「阿倍野」と聞いて何を思い浮かべるだろう? 関西人なら梅田や難波に次ぐ繁華街である天王寺に、近鉄電車のターミナルである阿倍野橋駅、大阪になじみのない人なら2014年に開業した超高層ビル「あべのハルカス」をイメージするかもしれない。古くからある駅と新しいランドマークの違いはあれど、どちらも朝から晩まで人で賑わう場所であることには違いない。
そんな超一等地に、この阿倍野北遺跡はある。JR天王寺駅を出て、上から見ると「a」の文字になっていることで知られる阿倍野歩道橋を渡り、若者向けの商業ビル「あべのand」の前を通り過ぎてすぐの場所。よくあるフェンスで囲まれたこの工事現場で、まさか遺跡の発掘をしているとは誰も思うまい。「×日にこの地図の場所に来てください」とのメールを受けて現場に向かった編集部も「こんなところなんだ!」と思わず声をあげてしまうほどだった。なんせハルカスから5分もかからない繁華街のど真ん中なのだ。
早めに着いたので、時間調節のために現場の周りを歩いてみる――と、妙に若者が多いのに気づく。平日なのに一体なぜ? と集団が歩いていく方向に目を向けると、「料理界の東大」でおなじみの辻調理師専門学校の校舎があった。週末だけでなく平日も活気があふれているエリアなのである。
訪問した日は絵に描いたような梅雨空。なんとか雨の降らないうちに取材を終えたい、と考えながら現場の入り口に向かうと、大阪文化財研究所の学芸員、松本啓子さんが迎えてくれた。ヘルメットに上下の作業服という“発掘スタイル”がバッチリ決まっていて、ベテランの風格を感じさせる。
フェンスの中は、重機で背丈ほどの深さに掘った調査区にベルトコンベアや排水ポンプが設置され、ショベルやクワによる発掘作業がまさに進められているところだった。考古学ファンとしてグッとくる光景に我慢できず聞いてしまう。
「下に降りてもいいですか?」
「いいですけど服、汚れますよ」
こうしてついに憧れの遺跡の発掘現場に足を踏み入れることができたのだった。
そんな超一等地に、この阿倍野北遺跡はある。JR天王寺駅を出て、上から見ると「a」の文字になっていることで知られる阿倍野歩道橋を渡り、若者向けの商業ビル「あべのand」の前を通り過ぎてすぐの場所。よくあるフェンスで囲まれたこの工事現場で、まさか遺跡の発掘をしているとは誰も思うまい。「×日にこの地図の場所に来てください」とのメールを受けて現場に向かった編集部も「こんなところなんだ!」と思わず声をあげてしまうほどだった。なんせハルカスから5分もかからない繁華街のど真ん中なのだ。
早めに着いたので、時間調節のために現場の周りを歩いてみる――と、妙に若者が多いのに気づく。平日なのに一体なぜ? と集団が歩いていく方向に目を向けると、「料理界の東大」でおなじみの辻調理師専門学校の校舎があった。週末だけでなく平日も活気があふれているエリアなのである。
訪問した日は絵に描いたような梅雨空。なんとか雨の降らないうちに取材を終えたい、と考えながら現場の入り口に向かうと、大阪文化財研究所の学芸員、松本啓子さんが迎えてくれた。ヘルメットに上下の作業服という“発掘スタイル”がバッチリ決まっていて、ベテランの風格を感じさせる。
フェンスの中は、重機で背丈ほどの深さに掘った調査区にベルトコンベアや排水ポンプが設置され、ショベルやクワによる発掘作業がまさに進められているところだった。考古学ファンとしてグッとくる光景に我慢できず聞いてしまう。
「下に降りてもいいですか?」
「いいですけど服、汚れますよ」
こうしてついに憧れの遺跡の発掘現場に足を踏み入れることができたのだった。
特集1
梅雨空の下で発掘作業が続く
松本啓子さんと桑原武志さん
●最初で最後の発掘調査
発掘調査はどのように行われるのか。まずはその仕組みについて簡単に説明しておこう。
文化財保護法では、過去の調査などで「遺跡がある」とわかっている土地(埋蔵文化財包蔵地)を開発する場合、事業者に届け出が義務付けられている(新たに遺跡が発見された場合も届け出が必要)。
たとえば、そんな遺跡地にビルを建てるケースならば、
1:自治体の教育委員会に「発掘届」を提出
2:関係機関と協議のうえ発掘調査をし、報告書を作成
3:調査終了後に建設工事がスタート
という流れになる。ちなみに調査費用は基本的には事業者負担。事業者としてはコストも日程も余計にかかる工事となるわけだ。
小規模な開発の場合はノウハウを持つ自治体の職員で調査を行うこともあるが、手に負えないような大きな現場になると専門機関に頼らねばならない。
