王冠をいだく頭は、ついに安らかに眠るということがない---ウィリアム・シェイクスピア 「ヘンリー四世-二部三幕一場」
<<朝起きると、大男が町からいなくなっていた。大男はその町の裏手にある山よりも背が高かったから、住人は彼がいなくなったことがすぐにわかった。巨体のせいでいつもは薄暗かった家々の窓にまで太陽の光が差し込み、それで何が起こったのかを知った者も多かった。町はすっかり見晴らしがよくなった。けれども、大男に慣れ親しんできたひとにとっては、それは随分と奇妙な風景に思えた。そして別世界に無理やり連れてこられてしまった古代バビロンのユダヤ人みたいに、きょろきょろと周囲を見回しては自分たちの行く末を案じ始めたのだ。
漠然とした不安はやがて恐怖へと変わっていった。住民たちは自分たちが未知の怪物たちに取り囲まれていることを知った。それらは運がよければ善なるものであるのかもしれない。しかし一方で、もしかしたら自分たちを邪悪な毒牙の餌食にしようとする狂暴な何かなのかもしれない。多くの人々にはその判断がつかなかった。そしてそうした場面に遭遇した人間がしばしばそうするように、ただ息を殺して注意深く様子をうかがい続けた。巨大で絶対的な存在が作る秩序は最早そこにはなかった。行く末の予測がつかなくなってしまったことに呆然としてしまい、目の前の現実をなかなか受け入れようとしない者も多かった。大男のいた町は多少窮屈であったかもしれないが、ぬくぬくと怠惰で居心地のいい、アルカロイドをたっぷりと含ませたソイルでできた箱庭だったのだ。
そういうわけで、少なからぬ人々は---自分の家にも日の光が射してくるようになったことを心密かに歓迎している一部の人間を除いて---大男を懐かしがった。彼がいる間は陰で悪口を言っていた者でさえ、大男が戻ってこないものかと大げさに嘆いて見せるほどだった。だがいくら嘆いても大男は戻ってこなかった。大男は山を越え、本当に姿を消してしまったのだ。>>
---まいど屋が今置かれた状況を寓話的に話すとざっとこんな風になる。そしてもちろん、こうした寓話には物語の最後に寓意的な解釈を付け加えることがお決まりであるから、まいど屋もその作法に倣って、このレポートが終わるまでには何がしか教訓めいた真理を導き出そうと思っている。読者の皆さんがこれから耳にするのは、ある帝国の崩壊と、その後に生まれたカオスに満ちた世界の物語である。それは業界的には、一つの事件であった。そしてその事件にまつわる一連の騒動には、まるで安っぽい三文芝居の筋書きのような飛躍の連続が伴っていた。その中でも最も観客を唖然とさせたのが、あの大男の退場直後のカムバックである。そう、先の寓話には続きがあって、大男はすぐに戻ってきたのだ。ただし、以前のような大男ではなく、ごく普通の背丈をしたレギュラーサイズの人間として。まいど屋は実際にそれを目撃した。<<大男はそこにいた。顔かたちが前と同じだったから、人々は彼にすぐ気付いた。懐かしがる人々は彼に声を掛けようと近づいて行った。それからぎょっとして思わず足を止めた。そこには、あの大男と同じ顔をした人間が3人並んで立っていた。>>
前置きはこれくらいにして、そろそろ本題に入ろう。過去10年近く、業界の話題を独占してきたサンエスと空調服社の連合王国が突然空中分解した。彼らは業界史上例のない成功を収めたあの空調服を共に育ててきた最強のペアだった。今や日本の夏の風物詩ともいわれる空調服を共有する彼らの信頼関係は傍からは鉄壁に見えていた。おまけに空調服のアイデアは盤石のパテントに守られていたから、市場に参入しようとするメーカーはどこにもなかった。日本のワーカーたちを夢中にさせていたブームは、両社だけのものだったのだ。
それが突如として終わりを告げた。今にして思えば、以前から両者の確執はあったのだろうが、少なくとも外部の者にはそれは突発的な離婚劇に見えた。そしてそうした兆候が外に一切漏れださず、当事者だけの内部に溜め込まれていた分、破局が放出するエネルギーは爆発的だった。かつておしどり夫婦と囃された芸能人のカップルが別れた途端に互いを罵り合うみたいに、その決裂は派手なマイクパフォーマンスを伴うアピール合戦となり、部外者にはちょっとした見ものになった。もちろん、堅固な城壁が崩れた市場には多くの新規参入者が乱入してきた。その数はまいど屋の知る限り、全部で11社にもなる。
