僕はマラケシュで車をチャーターしてアトラス山脈を越え、夕方になってようやくその場所にたどり着いたのだ。砂漠は突然現れた。地平線まで続く一本の道路を挟んで、一方が赤茶けた岩の大地、そしてもう一方が薄黄色の砂山だった。砂丘は緩やかにうねりながら、はるかかなたまで広がっていた。砂漠はどこまで続いている？僕がそう質問すると、ドライバーは肩をすくめて首を振り、そのまま砂漠の中に彼の4WDを乗り入れた。そこから先は何日走ったって砂の世界だ。どれほどの広さなのか試してみることなんて、普通の装備しか持たない旅行者ではムリなのだ。ドライバーはしばらく車を走らせてから、僕をいくつかのテントが点在する場所で降ろし、チャオと言って元来た方向へ引き返していった。そこは僕がマラケシュで予約した宿泊所だった。白い制服を着た従業員が何名か、テントの間を行ったり来たりしていた。客も10組くらいはいるようだった。ラクダが数頭、テントの群れから少し離れた場所に打たれた杭につながれていた。僕はテントに自分の荷物を運びこんでサンダルに履き替え、ラクダがいる方へ向かって歩いて行った。ラクダはみな、虚ろな表情をしたまま僕と目を合わそうとしなかった。僕はチャオと言って彼らと別れ、そのまま砂の上を進んで行った。そして小高い丘に登って夕日を見た。眼下で僕がチェックインしたテントが、オレンジ色に染められていた。真っ青だった空が、深い藍色に変わり始めていた。美しさも醜さも、正しさも邪悪さも、何もかも一緒くたにして包み込んでしまう夜が始まろうとしているのだ。そんな夜のしじまの只中に放り出されて、僕はどう自分を維持していけばいいのだろう？辺りが暗くなる前に、僕は丘を下りてキャンプに戻った。一番大きなテントの前のスペースで焚火がたかれていて、宿泊客たちが集まっていた。これからここに記すエピソードは、まさにその場所で僕が目撃した出来事である。その夜、僕はあの男に出合った。見渡す限り砂以外には何もなく、恐らくはバケツ一杯の水でさえ貴重であるはずの砂漠の中で、僕は思いもかけず、極上のワインと最高の葉巻を味わうことになったのだ。

AZ-8639
ソムリエショートエプ

そのキャンプでは、宿泊者全員に夕食が付いていた。先程の大きなテントの中がホテルのフロント兼食堂になっていて、プラスチック製のテーブルが宿泊者の数だけ並べられている。テントの天井からBOSEのスピーカーがぶら下げられ、ボサノバと現地の音楽が交互に流れていた。料理は羊肉のタジン鍋とバスティラが一皿ずつ。ケバブは大皿にあるものを3本だけ取っていい決まりになっていた。僕はウエイターにグラスの赤を一杯だけ頼み、コーラをチェイサー代わりにして食事をした。うかつに水を貰ったらどんな結果になるか、わかったものではないからだ。僕は大してうまくもない料理を、黙々と口に運んだ。それでもワインのおかげで、大分気分がよくなってきた。華やかさを感じられないワインだったが、ワインはワインだ。イスラムの国モロッコの、しかも砂漠の中では、飲めるだけでもありがたいと思わなければならない。それが普通の人間の考え方だ。そして少なくとも、僕は普通の人間の方に属していて、そのことについて特に不便に思ってはいなかった。だが、世の中には僕とは違う考え方をする人びとがごく稀に存在する。彼らにしてみれば僕の考え方が間違っていて、砂漠のディナーが人生最高のものにならないような事態は、ラクダが過酷な環境に耐えかねて脱走を図ることくらい、考えられないことのようだった。

