【関東鳶】長いお別れimage_maidoya3
関東鳶は死んだ。今さらではあるが、まいど屋は敢えて企画した今回の鳶特集において、関東鳶に対する死亡診断書を正式に書き下そうと思う。敢えて--そう、今月のレポートはいつものような、珍しい花を摘み取った子供が母親に駆け寄って報告するような調子で書き始めているわけではない。編集部の心情はむしろ正反対で、記憶がおぼろげになったはるか昔の輝きを思い返そうとする老人のように、どこか物悲しく、同時に冷め切ってしまっている。そこには現状に対する限りない諦めと、ときには自己憐憫さえ含まれているかもしれない。それでも私たちは記憶をたどる。頭に浮かんでくるイメージは頼りなく、いくばくかの事実関係には多少不正確なところもあるだろう。幼少期の記憶が常に甘美であるように、想い出は美化され、誇張されていることもあるだろう。だが、失われてしまった過去には、確かに楽園があったのだ。まぶしい太陽の下、無限に広がっていた手つかずの未来が。ただ普通に歩き続けるだけで、ほとんど当たり前のように確定すると思われた限りない可能性が。私たちが夢を見ていたのでないとするならば。
  華やかなオープニングファンファーレを合図に語り出すべき月刊まいど屋の特集で、なぜこうした無意味な作業を始めようとしているのか。恐らく読者の皆さんは訝しがられていることと思う。それはもっともなことではある。しかしながら、先々の見込みがない人間の繰り言に耳を傾ける暇はないと心を閉ざす前に、皆さんも思い返してみてほしい。そうした冷ややかな態度をとる皆さんにしても、かつては幸せな同時代の空気を吸っていたのだ。私たちと同じように、無邪気に明日を信じていたのだ。まいど屋は今回の特集によって一つのけじめをつけたかった。そしてうすうす事情を察していながら声を上げることをしなかった皆さんにも、今日この日の葬送に付き合う道義的責任がある、とまいど屋は考える。
  つい先ほど、関東鳶をラインナップするまいど屋の画面は、失われゆく生命の最期の光がまさに燃え尽きようとする刹那のごとく、ほんのわずかに輝きを増したようである。関東鳶は死の床で、今この瞬間、奇跡的に目を開けている。お別れを言うのなら、これが最後の機会になるだろう。そしてその別れは、チャンドラーが描いたあの名作のラストシーンのように、絶望とノスタルジーが交錯する複雑な余韻に包まれることだろう。
  さよなら、関東鳶。総合企画部門 開発室次長の佐藤知弘さんに話を聞く。
 

関東鳶
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今も関東鳶の再生を信じる佐藤次長
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トリコット素材のワークシャツ『650』
「期待を裏切り続けてしまったことについては、本当に申し訳なく思っています」、と佐藤さんは伏し目がちに言った。「確かに私たちは多くの人気商品を殺してしまいました。残ったものはごくわずかで、アイテム数的に考えれば、関東鳶は死の床に就いているのかもしれない。皆さんが我々のラインナップに、昔の姿だけを追い求めているのであれば」。
  アイテム数的に?もちろん、そうだ。まいど屋は、そして全国の鳶職人たちは、関東鳶にかつての圧倒的な品揃えと、そこから必然的に生じてくるあの強い磁力を期待していた。それ以外に何がある?
  「そうですか。そういうことならやはり私たちは死んだというべきなんだと思います。まいど屋さん、あなたにこれ以上言うべき言葉はありません。今回、この場でお会いするのが最後の機会になるでしょう」
  そういうことでなければ?