始めに断わっておきたいのだが、まいど屋はこの特集で下世話な週刊誌のようなゴシップ記事を書くつもりはない。作業着について考察する真面目な特集であるから、事実関係だけを簡潔に書く。長年にわたりパートナーとして良好な関係を続けていたサンエスと空調服社が協力関係を解消して争い始めた。サンエスは戦いを有利にしようと、同業他社であるビッグボーンとアタックベースを引き入れて連合を組んだ。この3社は、それぞれのブランドの垣根を超え、全く同じ空調服を共同で販売することで合意した。さて、それからどうなったか。サンエス企画部 MP企画室室長の久保田さんに話を聞こう。
<<朝起きると、大男が町からいなくなっていた。大男はその町の裏手にある山よりも背が高かったから、住人は彼がいなくなったことがすぐにわかった。巨体のせいでいつもは薄暗かった家々の窓にまで太陽の光が差し込み、それで何が起こったのかを知った者も多かった。町はすっかり見晴らしがよくなった。けれども、大男に慣れ親しんできたひとにとっては、それは随分と奇妙な風景に思えた。そして別世界に無理やり連れてこられてしまった古代バビロンのユダヤ人みたいに、きょろきょろと周囲を見回しては自分たちの行く末を案じ始めたのだ。
漠然とした不安はやがて恐怖へと変わっていった。住民たちは自分たちが未知の怪物たちに取り囲まれていることを知った。それらは運がよければ善なるものであるのかもしれない。しかし一方で、もしかしたら自分たちを邪悪な毒牙の餌食にしようとする狂暴な何かなのかもしれない。多くの人々にはその判断がつかなかった。そしてそうした場面に遭遇した人間がしばしばそうするように、ただ息を殺して注意深く様子をうかがい続けた。巨大で絶対的な存在が作る秩序は最早そこにはなかった。行く末の予測がつかなくなってしまったことに呆然としてしまい、目の前の現実をなかなか受け入れようとしない者も多かった。大男のいた町は多少窮屈であったかもしれないが、ぬくぬくと怠惰で居心地のいい、アルカロイドをたっぷりと含ませたソイルでできた箱庭だったのだ。
そういうわけで、少なからぬ人々は---自分の家にも日の光が射してくるようになったことを心密かに歓迎している一部の人間を除いて---大男を懐かしがった。彼がいる間は陰で悪口を言っていた者でさえ、大男が戻ってこないものかと大げさに嘆いて見せるほどだった。だがいくら嘆いても大男は戻ってこなかった。大男は山を越え、本当に姿を消してしまったのだ。>>
---まいど屋が今置かれた状況を寓話的に話すとざっとこんな風になる。そしてもちろん、こうした寓話には物語の最後に寓意的な解釈を付け加えることがお決まりであるから、まいど屋もその作法に倣って、このレポートが終わるまでには何がしか教訓めいた真理を導き出そうと思っている。読者の皆さんがこれから耳にするのは、ある帝国の崩壊と、その後に生まれたカオスに満ちた世界の物語である。それは業界的には、一つの事件であった。そしてその事件にまつわる一連の騒動には、まるで安っぽい三文芝居の筋書きのような飛躍の連続が伴っていた。その中でも最も観客を唖然とさせたのが、あの大男の退場直後のカムバックである。そう、先の寓話には続きがあって、大男はすぐに戻ってきたのだ。ただし、以前のような大男ではなく、ごく普通の背丈をしたレギュラーサイズの人間として。まいど屋は実際にそれを目撃した。<<大男はそこにいた。顔かたちが前と同じだったから、人々は彼にすぐ気付いた。懐かしがる人々は彼に声を掛けようと近づいて行った。それからぎょっとして思わず足を止めた。そこには、あの大男と同じ顔をした人間が3人並んで立っていた。>>
