【寅壱】受け継がれた鳶のDNAimage_maidoya3
私は今、目を閉じたまま、この文章を書いている。キーボードに乗せた私の指はようやく動き出し、その指先が過去の記憶と一体化する感覚を通じ、曲がりなりにも何かが始まった感触がある。もちろん、こんな風にして何かを語るのは、私にとっても初めての体験だ。いつもは画面を見て、一文字一文字がそこに刻印されていくのを確かめるようにしながら話を進める。それがレポートを仕上げるために必須の、論理的な思考をするのに役立つからだ。だが今回、その方法はうまく機能しなかった。私の中の何かが、この特集の完成を妨げようとしていたのだ。それで私は目を閉じて、私の中の一番深いところに埋められてしまった記憶を探り当てようと、先ほどから懸命の努力を続けてきた。そして少しずつではあるが、こうして作業が進み始めたというわけだ。私はあの日の出来事を、このまま上手く思い出すことができるだろうか?そしてまともな報告として、今月号の特集に寅壱のページを加えることができるだろうか?
  このレポートが最初に書かれたのは、今からおよそ2ヶ月前のことである。ところがその原稿は--先月号に掲載した「三段鳶」の特集に詳しい経緯を記したのであるが--日の目を見ることなく、そっくり消去されてしまった。掲載を数日後に控えた段階での、突然のアクシデントだった。鳶服を特集した先月のその記事の中で、私はかなり批判的なトーンで寅壱の新作を論じたように覚えているが、レポート自体はそこそこ満足のいく水準に仕上がっていたはずだ。鳶服の新作が一切ないという致命的な欠陥から巧妙に読者の目をそらし、何とか説得力のある着地点を見つけ出していたはずだ。読者の皆さんは恐らく何となくわかったような気にさせられ、まいど屋が用意した結論に最後は納得していただろう。それがレトリックに満ちたこじつけであるとしても。
  だが、今まだ、私はその話の展開の一切を思い出すことができない。説明を受けた商品のおぼろげな印象さえ戻ってきていない。頭に浮かんでくるのは、役にも立たない別世界の物語の断片ばかりだ。今私に必要なのは、すでに一度完成しているあの原稿なのだ!それはまいど屋が寅壱の新商品に対して公式に下した論評なのだ!一度失くしたものを後から取り戻そうとする試みは、往々にして失くしたもの自体の記憶さえ失う結果になりかねいのだろうか? 私は今一度、あの日に撮った数点の取材写真を頼りに記憶をたどる。意識を集中し、あの場所で何が話し合われ、私がどう感じていたのかを再現しようと試みる。せめて、最初の一行目だけでも蘇ってくれば、その後は簡単に復元できそうに思えるのだが。
  このレポートをもう一度仕上げるというのは、思った以上に難しいことなのかもしれない。私はあのレポートの中で、何をどう訴えたのだろう?一体、何が障害となって先に進めなくなっているのだろう?私は取材を受けてくれたあの日の川脇さんの写真を見て、再び瞑想する。相変わらず、かすかに見えてくるのは、私に全く覚えのない光景だ。それは消去されてしまった先月の原稿とは違う、全く新しいストーリーのように思える。私はそれをここに書き写すべきだろうか?
 

寅壱
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ヒッコリーデニムの『8940』
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デニムトラスタイルパンツ『8950』
確かあれは、取材が始まってすぐのことだった。本格的に話を聞く前に行われる、大まかなテーマの確認の段階で、私はもう既に頭を抱え込んでいた。こんなことならやっぱりここに来なければよかったね。取材相手の営業担当である川脇さんにひとしきり愚痴ともつかない弱音を吐いた後、私はついに腹をくくったように思う。これから聞く話が覚悟した以上に期待外れであったとしても、我が月刊まいど屋としては、それに対する責任を負う義理はない。適当な理屈をひねり出してそれらしいレポートに仕上げてしまえば、編集長としての私の義務は果たしたことになる。読者の皆さんが肩透かしを食らって失望したとしたって、それがどうしたというのだろう?そんなことはまいど屋の知ったことではないというのが、そのとき私が出した結論だったはずだ。
  「いかにも鳶という鳶服は、需要が減っているんです」と、川脇さんは苦しそうに言った。「寅壱は鳶服メーカーなので今後も鳶服を作り続けていきますが、新商品を出す頻度が落ちているのは否めません。事実、今シーズンの鳶の新商品は1品番のみで入荷は11月過ぎ。それじゃあ、まいど屋さんの10月号の鳶服特集には間に合わないでしょ」
  いいよ、と私は答えただろう。それ以外に言いようがないからだ。「どうせそんな予感がしていたんだ。鳶服がなけりゃ、普通の作業服で構わない。そっちなら新商品がたくさん出ているよね。鳶職人に向けた新時代のワークウェアとでも言いつくろって、レポートは何とかごまかすから」。
  「ごまかす?」川脇さんは顔をしかめた。「そうでもないんですよ。確かに完全な鳶服だとは言えないけれど、鳶服のエッセンスをかなり突っ込んだワークウェアを作っているんです。そしてそこには、他メーカーにはマネのできない、寅壱ならではのシグナチャーがあらわれていると思うんです」。
  「鳶服ではないけれども?」
  「そう、まいど屋さんの言う鳶服ではないけれども。もっと柔軟に考えましょうよ。そもそも、鳶服の定義って、一体、何なのですか?鳶さん向けに作った鳶さん用のウェアであるのなら、どんな形をとっているにせよ、それは鳶服ではないのですか?」
  私は頷いて、彼の話の続きを待った。もしかしたら、今回は悲観したほど悪いレポートにはならないかもしれない。あるいは本当に、新しいコンセプトの一般作業服、いや、鳶服として、却って腑に落ちる結論を導き出せるかもしれない。これから聞く川脇さんの話が、説得力を持っていればの話だが。その段階で、私はそんなことを考えていたような記憶が確かにある。
 