今回、訪れた現場もそんな案件のひとつ。15階建ての分譲マンションを建てるにあたって、難波宮(7~8世紀、現在の大阪市にあった宮殿)などの調査に実績を持つ大阪文化財研究所に大阪市から調査が委託された。
調査期間は24日間を予定しており、「今ちょうど2週間目」。スケジュールの真ん中を過ぎたところという。
文化財の調査というと気が済むまでやっていいようなイメージがあるかもしれないが、現実にはそうもいかない。とくに開発に伴う調査の場合、経済活動の妨げとならないよう、厳しい日程管理のもとで進められる。雨が降れば作業中止になるし、市街地のため早朝や夜間の作業はできない。さらには土や遺物の色を観察するためには自然光の必要があったりと、なにかと制約の多いなか、スケジュールと正確な調査を両立させなければならないのだ。
いくらスケジュールが厳しくても、どこに遺物があるかわからないので「ショベルカーで一気に」というわけにはいかない。現場では、10人の掘り手がショベルで土を削ってベルトコンベアに載せていくかたわら、研究所の補助員が測量をして記録を取っていく。松本さんの役割は、調査管理と遺構や遺物の鑑定などを行うコーディネーター。わかりやすく言えば現場監督だ。
「この調査が終わったら、マンションの基礎工事が始まります。基礎を打ち込んだら遺跡は完全に破壊される。つまり、この土地の発掘調査ができるのは今だけなんです」
松本さんは穴の上から発掘現場を一望しながら語る。
遺跡に指定されているエリアは近隣にたくさんあるものの、いま目前にある「この土地」を発掘できるのは「この24日間だけ」というわけだ。マンション建設が始まれば、二度と遺跡を掘り起こすことはできず、どんなすごい遺物や遺構があったとしてもそれらは永久に日の目を見ることはない。大げさに言うと、歴史が闇に葬られてしまうこともありうるのだ。
土地の開発とは、裏側から見れば遺跡の破壊でもある。今回のような発掘調査は、言い換えればマンション建設を機に実現した最初で最後の調査なのだ。
●丁寧さと手際の良さ
「今はちょうど江戸時代にさしかかったあたり。この層が終わったら、さらに土を剥がしてさかのぼっていきます」
松本さんは調査の現状についてこう解説する。さかのぼるって? 一瞬、頭に「?」が浮かんだものの、地層の断面を見るとすぐにわかった。要は、土を剥がして穴が深くなるほど時代が古くなっていく、と。発掘作業とは、ちょうどタイムマシンで時間を逆行していくように、土を掘って「現在→過去→さらなる過去」へと向かっていく行為なのだ。今が「江戸時代の初期」ならば、この下には戦国時代や室町時代の「地表」が眠っていることになる。さらに掘り進むと奈良時代や古墳時代が出てくるはずだ。
と、こんな説明をすると「何か出てくるまでひたすら掘る」ように思うかもしれないが、そうではない。松本さんによれば、発掘調査の計画を立てるに当たっては、近隣の遺跡の調査報告書を読み込んだり、古文書や古地図などの文献調査をして、ある程度の「あたり」を付けてから、発掘をスタートさせるという。調査にあたって細かい記録を残しておくのは、いつか行われる別の土地の発掘調査のためでもあるのだ。
では、今回の調査の「あたり」は何だろう。
「たとえば『こういうのが出てきたらいいな』というのはありますか?」
野次馬的な質問にも松本さんはにこやかに答えてくれた。
「ひょっとしたら阿倍寺(あべでら)関連の遺物が出るかも……という期待はありますね。土器や瓦の破片とか」
阿倍寺とは、古代から飛鳥時代にかけてこのあたりにあったとされる寺のこと。「阿倍野」の名前の由来とも言われる。この現場から歩いて2、3分の場所では土壇や瓦が発見されており、「阿倍寺跡地」の石碑が立てられている
「もし仏像なんかが出土したら大発見ですが、べつに阿倍寺関係のものじゃなくてもいいんです。たとえば、寺の周りに住んでいた人の生活の様子がわかるような遺物が出てきたらいいな、と思っています」
遺物が発見されると、まず出土状況を撮影したり図面に記録したりする。記録補助員が三脚と関数電卓で測量し、正確な3次元データ(位置と標高)を方眼のマイラー用紙に書き入れていく。素人目には神経質すぎるようにも思える作業だが、遺物そのものに加えて、詳細なデータを残すことも発掘調査の目的なのだ。
地層や土の色の変化を見ながら、遺物が見つかるまで手作業で掘り進めていく――。なんだか気の遠くなる作業にも思えるが、何かコツのようなものはあるのだろうか?