前置きはこれくらいにして、そろそろ本題に入ろう。過去10年近く、業界の話題を独占してきたサンエスと空調服社の連合王国が突然空中分解した。彼らは業界史上例のない成功を収めたあの空調服を共に育ててきた最強のペアだった。今や日本の夏の風物詩ともいわれる空調服を共有する彼らの信頼関係は傍からは鉄壁に見えていた。おまけに空調服のアイデアは盤石のパテントに守られていたから、市場に参入しようとするメーカーはどこにもなかった。日本のワーカーたちを夢中にさせていたブームは、両社だけのものだったのだ。
それが突如として終わりを告げた。今にして思えば、以前から両者の確執はあったのだろうが、少なくとも外部の者にはそれは突発的な離婚劇に見えた。そしてそうした兆候が外に一切漏れださず、当事者だけの内部に溜め込まれていた分、破局が放出するエネルギーは爆発的だった。かつておしどり夫婦と囃された芸能人のカップルが別れた途端に互いを罵り合うみたいに、その決裂は派手なマイクパフォーマンスを伴うアピール合戦となり、部外者にはちょっとした見ものになった。もちろん、堅固な城壁が崩れた市場には多くの新規参入者が乱入してきた。その数はまいど屋の知る限り、全部で11社にもなる。
始めに断わっておきたいのだが、まいど屋はこの特集で下世話な週刊誌のようなゴシップ記事を書くつもりはない。作業着について考察する真面目な特集であるから、事実関係だけを簡潔に書く。長年にわたりパートナーとして良好な関係を続けていたサンエスと空調服社が協力関係を解消して争い始めた。サンエスは戦いを有利にしようと、同業他社であるビッグボーンとアタックベースを引き入れて連合を組んだ。この3社は、それぞれのブランドの垣根を超え、全く同じ空調服を共同で販売することで合意した。さて、それからどうなったか。サンエス企画部 MP企画室室長の久保田さんに話を聞こう。
サンエス
性能がアップしたバッテリー、厚型ファン、薄型ファン
チタン加工・風気路付きで涼しさMAXの『KU9220』
取材に対応してくれた久保田さんの表情は、思っていた以上に明るかった。動作にきびきびしたリズムがあり、声にはハリがあった。それはこのような公的な広報活動を行う際にありがちな、担当者としての職責によるポーズではなく、極めて自然な感情から来る態度のようだった。演じられる快活さは、押し隠した悲壮感が図らずもところどころに顔をのぞかせてしまうものだが、そうした気配は全くなかった。今現在、サンエスが置かれた状況を考えると、それは奇跡的なことのようにも思える。固くなっているのは、むしろインタビューを申し込んだまいど屋の方かもしれなかった。
「何から話しましょう」と、久保田さんは言った。一年前と同じ、開放的な口調だった。
「そうですね、サンエスさんが今の状況をどう思っているのかについて」
「ウェアについての取材じゃないんですか?」久保田さんは小さく笑ってからそう言うと、背筋を伸ばしてこちらに向き直った。「商品についての質問がないのなら、お話はできませんよ」。
「あ、いえ、そういうつもりではないんです。ただ、去年の取材で空調服についてはもう書き尽くしたと思っていたら、またこうしてお会いすることになった。しばらく特集することはないはずだった空調服が、どうして今また話題の中心にあるのか、そこのところをクリアにしてからでないと、取材記事として話がうまく回転し始めないものですから」
「空調服ではなく、空調風神服です」と久保田さんがにこやかにたしなめた。ああ、そうでしたね、すみません、とまいど屋は謝った。そう、去年まで「空調服」だったものが、今は「空調風神服」と名乗らなければいけないことが、今度の騒動の根本的な問題なのだ。
例のケンカ別れの結果、空調服は空調服社だけの独占的な商標となり、袂を分かったサンエスは空調風神服を展開する。サンエスとのつながりを重視したまいど屋は、もちろん枝分かれした空調風神服を販売していくことになったのだが、正直に言うと、そうした今回の事態はまいど屋にとってはあまりいい話ではなかった。というのも、ファン付きブルゾンを取り扱う店が飛躍的に増えてしまったからだ。これまでサンエスの空調服を取り扱えなかった多くの販売店が他メーカーからの調達によってチャンスをつかんだことは、そのまま空調服正規代理店であるまいど屋の優位性が損なわれることを意味する。もちろん、当のサンエスにとっても、ライバルが一挙に増えたことに対する危機感があるはずだ。そこのところの本音を、是非、聞きたいのだ。