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  このレポートの冒頭に書いた通り、この日の取材は、元々先月の鳶服特集のために行われたものだ。だから私が作った最初の原稿が、今度の寅壱の新商品を何の臆面もなく鳶服として紹介していたとしても、私は全く驚かない。そのときの私が多少の心の痛みを感じていたにせよ、職業上仕方のないこととして深く考えることもせず、あのアクシデントさえなければそのまま月刊まいど屋に掲載していただろう。
  今回、改めてあのときの取材内容を今月号の作業服特集に収録しようと思い立ったときにも、私はそうした効率重視の考え方に立っていた。あの原稿の大まかな話の筋さえ思い出せば、私はそれに多少の手直しを入れるだけで適当に仕事を切り上げ、次のレポートに取り掛かることができると考えたのだ。私がその初めの一行を蘇らせようと、先程から必死になって自分の記憶を辿っているのはそのためだ。しかしながら私の意に反して、私が書いているナラティブは今、前回とは全く違った方向に進み始めてしまっているようだ。
  「鳶さんが喜びそうな作業着の新商品が、今回はたくさんあるんですよ、ほら」。私の頭の中では、テーブルの上に山と積まれたウェアを指しながら説明を始めた川脇さんの姿が映っている。「実際、営業から見ると出し過ぎだと思うくらいの新作ラッシュです。デニム、柄物、真冬向け、ベーシックの4本柱のそれぞれから新商品が出ているんですよ。そしてどれもが、寅壱が培ってきた鳶服のDNAを受け継いでいるんです」。
  その中で、川脇さん一番のおすすめは?
  「ヒッコリーデニムの『8940』ですね。昨今のデニムブームで作業服でも各メーカーからデニムウェアがたくさん出ています。そこで、他社とは違うデニムウェアをと、インディゴ染めのヒッコリーを採用し、ひと手間かけたデザインで寅壱らしさを出しました」
  通常、新商品は1年前~半年前に企画するが、この商品は秋冬企画の終盤ギリギリで立ち上げた、と川脇さんは言った。「その分、入荷がずれ込みましたが、お客さまの反応が良くてもう既に人気が出ているんですよ。価格は店頭で平均5,500円ぐらい(まいど屋は4720円)。ジャケットはプラス1,000円で6,500円(同、5480円)といったところ。作業服としては高額ですが、ディテールにまでこだわった作りは、他で探そうと思ってもなかなかないと思います」。
  生地は綿98%、ポリウレタン2%のストレッチヒッコリーデニム。負荷のかかる肘、膝、腰裏には、生地を横に使ってストレッチ性が最大限に発揮できるように工夫されている。「昨年、伸縮性のある蛇腹プリーツ『8930』を出して好評だったので、それと同じ箇所で横使いに。蛇腹プリーツより伸縮性が劣っていては面白くありませんから、同等のストレッチ性、着心地の良さを出しました」。
  あたり感のあるヴィンテージ加工に加え、職人さんの手作業による擦り加工も持ち味のひとつのようだ。また、ユーズド風のブルーにファスナーやボタンホールのイエローがいいアクセントになっている。「インディゴと黄色の組み合わせは当社初。ボタンホールはあくまでも飾りで、穴は開いていません。フェイクのボタンホールもポケット切り替えもデザインとして。どうです、カッコよく見えるでしょ?」
  カーゴパンツは細身で、寅壱の中では着た時のシルエットが最もスリムだ、と川脇さんは言った。とはいえ、ワークなので一般カジュアルの細身よりは太いようであるが。
 