「ごらんの通り、発掘はどこまでいっても地道な手作業で、結局のところコツコツやるしかありません。まあ一定のリズムでやるのが大事ですね。日焼けはするし台風は来るし、正直、楽じゃないです」
作業のキツさの一方でスケジュールも気になる。丁寧にコツコツやっていては期日までに終わらない、といったケースもあるのでは?
「うーん、でも作業が丁寧なのはいいことですよ。雑よりは絶対いい。ただ手際の良さというか、丁寧に発掘を進めつつも、ガッと掘るべきところはガッとやるのは大事ですね。そうしないと間に合わないので」
どこか浮世離れしたイメージがあるが、遺跡の発掘もやはり仕事。スケジュールを守った上で成果を出すことが求められるのだ。
さらに、この発掘作業はこれから真夏にさしかかり、暑さが本格化していく。
松本さんは研究所から支給された作業服の上下にヘルメット、安全靴というスタイル。土まみれになって掘っている作業員は流行りのコンプレッションウェア姿が多い。夏場はこまめな休憩に加えて水と塩分を取るなど、熱中症に気を付けることに加えて、屋外の記録作業などで目を痛めないようサングラスも必要になるという。
作業服の条件についても松本さんに聞いてみた。
「長袖だから暑いのは仕方ないとして、着心地はやはり綿100%がサラッとしていて好きですね。あとは野帳やペンなどの道具を持ち歩けること。見た目のカッコよさは正直どうでもいいかな、と。どうせ泥だらけになっちゃいますから」
確かに、としか言えない穴の下の現場であった。
●江戸の地層からヨーロッパへ?
ところで、このような地道な発掘作業によって、一体どんなものがどれくらい出るのだろう?
松本さんはこの現場で発掘されたての土器のカケラを見せてくれた。すでに出土状況を記録してあるこの遺物には、続いてパズルのように割れた破片をつなぎ合わせる「復元」、さらにいつどこで作られたものかを探る「鑑定」といった作業が必要になる。
復元はまだわかるが「どの時代のものか」なんてわかるのだろうか? ひょっとして考古学のニュースに出てくる放射性炭素年代測定ってやつだろうか……と考えていると、松本さんが「実演」してくれた。
「たとえばこの肥前磁器だったら、18世紀後半かな? といった具合ですね。様式をみればだいたいわかります。陶磁器などは過去の研究から『こういう様式はこの時代から始まる』といった基準があり、それを使えば年代を特定できるんです。『編年作業』というんですが、経験を積んだ学芸員なら出てきた現場でパッと見分けちゃいますよ」
と、説明を受けている間にも、さっそく陶磁器の破片が出土した。昔の人が捨てた皿か器だろうか。泥だらけではあるものの、白地に描かれた柄もはっきりしていて、それほど昔のものという気がしない。こんな地中深くから現代と同じような日用品が出てくるのはちょっと不思議な感覚だ。しかし、これは紛れもなく「このあたりで暮らしていた人がいた」という証拠なのである。
「何年やってても、やはりモノが出てくると盛り上がりますね。その中でも、たとえば『ここは過去に××があった』といった説の裏付けや根拠になるような遺物が見つかると、うぉーっ! となります」
ある程度予想していたものが見つかることもある一方、まったく想定していなかった遺物が出ることもある。松本さんは1992年、江戸時代の地層から貿易品と思われる海外製の陶器を発掘。いつどこで生産されたものか調べるため、ヨーロッパを訪ね歩くことになったという。
「出るはずのないものが出た、というケースですね。まったく見当もつかないようなものでも、出てしまったら調査せざるを得ない。そうしないと『この遺物は何なのか』を報告書に書けませんから。で、ヨーロッパだろうがどこだろうが、謎解きのために走り回ることになる。たとえ自分の専門分野じゃなくても、見つけた人が調査しなくちゃいけないんです」