だが、久保田さんの答えは役人の国会答弁のように模範的だった。「これまで夏のユーザーから敬遠されてきたブルゾンを売ろうと、各社がファン付きに力を入れるのは当然のこと。今のこの状況は、特許の絡みもあって、それなりの開発期間を経て各社出揃ったという感じではないでしょうか」
会社の方針として、そうコメントするようにきつく言われているのだろうか。それとも、本当にそんな風に思っているのだろうか。多くのメーカーが参入したといっても、確かにサンエスには一日の長がある。客観的に見て、商品の完成度の点からも、張り巡らされた販売網の点からも他社を引き離しているように思える。久保田さんの返しが至って冷静なのはそのためなのか。「昼休みに空調服のスイッチをONしたままラーメン屋に行く、なんて話も耳にしています。当初、ネタ扱いだった空調服がここまで浸透したんです。それは喜んでいいことなのではないでしょうか」。
かつては最強を誇ったローマ帝国が最後はコンスタンティノープルをあっさりと明け渡して滅亡したのに似て、永遠に続くと思われた空調服=サンエス連合の歴史もまた、実にあっけなく終わってしまった。そして今、そのカオスの中から、新たな歴史が始まりつつある。済んでしまったことをあれこれ言ってみても益がない。空調服社との件について言葉を濁す久保田さんが月刊まいど屋の読者に伝えたいのは、野次馬的な興味をそそるドタバタ劇の内幕や、感情に任せた他社の陰口ではなく、サンエス自身の内面に生じたある種の再生に関する物語ではないだろうか。確かにサンエスには、今、語るべきストーリーがあるようだ。空調風神服となってウェアの性能は大きく進化した。すべてが空調服だった旧モデルより格段にグレードアップしているのだ。それでは、以下、要素ごとに進化の具合を見ていこう。
≪ファンの進化①/新型ななめファンで風量アップ!≫
「ファンに10°の傾斜をつけたことで、これまで下に逃げていた空気を上に持っていけるようになり、より効率的に送風できるようになりました。それに、装着してからも傾斜の向きが変えられ、風を中央に集める、脇に分散させるなど、好きなように調節できるんです」
また、ファンの装着が簡単になったのも改良点だ。旧型は爪の位置がわかりにくかったため、新型は爪部分を大きく張り出させ、その爪に引っかけて押し込むだけで装着できるようにしている。
≪ファンの進化②/さらに高風量・高寿命の薄型ファンも登場≫
新型ファンは厚型と薄型の2種類。厚型は従来ファンと同様に丸く出っ張っていて厚さは48.5mm。薄型は小型高性能なブラシレスモーターを搭載し、厚さ36mmのフラットな形状に抑えられている。「薄型は設計寿命が5000時間と、従来品の約6倍、厚型の約3倍の耐久性があります。最大風量も従来品より20%もアップし、より涼しく着ていただけます」
風量は「強」「中」「弱」「最弱」の4段階。薄型の「強」は55L/秒の風量があり、5時間の連続運転が可能。一方、厚型の「強」は薄型の「中」と同じ50L/秒で、どちらも連続8時間と1日の作業をカバーできる。厚型の「最弱」に至っては40時間も持つ。
「厚型の方が少々安いのでよく出ていますが、薄型は設計寿命が長く、風量が1ランク上なのでオススメ」と、久保田さんは薄型を推す。
≪バッテリーの進化/従来品の1.4倍に容量アップ≫
リチウムイオンバッテリーは、「日本製の部品を使い、日本で組み立てた完全日本製」で、容量は従来品の1.4倍。難燃プラスチックを使用し、コネクター部分にフタが付いた簡易防水になっている。
なお、「充電器(ACアダプター)は従来品と互換性があり、お持ちの方はそのまま使っていただけます」とのことだ。
≪ウェアの進化/柄物、半袖、ランヤード対応などさらに多彩に≫
もちろん、ウェアも大きく進化している。まず、「涼しさはコレクションの中で最強!」という、裏側チタン加工の『KU92600』。赤外線をカットして炎天下での服内の温度上昇を抑えてくれる優れモノだ。「チタン加工だけで体感温度がマイナス2度。なおかつ、背中に風気路という大きなマチを入れ、首の後ろを効果的に冷やすようにしています」
