【寅壱】村上社長、寅壱の将来を語るimage_maidoya3
月刊まいど屋の創刊以来、寅壱の特集はもう優に10回を超えている。数あるメーカーの中でももちろん最多である。あまりに回数が多すぎて、初期のころの取材記事には残念ながらもう商品画面からはたどり着けない。月刊まいど屋の目次をスクロールして、辛抱強く各月の記事をチェックしていけば話は別だが、読者の皆さんだって、そんなにヒマではないだろう。それに、仮に皆さんの中に運悪くヒマを持て余しているひとがいたとしても、編集部としてはその記事をできれば目にしてほしくないと思っている。火山の噴火に飲まれて滅びたポンペイの遺跡のように、大量にある特集の中に埋もれて、このまま永久に人々の記憶から消え去ってほしいと願っている。
  え、そんなことを言われたら、忙しくてもわざわざ時間を割いて見てみようと思っちゃうって?よろしい。ならば言うが、その記事は記念すべき創刊号の中にある。そして、タイトルは「社長独占インタビュー」だ。今では退任していなくなってしまった当時の社長が、寅壱の将来について熱く語ってくれたのを覚えている。だが、懐かしい思いでクリックしてみても、中身は風化してしまった古代都市のようにボロボロである。ほんの数行、社長の言葉がロゼッタストーンに刻まれた四行詩のように残っているだけだ。あの輝かしいインタビューの記録は、永遠に失われてしまったのだ。まいど屋が開店して数年後に起きた、システム改修時の悲劇的なデータ消失事件によって。
  今回の企画は、ネタ探しのために先日、たまたま特集のバックナンバーを確認している時に思いついた。そうだ、なかなか面白いネタが見つからないなんてグチを言っている場合じゃない。編集部にはまだまだやり残していることがあったんだ。あの日の栄光を取り戻さなくちゃいけないんだ。それは決して過去を振り返って自分を慰めることではない。未来に向かう新しいストーリーを、まいど屋は、そしてもちろん寅壱ファンの読者の皆さんもまた、今、切実に必要としているのだ。
  今度のインタビューも、七年前の創刊号と同じように、岡山県にある寅壱本社の社長室で行った。室内は何もかも昔のままだが、社長が変わった。売れ筋の商品だって変った。変わらないのは寅壱を恋い焦がれる、全国のファンの存在だけだ。誰もが新しいストーリーを待っている。
  社長の話を聞こう。
 