最終的に、松本さんはこの陶器は東インド会社が日本に輸出したオランダ製「マジョリカ陶器」だと突き止めた。大阪の江戸時代の地層の発掘が、ヨーロッパ陶器の様式をめぐる調査旅行へ。言ってしまえば、たったひとつの出土品によって予想外の大仕事が降りかかってきたわけだが、「まあ、掘り出してしまった人の責任ですね」と笑う。
出土品は基本的に研究所の収蔵庫で保管されるが、現地説明会などで地元の人に披露したり、珍しいものは大阪歴史博物館で展示されたりもする。博物館のよくある展示品にも、こんな発見のドラマがあったのかもしれない。
●考古学は「体でやる学問」
発掘調査の説明が終わると、詰所の中でスタッフを紹介してもらった。
記録補助員は若手の学者や学芸員。この暑さを嘆きつつも、すり減ったナイフ(土に印をつけるのに使う)や直射日光で変色した関数電卓など、使いこまれた発掘アイテムを紹介する様子は少し誇らしげだ。
助っ人として現場入りしていた桑原武志さんは、自治体を定年退職したあと再雇用で現場に復帰した大ベテラン。思い出に残っている発掘調査として、枚方市にある旧石器時代の遺跡を語ってくれた。
「運よく石器が出土しても、そこが道具が使われていた場所とは限らない。むしろ当時の人が生活していた場所ではないケースが多いんです。ところが、この遺跡は生活状況がそのままパックされている。2万数千年前、旧石器時代の人たちのキャンプサイトがそのままの形で残っていた。あれは興奮しましたね」
発掘歴は学生時代から数えて40年以上。長い考古学人生の中ではさぞ苦労もあったのでは? と思って聞いてみると「いや、体を動かすの好きだから、作業は楽しいですよ」とキッパリ。
「しんどいこともあるけれど、発掘は面白い。何年やっててもワクワクしますね。何が出てくるかは、やはり掘ってみないとわからないので」
この回答に、松本さんも「ベテランほど楽しそうなのがこの世界」と笑う。
「見ての通り、首から下ばかり動かす分野ですから、合わない人はすぐ去っていきます。反対に向いているのは、何にでも興味を感じて行動できる人。考古学は頭だけじゃダメ。体を動かさないと何も成果を挙げられないんです。現場作業では危険もあるし、怒鳴ったりすることもある。ほかの文系学問とはちょっと雰囲気が違うかもしれませんね」
記録補助員の男性がすかさずツッコミを入れる。
「いや、完全に体育会系でしょう!」
発掘調査はどのように行われるのか。まずはその仕組みについて簡単に説明しておこう。
文化財保護法では、過去の調査などで「遺跡がある」とわかっている土地(埋蔵文化財包蔵地)を開発する場合、事業者に届け出が義務付けられている(新たに遺跡が発見された場合も届け出が必要)。
たとえば、そんな遺跡地にビルを建てるケースならば、
1:自治体の教育委員会に「発掘届」を提出
2:関係機関と協議のうえ発掘調査をし、報告書を作成
3:調査終了後に建設工事がスタート
という流れになる。ちなみに調査費用は基本的には事業者負担。事業者としてはコストも日程も余計にかかる工事となるわけだ。
小規模な開発の場合はノウハウを持つ自治体の職員で調査を行うこともあるが、手に負えないような大きな現場になると専門機関に頼らねばならない。
今回、訪れた現場もそんな案件のひとつ。15階建ての分譲マンションを建てるにあたって、難波宮(7~8世紀、現在の大阪市にあった宮殿)などの調査に実績を持つ大阪文化財研究所に大阪市から調査が委託された。
調査期間は24日間を予定しており、「今ちょうど2週間目」。スケジュールの真ん中を過ぎたところという。
文化財の調査というと気が済むまでやっていいようなイメージがあるかもしれないが、現実にはそうもいかない。とくに開発に伴う調査の場合、経済活動の妨げとならないよう、厳しい日程管理のもとで進められる。雨が降れば作業中止になるし、市街地のため早朝や夜間の作業はできない。さらには土や遺物の色を観察するためには自然光の必要があったりと、なにかと制約の多いなか、スケジュールと正確な調査を両立させなければならないのだ。