風気路の下には保冷剤を入れるメッシュポケットがあり、ドラッグストアなどで保冷剤を調達すれば、風そのものを冷やして涼しく着られる。また、現場仕事向けに肩パッドと袖に補強布を付けたタフな作りも魅力だ。
また、これまで受注生産品だった高所作業向けのフルハーネス仕様もレギュラーモデルとして登場した。「これまでは、ご要望に応じて別注で対応していましたが、それだとシーズンの半年以上も前から打ち合わせをして注文を頂かなければなりません。ウェアの調達を余程計画的にしている企業さんでない限り手に入らなかったんです。確かにニッチですが、必要な方は確実にいらっしゃるということで、今期から3モデルを商品化しました」
久保田さんがブルゾンの背中に付いたファスナーを開き、袋のようなものを引っ張り出す。「ハーネスを着用した上で空調風神服を着て、この袋を通してランヤードと接続します。あとは、風が逃げないように袋の口を紐で絞るだけ」。
肩前にはフック掛けD環も付いているから、地上に降りても使い勝手がよさそうだ。
ユーザーからの要望が多く、何年ぶりかで復活したという半袖モデルにも注目したい。「ゴルフをする方、腕を動かす仕事や水仕事の方など、袖が邪魔になる方は意外に多いんですよ。そこで半袖タイプ1つと、長袖から半袖に切り替えができる2WAYタイプ2つの計3モデルを出しました」。
このインタビューで久保田さんは言及しなかったが、この他にもカジュアル感のあるヘリンボンや味のあるグレンチェックなど柄物も登場し、まいど屋にラインナップされた空調風神服のコレクションは、今では29モデルもある。数年前のアイテム数から思うとまさに隔世の感がするほどの充実ぶりだ。久保田さんが戦国状態となったマーケットを冷静に受け入れ、まいど屋のような販売店にも落ち着いて対処するよう諭すのは、これだけの品揃えと完成度をもってすれば、ある意味で当然なのかもしれない。
大男は確かにいなくなった。だが、それは世界の終わりでは決してなかった。大地は依然として足元にあり、私たちの両足は今でもそれをしっかりと踏みしめている。見慣れぬ景色に思えるものは、視点を変えて眺めるオリジナルの風景に他ならない。それに気付けば、そこには以前にはなかった新しいチャンスが広がっている。久保田さんがこの長いインタビューを通じて訴えたかったのは、正にその一点に尽きるのではないか。バビロン捕囚が結果として囚われた人びとのアイデンティティーを目覚めさせ、ユダヤ教を生み出したように、空調服が多数乱立する新世界に連れてこられてしまったまいど屋にとってもまた、今度の事件が自身の立ち位置を再考する大きなきっかけになるのかもしれない。このレポートを書き終えた今、本当にそう感じ始めている。
「何から話しましょう」と、久保田さんは言った。一年前と同じ、開放的な口調だった。
「そうですね、サンエスさんが今の状況をどう思っているのかについて」
「ウェアについての取材じゃないんですか?」久保田さんは小さく笑ってからそう言うと、背筋を伸ばしてこちらに向き直った。「商品についての質問がないのなら、お話はできませんよ」。
「あ、いえ、そういうつもりではないんです。ただ、去年の取材で空調服についてはもう書き尽くしたと思っていたら、またこうしてお会いすることになった。しばらく特集することはないはずだった空調服が、どうして今また話題の中心にあるのか、そこのところをクリアにしてからでないと、取材記事として話がうまく回転し始めないものですから」
「空調服ではなく、空調風神服です」と久保田さんがにこやかにたしなめた。ああ、そうでしたね、すみません、とまいど屋は謝った。そう、去年まで「空調服」だったものが、今は「空調風神服」と名乗らなければいけないことが、今度の騒動の根本的な問題なのだ。