  デニムと言えば、あの日の取材で川脇さんが紹介してくれたものがもう一つあることを今思い出した。そのウェアについての解説を聞いたことをきっかけに、私は川脇さんが鳶服の新作を求めていた私に対し、やけに自信ありげな態度で商品説明を始めた意味を悟ったのだ。確かにそれは、寅壱への疑念を振り払うことができずにいた私をなだめるのに十分な説得力を持っていた。「流行のテーパードパンツをはくような感覚で」という、ストレッチデニムのトラスタイルパンツ『8950』だ。「伝統とモダンで何かできないかと、植木職人さんがはく乗馬ズボンに着目し、膨らみを抑えて調節したズボンです」。
  ヴィンテージ加工のこなれたデニムで、ヒップから太ももにかけてのゆったりしたフォルムが動きやすさを担保している。また、ヒザ下を絞っているのでシルエットにバランスがとれ、精悍に見える。「寅壱スタイルを受け継いでいていながらカジュアルパンツにも思える、全く新しいコンセプトのウェアです。これなら超超ロングがNGの現場で働く鳶職人さんにも提案できると思いませんか?」
  「そうだね、確かに鳶さん向けかもしれない」。私は軽く頷いて同意を示した。「こんな風に鳶さんたちが好みそうな商品は他にもあるのかな?」
  「もちろん。それなら、『3610』シリーズについて話しましょうか?アメリカンヴィンテージワークのテイストを今っぽくアレンジしたもので、ソフトトーンの迷彩柄が特徴なんです」
  「ソフトトーンの迷彩?」
  「迷彩柄は現場によって派手なもの、目立つものが禁止になっている所があるんです。でも、これはさり気なく柄が見える程度なので大丈夫」
  「本当だ。確かにさり気ないね」。私は川脇さんが目の前で広げてみせてくれたジャケットを見ながら言った。「でも、ちょっと大人しいから、やんちゃな鳶さんには物足りないかも」。
  「そう思いますか?」川脇さんがジャケットをこちらに手渡し、何か気付くかと私に謎かけをした。「よく見てくださいよ。柄の中に虎が入っているでしょう?」
  「本当だ。さり気ない」。私は思わず笑みを漏らした。これなら粋を重んじる鳶さんにも納得してもらえるだろう。
  「ベーシックな生地厚の綿ストレッチで、真夏、真冬以外はOKのオールシーズン対応。パンツのスマホポケットなどの使い勝手もいいですし、価格もこなれているので引き合いが多い。柄は好みが分かれますが、それほど主張が強くない柄なので鳶さん以外にも受け入れられたとみえ、予想以上に好評です」。
 
  その他、あの日の取材で川脇さんが熱心に説明してくれた商品はまだいくつかある。例えば、寅壱が培ってきた鳶服のノウハウを作業服に落とし込んだという『3943』がそうだ。肩と膝に刺し子を施して耐久性とデザイン性を高めた新作ウェアである。「金属ファスナーとファスナー隠しで溶接現場にも対応していますが、スタイリングとしてはシンプルでド定番のワークウェアです」と、川脇さんは言っていた。「着るひとを選ばず、幅広く着用できるので、みんなで揃える制服にも向いているのかなと」。
  カラーは3色で、落ち着いた色目だが、他にはあまり見ない色あいのせいか、新鮮な印象を持つ。ナチュラルな風合いの生地は、ドビー織りの肉厚綿ストレッチ。伸びのいいストレッチで動きもスムースだ。
  また、いちいちブルゾンを羽織らなくても1枚で済む、防風性、撥水性を備えた『2820』シリーズも、広い意味では鳶服にルーツを持つウェアとしてカウントしてもいいだろう。ぐっとモードに傾斜しながらも、現場を選ばない作業性と機能性を有し、寅壱らしい骨太さを隠し持っているという意味において。
 
  結局、私は最後まで、先月掲載するはずだった鳶服特集用の幻の原稿を思い出すことはなかった。だから、今読者の皆さんが読んでいるこのレポートは、私がおぼろげな記憶を頼りに、寅壱の新作を一般的な作業服として捉え直した上で全く新たに書き下ろしたものだ。今度の寅壱は、鳶服なのか、一般作業服なのか。そんなことはどっちでもいいことだ、と今になって私は思う。どちらにしても、寅壱は寅壱なのだから。
 
 
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トラ柄の入った迷彩『3610』シリーズ
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刺し子を施した『3943』シリーズ

    

主張の強いカモフラ柄も、トーンを落とせば洗練スタイルに!独創的な味付けでアメリカンヴィンテージワークを今風にアレンジした3610シリーズ

アメリカンヴィンテージワークのテイストを受け継ぎ、今を意識させるカラーと素材感で細身に仕上げたシリーズ。遠目では無地ライクに見える、トーン抑えめの3色迷彩は、トラ柄が入ったオリジナル。綿ストレッチで動きやすくて着心地もよし。カーゴパンツは、スマートフォン対応ポケット、右二重ポケット、左右大型カーゴポケット付きで収納充実。


スレンダーでも動きやすい!ON・OFF自在のボーダレスなスタイリングが新しい!ヴィンテージ感あるヒッコリーデニムとひと手間かけた仕上げでワーカーを魅了する8940シリーズ

インディゴブルーのヒッコリーにファスナーやボタンホールの黄色を効かせ、バイオウォッシュ加工と職人の手作業による摩擦加工で味わい深く仕上げたシリーズ。素材は、強力なキックバック性を持つ綿98%、ポリウレタン2%のストレッチヒッコリーデニム。肘、膝、腰裏は生地を横使いに切り替えることでストレッチ性を最大限に発揮させ、細身のシルエットながらも軽快な動きやすさを実現。