  「生まれ変わるということです。新しい世界で、新しい可能性を試すんです。ただ、そこはこれまでの関東鳶に親しんできた人びとにとっては、それほど居心地がいい場所ではないかもしれない。人間は見慣れぬものに対して、往々にして拒絶反応を示すものだからです。しかし、そうした最初の思い込みを乗り越えてその地に体を徐々に慣らしていけば、周りの風景は全く違って見えてくるはずです。関東鳶が生まれ変わるといっても、伝統ある鳶装束を愛用されている方を切り捨てるのではありません。現在残っている鳶服をできる限り守っていきながら、装束に代わるものとして新たな商品の開発に注力しているところです」。
  佐藤さんの静かな語りは何かしらの希望を示唆してはいたものの、それはあまりに具体性に欠け、単なる気休めのようにしか聞こえなかった。死期の迫った人間に対し、自分でも全く信じていない励ましの言葉をかけているような虚ろな明るさが、事態の深刻さを却って強調しているように思えた。まいど屋は今、関東鳶にどんな言葉をかけるべきだろう?佐藤さんの話に相槌を打ち、自分自身を一時的に欺いてでも、再生の物語に身をゆだねてこの場の重苦しさから逃れるべきなのか。それがまいど屋に求められている態度であり、優しさなのか。
  「私の話を信じていないんですね」
  いや、そうじゃない、とまいど屋は言った。それ以外にどんな言いようがある?死にかけたひとが語る明日の希望に対しては、そんなことは起こるはずがないなどと断言する理性はいつだって必要とはされていない。夢に寄り添い、とうとう最期の瞬間がやって来て夢が夢のまま無の彼方に連れ去られてしまうその時まで、そっと手を握っていてやるべきなのだ。まいど屋は、まだ僅かに残された関東鳶の手の温かみを感じている。力ないグリップから伝わってくる、生存への本能的な執着を。そもそも、どうしてこんなことになったんだ?あれほど魅力的で生命力にあふれていた関東鳶が、どうしてこんな姿に変わってしまったんだ?
  「大手ゼネコンが超超ロングなどの鳶装束をNGと言い始めてから15年ぐらいたつんですよ」、と佐藤さんは言った。「その流れで、現場の仕事着は伝統的な鳶装束から一般ワークウェアへと移行していったんです。店でも徐々に装束を置かなくなり、買う場所が減っていった。もちろん、大手ゼネコンとは関係のない職人さんだってたくさんいましたよ。そういうひとたちは超超ロングを必要としていましたが、大きな流れができてしまったんです。そして一旦そういう方向へ物事が動き出すと、もう誰にも止められなくなってしまうんです。それで、これまで装束で身を固めていた方々は、次に何を着たらいいのか悩むようになった。私の理解は正しいですか?」
  正しいと思いますよ、とまいど屋は言った。概ねですが、という言葉は飲みこんだ。だって、関東鳶が店の売り場から消えて行ったのは、関東鳶さん、あなた方がどんどんアイテム数を絞っていった結果でもあるんですよ。コレクションが貧弱になり、ユーザーが離れた。それを見て店の店主は、ますます関東鳶の売り場を縮小していった。流れに加担したのは、あなた方自身なんですよ。
  「私たちは長年のファンの方々を切り捨てるつもりはありません」と、佐藤さんはなおも繰り返す。自分たちがしてきたことなどすっかり忘れてしまったみたいに。「市場のルールが変わった。私たちはそれに合わせて私たちの姿を変えることにした。何を着たらいいかと悩んでいるひと達に、これまでの延長線上にはない新しい提案ができるようになるために」。
  どんな提案ができるというんです?
  「例えば、今年の春夏向けで出した比翼シャツ『325』があります。鳶シャツ(立ち襟シャツ)を昔ながらの流れでアレンジしたもので、いちばんのウリは、空羽織り(あけはおり)という通気性に優れた生地。なかなかない素材で、当社で初めて採用しました」
  佐藤さんは用意していた紺色のシャツをこちらに差し出した。触れてみると、薄くて軽い割にはハリがある生地だった。肌にまとわりつくことなく、シャキッと着映えするんですよ、と佐藤さんは言った。そして、「通気量がT/C単糸ツイルの4倍もあり、スーッと風が通って汗ばむ季節にはうってつけなのだ」と付け加えた。「通気性だけでなく速乾性にも優れていて、汗をかいてもすぐ乾く。多少ですがストレッチ性もあります」。
  その他には?