寅壱
image_maidoya4
村上國治郎社長
image_maidoya5
社屋に隣接して自社工場を持つのも寅壱の強み
寅壱のロゴが入ったお馴染みのネーム。悪役商会の俳優・八名信夫さんを起用して話題をさらったCM。鳶の新ブランド『丸寅』。ストレッチの効いたスリムカーゴ。染めの手ぬぐい、倉敷帆布や刺子の小物。さらにさらに江戸時代の大名火消しの装束を現代に復刻した皮羽織・・・。これらすべての企画に関わり、世に送り出してきた仕掛け人。それが寅壱の現社長、村上國治郎氏。クリエーター気質を色濃く備えた経営者である。「今は一から商品づくりをすることがなくなったのでジャッジだけ。カッコいいか?イマイチなのか?自分の好みでジャッジする。それと、あーしろ、こーしろとも言う。ディレクターだね。綿で、カジュアルで、こういう雰囲気のものを作ってくれ・・・とか。ウチは営業が拾ってきた声でモノづくりをする。他社のコピーはしないし、トレンドとか他メーカーを意識したモノづくりもしない。そうでないと他と同じようなものになってしまう。だから自分でアンテナを張って、ほぼ感性でモノづくりをしている」。インタビュー開始直後の「社長の仕事とは?」との問いに、村上氏は即座にそう答えた。答えを聞いて、やはりそうなのかと納得した。寅壱の商品が纏う一種独特の個性は、読者の皆さんもよくご存じの通り、会議室の中から生まれてくるような種類のものでは決してない。ひとりの、周囲が絶対に異を唱えられないようなひとりの人間の感性からしか出てきやしないはずのものなのだ。編集部が睨んでいた通り、やはり寅壱のアイデンティティーは社長のそれに直結していた。そして、寅壱の世界観が、すなわち村上氏の世界観であるならば、このレポートで寅壱の未来を語る前に、もう少し社長の人となりを知っておくのも悪くはあるまい。読者の皆さんには今しばらく辛抱してもらい、ちょっと過去に遡ってみよう。
  1956年生まれの村上國治郎氏。大学卒業後、創業社長である父親が経営する『村上被服本店』(編集部注:寅壱の前身。現在、まいど屋にラインナップされている村上被服とは全く別の会社です。)に入社し、営業と企画を担当。当時すでに『寅壱』ブランドがあったという。「企画ではまずネームから入りました。それまでのデザインがパッとしないから、文字の横にトラの顔の付いたネームを作った。脇ポケットにポイントネームを付け、後ろにも『TORA』のネームを付け、少しでも商品がよく見えるように味付けをした。そしてカラー展開をどんどん進めていったら、人気に火がついて・・・」。これでピンと来た鳶職人の方、あなたも幾度となくカラー選びに迷った覚えがあるのでは?そう、ひとつ例を挙げるなら、30色以上のカラー展開で金字塔を打ち立てた伝説のヒット商品『2530』シリーズ。良質な生地を惜しげもなく使用した『2530』は多くのファンに支持され、今なおロングセラー街道をひた走っている。
  さて話は戻って、2ケタ成長のバブル期を経てデフレ時代へ。安くないとモノが売れない中、国内生産では採算が合わなくなり、寅壱も国内から海外へと生産拠点を移すこととなる。「厳しい状況が続く中、1999年に親父から社長を引き継ぎ、5年間社長を務めました。苦しかったけれど、なんとか利益を出して2004年に弟にバトンタッチ。会社は納入(企業への一括販売)に力を入れていく拡大路線を推し進め、私は販売店の強化にあたった」。
  國治郎氏が再び社長に就いたのは2008年。拡大路線から原点回帰へ方向転換を図るために、である。「納入をやると在庫を持たなければならないし、商品そのものも万人ウケする無難なものになってしまう。もういちど原点に帰ろうと大きく舵を切り、2年ほどかけて不良在庫を一気に整理した」。
  それから6年。兄・國治郎氏は寅壱社長、弟・泰仁氏は寅壱専属の縫製工場の経営者として現在に至っている。「弟は計画的にコトを進めるタイプ。私はどちらかというと作りたいものを作るタイプ。だから、作りたくない商品は作らない。・・・な~んて言いたいところだが、経営者なので作りたくないものも一部認めている(笑)」。
  社長が作りたくないと思っている商品がどれなのか、編集部としては非常に興味があるところだが、ここでは敢えて尋ねまい。聞いたところでどうなるものでもない。それよりも、私たち寅壱ファンが最も気になる未来の話を聞こうと思う。國治郎社長が今後目指すところとは。寅壱はどの方角に向かって進んでいくのか。そんな質問に、國治郎氏は迷いもなく答える。「鳶の強化。カジュアルワークの個性のある商品づくり。そして、ブランド力の強化。この3つです」。