例のケンカ別れの結果、空調服は空調服社だけの独占的な商標となり、袂を分かったサンエスは空調風神服を展開する。サンエスとのつながりを重視したまいど屋は、もちろん枝分かれした空調風神服を販売していくことになったのだが、正直に言うと、そうした今回の事態はまいど屋にとってはあまりいい話ではなかった。というのも、ファン付きブルゾンを取り扱う店が飛躍的に増えてしまったからだ。これまでサンエスの空調服を取り扱えなかった多くの販売店が他メーカーからの調達によってチャンスをつかんだことは、そのまま空調服正規代理店であるまいど屋の優位性が損なわれることを意味する。もちろん、当のサンエスにとっても、ライバルが一挙に増えたことに対する危機感があるはずだ。そこのところの本音を、是非、聞きたいのだ。
だが、久保田さんの答えは役人の国会答弁のように模範的だった。「これまで夏のユーザーから敬遠されてきたブルゾンを売ろうと、各社がファン付きに力を入れるのは当然のこと。今のこの状況は、特許の絡みもあって、それなりの開発期間を経て各社出揃ったという感じではないでしょうか」
会社の方針として、そうコメントするようにきつく言われているのだろうか。それとも、本当にそんな風に思っているのだろうか。多くのメーカーが参入したといっても、確かにサンエスには一日の長がある。客観的に見て、商品の完成度の点からも、張り巡らされた販売網の点からも他社を引き離しているように思える。久保田さんの返しが至って冷静なのはそのためなのか。「昼休みに空調服のスイッチをONしたままラーメン屋に行く、なんて話も耳にしています。当初、ネタ扱いだった空調服がここまで浸透したんです。それは喜んでいいことなのではないでしょうか」。
かつては最強を誇ったローマ帝国が最後はコンスタンティノープルをあっさりと明け渡して滅亡したのに似て、永遠に続くと思われた空調服=サンエス連合の歴史もまた、実にあっけなく終わってしまった。そして今、そのカオスの中から、新たな歴史が始まりつつある。済んでしまったことをあれこれ言ってみても益がない。空調服社との件について言葉を濁す久保田さんが月刊まいど屋の読者に伝えたいのは、野次馬的な興味をそそるドタバタ劇の内幕や、感情に任せた他社の陰口ではなく、サンエス自身の内面に生じたある種の再生に関する物語ではないだろうか。確かにサンエスには、今、語るべきストーリーがあるようだ。空調風神服となってウェアの性能は大きく進化した。すべてが空調服だった旧モデルより格段にグレードアップしているのだ。それでは、以下、要素ごとに進化の具合を見ていこう。
≪ファンの進化①/新型ななめファンで風量アップ!≫
「ファンに10°の傾斜をつけたことで、これまで下に逃げていた空気を上に持っていけるようになり、より効率的に送風できるようになりました。それに、装着してからも傾斜の向きが変えられ、風を中央に集める、脇に分散させるなど、好きなように調節できるんです」
また、ファンの装着が簡単になったのも改良点だ。旧型は爪の位置がわかりにくかったため、新型は爪部分を大きく張り出させ、その爪に引っかけて押し込むだけで装着できるようにしている。
≪ファンの進化②/さらに高風量・高寿命の薄型ファンも登場≫
新型ファンは厚型と薄型の2種類。厚型は従来ファンと同様に丸く出っ張っていて厚さは48.5mm。薄型は小型高性能なブラシレスモーターを搭載し、厚さ36mmのフラットな形状に抑えられている。「薄型は設計寿命が5000時間と、従来品の約6倍、厚型の約3倍の耐久性があります。最大風量も従来品より20%もアップし、より涼しく着ていただけます」
風量は「強」「中」「弱」「最弱」の4段階。薄型の「強」は55L/秒の風量があり、5時間の連続運転が可能。一方、厚型の「強」は薄型の「中」と同じ50L/秒で、どちらも連続8時間と1日の作業をカバーできる。厚型の「最弱」に至っては40時間も持つ。
「厚型の方が少々安いのでよく出ていますが、薄型は設計寿命が長く、風量が1ランク上なのでオススメ」と、久保田さんは薄型を推す。
≪バッテリーの進化/従来品の1.4倍に容量アップ≫
リチウムイオンバッテリーは、「日本製の部品を使い、日本で組み立てた完全日本製」で、容量は従来品の1.4倍。難燃プラスチックを使用し、コネクター部分にフタが付いた簡易防水になっている。
なお、「充電器(ACアダプター)は従来品と互換性があり、お持ちの方はそのまま使っていただけます」とのことだ。