  佐藤さんはこちらに向かって小さく頷いた。それから、まるで親しい友人に何かの秘密を打ち明けるように声を落とし、「少し待っていてください」と言って部屋を出て行った。5分ほどしてから彼が戻ってきたときには、右手にいくつかの見慣れぬ商品を抱え、左手には使い古したように色褪せた茶色の手提げカバンを一つ提げていた。
 
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  「これからお見せするのは、生まれ変わろうとしている関東鳶です」と佐藤さんは言った。表情は先ほどより幾分明るく見え、声には力強さが戻りつつあるように聞こえた。佐藤さんは部屋に持ち込んだ商品を袋から取り出しながら、テーブルの上に一品一品並べていった。それは死の床にある人間が、ベッドから突然起き上がって動き始めたような光景に見えた。
  佐藤さんが関東鳶の「新しい可能性」の一例だとしたのは、次のような商品だ。
  一つ目は、ニット素材で仕立てたワークシャツ『650』。鳶シャツの系譜を受け継ぐフルオープンシャツで、関東鳶のカーゴパンツ、パワーカーゴ(太めのカーゴ)とコーディネートできるという。「これまでにも鳶Tシャツ、鳶ポロシャツをラインナップしていますが、カチッとした縦編みニット素材(トリコット)のシャツは初めて。ミニ襟仕様のフルオープンタイプなので、これまで立ち襟を着ていた方も移行しやすいと思います」。
  手袋着用でも開閉が簡単にできるよう、パチンと留めるドットボタンを採用。右胸にはファスナーポケット、左胸には雨ブタ付きポケット、袖にはペン差しポケットが付いている。洗濯耐久性に優れたポリエステル100%のトリコットなので、頻繁に洗ってもヘタレにくく、一般的なカジュアルポロのようにすぐにヨレてくることはないという。「現場作業着として必要な機能をしっかり盛り込んでいます。右胸ポケットは、カバン用に使われる太めのファスナーでハード感あるデザインに。これまで装束を着てきた方たち向けなので、骨太感を大切にしました」。
  二つ目は半袖ポロシャツ『550』。こちらもポリエステル100%のトリコット。深めの開きとパチパチ留められるドットボタンで脱ぎ着や調節もラクにできる。左右の胸ポケットにはハード感ある太ファスナーを使い、デザインとしてもシャレている。
  両シリーズとも確かに鳶さんが喜びそうな商品だ。どちらもホワイト、ネイビー、ブルー、サックスの4色あり、人目を引く華やかも備えている。しかし、まいど屋が注目したのは、その脇に置かれたままになっているボトムの方だった。
  「ああ、これですか」と佐藤さんはまいど屋の視線に気づいてそのパンツを広げて見せた。
  それはまいど屋の人気ランキングを長年にぎわせてきた江戸前超ロングだった。生地はざっくりとした質感が着込むほどに味わいを増す定番のサージで、未だ関東鳶を支持しているコアなファンが好んでリピートしてくる『7440』だ。だが、それはまいど屋が取り扱っているいつもの『7440』よりも、心なしかシェイプアップされた印象があった。
  「これまでのラインナップになかった細身タイプなんですよ。色はネイビー(龍)、グレー(虎)の2色で、広くは公表していないんですが、れっきとした新商品です」。
  細身とはいうものの、細すぎないので動きやすさも担保されている、と佐藤さんは言う。そして、関東鳶の「再生」への意欲は、こうした既存商品のマイナーチェンジにも表れているのだと念を押すように付け加える。声はさらに張りを増し、意欲にあふれた表情からは自分の未来を信じて疑わない人間に特有の力強さが溢れている。
  佐藤さんは満足そうにまいど屋を見た。しかし、それ以上は後が続かなかった。出てきた新商品はわずか4つで、そのうちの3つは単品の上着だ。パンツは1つしかなく、しかも、既存シリーズの派生モデルなのだ。再生?佐藤さんの言葉は本当だろうか?まいど屋は今、できれば目にしたくなかった、それでも心のどこかで覚悟を決めていた運命が、とうとう関東鳶の背中を捕まえたところに立ち会っているのではないのか?佐藤さんが語る明日の話は、まいど屋がおそれていた何かに似ていた。そう、刻々と近づいている最後の瞬間をひとり知らずにいる、悲劇の主人公のような無邪気さに。夏祭りの花火のエンディングにも似た、静寂を迎える前の最後の輝きに。