  社長が鳶の強化とカジュアルワークの商品展開を重点目標に掲げた背景には、読者の皆さんもよく知っているある事情がある。10年ほど前からゼネコンが現場での鳶服着用を禁じはじめたこと。そして、それに代わるウエアとしてカジュアルワークの市場ができ、鳶職人たちを次々と取り込んでいることだ。「寅壱では現在のようにカジュアルが流行る前から、洗いざらしのズボンなどを展開していた。今思えば先駆けとなる商品だったけど、社長を交代したので続かなかった(笑)。まあ、ワークはワークでこれから個性的なものをやっていくけど、ウチは鳶でメシを食っているから何としても鳶を強化したい。今現在も長年寅壱を愛用していた職人さんが、禁止令で仕方なく鳶服を捨て、カジュアルワークに着替えて仕事をしている。一般の人から見ると、鳶服は威圧感があって柄が悪く見えるからだそうです。でも、そうじゃないんだ。鳶服の形には合理的な意味があって、江戸の火消以来の伝統もある。着用したことのあるひとなら、あのよさをわかっているはずです。皆さんにもう一度それを思い出してもらうのが私の仕事。ゼネコンさんにもいろいろ事情はあるでしょうが、それなら彼らが受け入れられる鳶服を出せばいい。そんな想いでゼネコンの現場に入れる細身を作った。そして、こうした細身路線から生まれたブランドが『丸寅』です」。
  鳶服は創業者が一から型紙を起こして築き上げてきただけに、國治郎社長の鳶に寄せる想いは強い。「ウチが鳶服を作り始める前、まだ専門メーカーがなかった頃の鳶職人たちは、仕立屋に頼んで各自オリジナルの鳶服を作ってもらっていた。ウチの親父はそれを見て、一から型紙を起こして鳶服を作ってきた。私が考え出した細身スタイルもゼネコン向けで定着するでしょう。まだまだやりますよ!」。
  そして最後、広い意味でのブランド力の強化について。「オリジナルにこだわりたい。どこもやらないこと、カッコいいと感じるものを作っていきたい。それには、まずモノがいいこと、キッチリしていることが大前提です」。
  確かに寅壱の商品は丈夫でキチンとしていて品質に定評がある。「他社より縫製の工程が多い」と村上社長が言うように、独自の縫製にこだわり、目に見えない部分にもミシンをしっかり走らせているからだ。「それでも“いかんな”と思うことがたまにあってね。好きで寅壱を買っていただいたお客さまからのクレームは、たまたまの1点かもしれないけど、生産部に厳しく言って気をつけさせている。品質でお客さまを裏切ってはいかんのです。クオリティーに疑問符が付いたら、いくら感性だのなんだの言っても誰にも相手にされなくなる。他の何物でもなく、コレでなければならないブランド。着ていることで豊かな気持ちになれるブランド。次は何が出るのか、次に何を着ようか、ワクワクするようなブランドであり続けたいから、徹底して品質にこだわるんです」。
  今回のトップインタビューを終えてひとつ確信が持てた。それは、寅壱はファンの期待を決して裏切らないということ。社長のこだわり、美学がある限り。そしてそのスピリットを受け継ぐ社員がいる限り。村上社長によると、寅壱テイストのさらなる強化を図るため、来春新たにデザイナーを採用する予定とか。先々に向けての布石もしっかり打たれているようだ。未来に向けた新しいストーリーはもう始まっている。次はどんな手でファンを喜ばせてくれるのか、期待をもってサプライズを待つとしよう。
 
image_maidoya6
児島を代表するメーカーとして存在感を放つ看板(JR「児島」駅)
 

    

スキなし、ワザあり、洗練スタイル!上品なヨーロピアンシルエットに骨太な寅壱スピリッツを隠し持つ2110シリーズ

「カジュアルだけど年配の方もイケる!」と村上社長も太鼓判。トップスは左右で異なる胸ポケット、左袖反射ネーム付き。カーゴはワンタック仕様で腰まわりもゆったり。素材は扱いやすくて肌触りもいいポリエステル65%、綿35%。カラーは渋さがナイスな3色展開。


寅壱上級者なら意外性のある遊びゴコロも味わい尽くす!計算されたステッチ使いで一味違う精悍さを演出する2180シリーズ

ワイルド感あるステッチ使いにジェントリーな素材のベストコンビネーションで独自の精悍さをアピール。ジップ仕様と雨ブタ付き。2つの顔をもつポケットがカッコいいトップスに、カーゴを組み合わせて。素材は吸汗性があって肌当たりのいい綿100%。