APK493
ソムリエエプロン

頭上のスピーカーから流れる音楽が途切れたとき、僕の左隣のテーブル客とウエイターのやり取りがたまたま耳に入ってきた。それがショーの始まりだった。客は僕よりやや年上に見える東洋人で、メニューを片手に、ドリンクを注文しようとしていた。一番いい赤のボトルをくれ、と男は言った。いいか、一番いいやつだ。まずいワインは好きじゃないんだ。何を置いている？ワインは一種類しかありません、とウエイターがすまなそうに言った。それでよければ持ってきますが。どこのワインだ、と男が再び尋ねた。ウエイターは答えられなかった。そしてそのまま奥に引っ込んで、ボトルを片手に戻ってきた。それは僕が飲んでいるのと同じワインだった。ウエイターが栓を抜き、グラスに注いで男に差し出した。男は一口飲むと、はっきりまずいと言った。ワインが一種類、しかもまずい。そのときにはもう頭上の音楽はボリュームを上げて鳴り響いていたが、僕は神経を集中させてその会話に聞き耳を立てていた。そんなこともあろうかと思って、と男は言った。自分のワインを持ってきたんだ。代わりにそれを飲むから空のグラスをくれ。ウエイターがグラスを渡すと、男はなみなみと自分の赤を注ぎ、クルクルと回してからうっとりとした表情でそれを飲み干した。こっちの方がずっといい。ずっと、ずっといい。男はカウンターに戻っていたウエイターに大声で言った。おい、俺のワインはずっとうまいぞ。ここのワインは最悪だ。そして、俺のワインは最高だ。男が何度もそう繰り返すと、初めは鼻白んでいたウエイターも、最後には笑顔になって男に同調した。はい、あなたのワインは最高です。その場にいた客全員が、男に圧倒されていた。そして同時に、愉快な気分になっていた。もちろん僕も高揚していた。それで、さっきのウエイターを捕まえて、僕にも極上のワインを一杯くれと頼んでみたのだ。ウエイターは、私どものワインは世界で二番目で、最高のワインはそちらのジェントルマンがお持ちです、と言った。男は笑みを浮かべながら僕のグラスに彼の赤をたっぷりと注いだ。それで僕らは友達になった。食事が終わって焚火の前のソファーに席を移し、僕らは男が持ってきたキューバ産の葉巻を吸った。彼は日本に仕事で行ったときのことを、人懐っこい笑顔で話した。日本はいい国だ。食事がうまい。そして、人びとは自分の仕事に真剣に向き合っている。男は日本のある三ツ星料理屋でのエピソードを、面白おかしく聞かせてくれた。俺は最高の料理が好きなんだ。そして、それがどうやって作られているのか、好きになった女の私生活と同じくらい興味がある。彼はその店で出された料理に感動し、シェフを席に呼び出して解説をしてもらったのだという。英語が通じないから日本語のできる知り合いに携帯で国際電話をかけ、電話越しの通訳で、納得いくまで質問攻めにしたそうだ。男は僕が日本でやっているネット通販のことも熱心に質問した。立ち上げたときの苦労話から将来の夢まで、一から十まで聞きたがった。僕がまいど屋の今後について計画を話すと、自分事のようにそれはいいと言って嬉しそうな顔をした。そしてまるで自分の家族に向かって言うみたいに、上手くいくといいねと親身な顔で僕を励ました。あなたは何をしているんです、と僕も男に訊いた。中国で産業インフラ関係の仕事をしているのだ、と男は答えた。米国資本の会社でマネージャーをしている。大変だけど、やりがいのある仕事だよ。上手くいくといいね、と僕は男に言った。それで僕らはお互いの人生について、改めて乾杯した。彼が持ってきたボトルが空になるまで、僕らは語り合った。僕が酔いつぶれて、いつ自分のテントに戻ったのか記憶がなくなってしまうまで。翌朝目覚めると、男はもうキャンプからいなくなっていた。朝早く車で出発したのだ、と昨晩のウエイターが教えてくれた。今度日本に来る機会があったら必ずご馳走する、と男に約束した気がするのだが、僕は男のメルアドも携帯電話の番号も聞いてはいなかった。僕が覚えているのは、男が勤務する会社の名前だけだった。それは誰もが知っている世界的な巨大企業で、いくら酔っていても忘れようのない社名だったのだ。後日のことだが、日本に帰ってきてから僕はその会社のホームページを開き、そしてあの夜一緒に飲んだ男の顔を見つけた。男は極東地域を統括する中国支社の社長だった。彼はいかにもジェントルマン風のすました顔つきで、僕が想像もつかないような壮大な事業について語っていた。テントホテルのウエイターに好き放題の悪態をついていた男と同じ人物だとは思えなかった。僕は今でも時々、仕事がしんどくなったとき、男がくれたキューバ葉巻を取り出して火をつけてみることがある。もう何年も経ってしまったから湿気た香りしかしないのだけれど、その苦味のある煙は僕に少しだけ勇気を与えてくれる気がするのだ。

前へ

第1話から読む

最新話を読む

次へ

まい子が歩いた

粋づくしシリーズ

ポケットレスブルゾン

いい夫婦の日

防災訓練

ネットワークビジネスの闇？

LEDバンドで交通安全

プロコレ！って何？

楽しいひな祭り

ホカホカシリーズ

三度目の宇宙人

スーツでガテン仕事

水平器って何？

ポロシャツで目立とう

鳶用レイン超超ロング八分

かかとが踏めるスニーカー

通販初体験

防寒ゴム手袋

わいど屋の陰謀

軽い防寒ベスト

静かな花火大会

おいしい焼きたてパン

防水か撥水か

2045年問題(後編)

母ちゃんはバイリンガル？

事務コレって何？

作業服は世界をつなぐ

ついに誕生！

母ちゃんが太った？

新紙幣発行！

まいどはクイズ王

まいど宇宙へ行く

パワーストレッチ・ソックス

外国人は和装が好き？

正社員募集中！

防塵マスクの威力

通販でも試着ができる？

ヲタクが日本を支配する？

名入れタオルで商売繁盛

大忙しのまいど屋

ラジャーの意味は？

父ちゃん殺人事件

まいど屋父ちゃん男でござる

ネット通販はなぜ安い？

夏休みの宿題

危険な交通事情

命を守るハーネス

まいどのホワイトデー大作戦

クリーンルーム見学

極寒の季節がやってきた

父ちゃんのメッセージ

制菌加工で食中毒を防げ

まいど家の夏休み

買うモノで職業がわかる！？

梅雨と自転車

カッコいい鳶服

サンタのクリスマス

ブランドモノの安全靴

命を守る防刃パネル

急な雨の備えもまいど屋で

まいど君とお姉ちゃん、キャンプに行く

おねえちゃん、職業体験に行く

3月29日は＜作業服の日＞だぜ

さあ、新年だ！書き初めだ！

クリスマスがやってくる

イタリアンなラーメン店

まいどくん秋祭り

立ち読みOK

お姉ちゃんの野望

革手偽装事件

恋する乙女の作業服

ホコリある現場

それぞれの仕事の一着

どたばたタイムセール

これも作業着！？

アメアメフレフレ

日々、進化しています

このダサい作業服からの卒業

名前入りのプレゼント

年に一度のお客様

お歳暮の中身

丈夫じゃなくていいの

おてやらわかにピンク