いくらスケジュールが厳しくても、どこに遺物があるかわからないので「ショベルカーで一気に」というわけにはいかない。現場では、10人の掘り手がショベルで土を削ってベルトコンベアに載せていくかたわら、研究所の補助員が測量をして記録を取っていく。松本さんの役割は、調査管理と遺構や遺物の鑑定などを行うコーディネーター。わかりやすく言えば現場監督だ。
「この調査が終わったら、マンションの基礎工事が始まります。基礎を打ち込んだら遺跡は完全に破壊される。つまり、この土地の発掘調査ができるのは今だけなんです」
松本さんは穴の上から発掘現場を一望しながら語る。
遺跡に指定されているエリアは近隣にたくさんあるものの、いま目前にある「この土地」を発掘できるのは「この24日間だけ」というわけだ。マンション建設が始まれば、二度と遺跡を掘り起こすことはできず、どんなすごい遺物や遺構があったとしてもそれらは永久に日の目を見ることはない。大げさに言うと、歴史が闇に葬られてしまうこともありうるのだ。
土地の開発とは、裏側から見れば遺跡の破壊でもある。今回のような発掘調査は、言い換えればマンション建設を機に実現した最初で最後の調査なのだ。
●丁寧さと手際の良さ
「今はちょうど江戸時代にさしかかったあたり。この層が終わったら、さらに土を剥がしてさかのぼっていきます」
松本さんは調査の現状についてこう解説する。さかのぼるって? 一瞬、頭に「?」が浮かんだものの、地層の断面を見るとすぐにわかった。要は、土を剥がして穴が深くなるほど時代が古くなっていく、と。発掘作業とは、ちょうどタイムマシンで時間を逆行していくように、土を掘って「現在→過去→さらなる過去」へと向かっていく行為なのだ。今が「江戸時代の初期」ならば、この下には戦国時代や室町時代の「地表」が眠っていることになる。さらに掘り進むと奈良時代や古墳時代が出てくるはずだ。
と、こんな説明をすると「何か出てくるまでひたすら掘る」ように思うかもしれないが、そうではない。松本さんによれば、発掘調査の計画を立てるに当たっては、近隣の遺跡の調査報告書を読み込んだり、古文書や古地図などの文献調査をして、ある程度の「あたり」を付けてから、発掘をスタートさせるという。調査にあたって細かい記録を残しておくのは、いつか行われる別の土地の発掘調査のためでもあるのだ。
では、今回の調査の「あたり」は何だろう。
「たとえば『こういうのが出てきたらいいな』というのはありますか?」
野次馬的な質問にも松本さんはにこやかに答えてくれた。
「ひょっとしたら阿倍寺(あべでら)関連の遺物が出るかも……という期待はありますね。土器や瓦の破片とか」
阿倍寺とは、古代から飛鳥時代にかけてこのあたりにあったとされる寺のこと。「阿倍野」の名前の由来とも言われる。この現場から歩いて2、3分の場所では土壇や瓦が発見されており、「阿倍寺跡地」の石碑が立てられている
「もし仏像なんかが出土したら大発見ですが、べつに阿倍寺関係のものじゃなくてもいいんです。たとえば、寺の周りに住んでいた人の生活の様子がわかるような遺物が出てきたらいいな、と思っています」
遺物が発見されると、まず出土状況を撮影したり図面に記録したりする。記録補助員が三脚と関数電卓で測量し、正確な3次元データ(位置と標高)を方眼のマイラー用紙に書き入れていく。素人目には神経質すぎるようにも思える作業だが、遺物そのものに加えて、詳細なデータを残すことも発掘調査の目的なのだ。
地層や土の色の変化を見ながら、遺物が見つかるまで手作業で掘り進めていく――。なんだか気の遠くなる作業にも思えるが、何かコツのようなものはあるのだろうか?