  今日はいいものを見せてもらいました、とまいど屋は丁寧に言って頭を下げた。これまで本当にありがとう。きっとまた会えると思っていますよ。そのときは、また楽しいお話を聞かせてください。「来世で」とは言わず右手を差し出すと、佐藤さんは急に寂しそうに笑って首を振った。そして見舞いに訪れた友人が帰る際、病人が決まって見せる狼狽の色を押し隠すように、「実はまだ一つ、お見せしたいものがあるんです」と言って手提げカバンのファスナーを開いた。中に入っていたのは、一揃いになったダークネイビーのパンツとジャケットだった。
 
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  「本当はまだ上から止められているんです」。こちらの様子を慎重に伺いながら、佐藤さんはそう言った。「でも、まいど屋さんは私の話に満足していないようですから、オフレコで話すんです。このまま帰ってもらっても、お互い理解し合えたことにはならないでしょう。だからお見せします。これが本当の意味で、『これまでの延長線上にはない新しい提案』です。未発表の商品なので写真はNGですが・・・」。
  佐藤さんはパンツを手に取ると、テーブルに広げた。それはまいど屋が見たことのない、不思議な形をしたカーゴパンツだった。立体裁断だというそのパンツの脚は、テーブルの上で不格好なO脚の弧を描いている。だが、この不格好さが穿いてみるとボディにフィットしてしっくりと収まり、脚を広げたり上げたりの動きやすさを発揮するのだという。「装束は膝から太ももにかけてゆったりしていて、脚さばきがいいですよね。そんな装束を愛用してきた方にはカーゴはつらいので、太もも周りが太くて動きやすいパンツを企画したんです。綿ストレッチではき心地もいい。ジャンパーも揃え、上下でコーディネートいただけます」。
  目の前にある上下のウェアは、これまでの定義でいう鳶服ではないにせよ、確かに職人が仕事着に求める実用性と独創性を十分に満たした、骨太な仕上がりになっているように思えた。
  「今は過渡期なんです。着用される方も何を着ようか模索しているし、メーカーも何を提供しようか模索している。今までと同じことをやっていては明日が見えてこないんです。思い込みを捨てて新しい現実に目を凝らせば、周りの風景は全く違って見えてくると信じているんです」
  今お見せした商品は、来年には発売されますよ、と言って佐藤さんはインタビューを締めくくった。まいど屋が右手を差し出すと、今度は佐藤さんも右手を差し出した。力強く、温かなグリップだった。それから佐藤さんは深々と一礼をすると、背中を向けて部屋を出て行った。廊下を歩く佐藤さんの靴音が徐々に小さくなってやがて消えた。
  もしこんな商品が、本当に発売されるのであるのなら、少しは佐藤さんの物語を信じる気になれるかもしれない。「長いお別れ」のテリー・レノックスは、「ギムレットにはまだ早すぎるね」と言ってマーロウとの友情をもう一度やり直そうとした。佐藤さんも、口外すべきでないトップシークレットをあえてこのインタビューで明かすことで、まいど屋に対し、「死んだと思うのはまだ早すぎるね」と言いたかったのだろうか。
  いずれにしても、結果は近い将来明らかになる。関東鳶の死亡診断書は、最終的な判断をつけかねたまま、いまだまいど屋の手の中にある。
 
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太ファスナーがアクセントの半袖ポロ『550』
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通気性、速乾性に優れた比翼シャツ『325』