≪ウェアの進化/柄物、半袖、ランヤード対応などさらに多彩に≫
もちろん、ウェアも大きく進化している。まず、「涼しさはコレクションの中で最強!」という、裏側チタン加工の『KU92600』。赤外線をカットして炎天下での服内の温度上昇を抑えてくれる優れモノだ。「チタン加工だけで体感温度がマイナス2度。なおかつ、背中に風気路という大きなマチを入れ、首の後ろを効果的に冷やすようにしています」
風気路の下には保冷剤を入れるメッシュポケットがあり、ドラッグストアなどで保冷剤を調達すれば、風そのものを冷やして涼しく着られる。また、現場仕事向けに肩パッドと袖に補強布を付けたタフな作りも魅力だ。
また、これまで受注生産品だった高所作業向けのフルハーネス仕様もレギュラーモデルとして登場した。「これまでは、ご要望に応じて別注で対応していましたが、それだとシーズンの半年以上も前から打ち合わせをして注文を頂かなければなりません。ウェアの調達を余程計画的にしている企業さんでない限り手に入らなかったんです。確かにニッチですが、必要な方は確実にいらっしゃるということで、今期から3モデルを商品化しました」
久保田さんがブルゾンの背中に付いたファスナーを開き、袋のようなものを引っ張り出す。「ハーネスを着用した上で空調風神服を着て、この袋を通してランヤードと接続します。あとは、風が逃げないように袋の口を紐で絞るだけ」。
肩前にはフック掛けD環も付いているから、地上に降りても使い勝手がよさそうだ。
ユーザーからの要望が多く、何年ぶりかで復活したという半袖モデルにも注目したい。「ゴルフをする方、腕を動かす仕事や水仕事の方など、袖が邪魔になる方は意外に多いんですよ。そこで半袖タイプ1つと、長袖から半袖に切り替えができる2WAYタイプ2つの計3モデルを出しました」。
このインタビューで久保田さんは言及しなかったが、この他にもカジュアル感のあるヘリンボンや味のあるグレンチェックなど柄物も登場し、まいど屋にラインナップされた空調風神服のコレクションは、今では29モデルもある。数年前のアイテム数から思うとまさに隔世の感がするほどの充実ぶりだ。久保田さんが戦国状態となったマーケットを冷静に受け入れ、まいど屋のような販売店にも落ち着いて対処するよう諭すのは、これだけの品揃えと完成度をもってすれば、ある意味で当然なのかもしれない。
大男は確かにいなくなった。だが、それは世界の終わりでは決してなかった。大地は依然として足元にあり、私たちの両足は今でもそれをしっかりと踏みしめている。見慣れぬ景色に思えるものは、視点を変えて眺めるオリジナルの風景に他ならない。それに気付けば、そこには以前にはなかった新しいチャンスが広がっている。久保田さんがこの長いインタビューを通じて訴えたかったのは、正にその一点に尽きるのではないか。バビロン捕囚が結果として囚われた人びとのアイデンティティーを目覚めさせ、ユダヤ教を生み出したように、空調服が多数乱立する新世界に連れてこられてしまったまいど屋にとってもまた、今度の事件が自身の立ち位置を再考する大きなきっかけになるのかもしれない。このレポートを書き終えた今、本当にそう感じ始めている。
背中にランヤード取り出し口の付いた『KU91400F』
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ファスナーで半袖にも長袖にもなる『KU91630』
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よりカジュアルに、よりカッコよく、より快適に!素材、柄、仕様ともに、さらに充実の基本コレクション これまでも、カモフラ柄、スタッフブルゾン、高視認とアイテムを広げてきたコレクションがいっそう多彩に。ワークウェアでお馴染みのへリンボン生地や、味のあるワンウォッシュ加工のグレンチェック柄、サラリとした着心地で洗濯耐久性にも優れたトロピカル素材のウェアなどが新たに登場し、作業や環境に合わせてセレクト自在。 |
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