「ごらんの通り、発掘はどこまでいっても地道な手作業で、結局のところコツコツやるしかありません。まあ一定のリズムでやるのが大事ですね。日焼けはするし台風は来るし、正直、楽じゃないです」
作業のキツさの一方でスケジュールも気になる。丁寧にコツコツやっていては期日までに終わらない、といったケースもあるのでは?
「うーん、でも作業が丁寧なのはいいことですよ。雑よりは絶対いい。ただ手際の良さというか、丁寧に発掘を進めつつも、ガッと掘るべきところはガッとやるのは大事ですね。そうしないと間に合わないので」
どこか浮世離れしたイメージがあるが、遺跡の発掘もやはり仕事。スケジュールを守った上で成果を出すことが求められるのだ。
さらに、この発掘作業はこれから真夏にさしかかり、暑さが本格化していく。
松本さんは研究所から支給された作業服の上下にヘルメット、安全靴というスタイル。土まみれになって掘っている作業員は流行りのコンプレッションウェア姿が多い。夏場はこまめな休憩に加えて水と塩分を取るなど、熱中症に気を付けることに加えて、屋外の記録作業などで目を痛めないようサングラスも必要になるという。
作業服の条件についても松本さんに聞いてみた。
「長袖だから暑いのは仕方ないとして、着心地はやはり綿100%がサラッとしていて好きですね。あとは野帳やペンなどの道具を持ち歩けること。見た目のカッコよさは正直どうでもいいかな、と。どうせ泥だらけになっちゃいますから」
確かに、としか言えない穴の下の現場であった。
●江戸の地層からヨーロッパへ?
ところで、このような地道な発掘作業によって、一体どんなものがどれくらい出るのだろう?
松本さんはこの現場で発掘されたての土器のカケラを見せてくれた。すでに出土状況を記録してあるこの遺物には、続いてパズルのように割れた破片をつなぎ合わせる「復元」、さらにいつどこで作られたものかを探る「鑑定」といった作業が必要になる。
復元はまだわかるが「どの時代のものか」なんてわかるのだろうか? ひょっとして考古学のニュースに出てくる放射性炭素年代測定ってやつだろうか……と考えていると、松本さんが「実演」してくれた。
「たとえばこの肥前磁器だったら、18世紀後半かな? といった具合ですね。様式をみればだいたいわかります。陶磁器などは過去の研究から『こういう様式はこの時代から始まる』といった基準があり、それを使えば年代を特定できるんです。『編年作業』というんですが、経験を積んだ学芸員なら出てきた現場でパッと見分けちゃいますよ」
と、説明を受けている間にも、さっそく陶磁器の破片が出土した。昔の人が捨てた皿か器だろうか。泥だらけではあるものの、白地に描かれた柄もはっきりしていて、それほど昔のものという気がしない。こんな地中深くから現代と同じような日用品が出てくるのはちょっと不思議な感覚だ。しかし、これは紛れもなく「このあたりで暮らしていた人がいた」という証拠なのである。
「何年やってても、やはりモノが出てくると盛り上がりますね。その中でも、たとえば『ここは過去に××があった』といった説の裏付けや根拠になるような遺物が見つかると、うぉーっ! となります」
ある程度予想していたものが見つかることもある一方、まったく想定していなかった遺物が出ることもある。松本さんは1992年、江戸時代の地層から貿易品と思われる海外製の陶器を発掘。いつどこで生産されたものか調べるため、ヨーロッパを訪ね歩くことになったという。
「出るはずのないものが出た、というケースですね。まったく見当もつかないようなものでも、出てしまったら調査せざるを得ない。そうしないと『この遺物は何なのか』を報告書に書けませんから。で、ヨーロッパだろうがどこだろうが、謎解きのために走り回ることになる。たとえ自分の専門分野じゃなくても、見つけた人が調査しなくちゃいけないんです」
最終的に、松本さんはこの陶器は東インド会社が日本に輸出したオランダ製「マジョリカ陶器」だと突き止めた。大阪の江戸時代の地層の発掘が、ヨーロッパ陶器の様式をめぐる調査旅行へ。言ってしまえば、たったひとつの出土品によって予想外の大仕事が降りかかってきたわけだが、「まあ、掘り出してしまった人の責任ですね」と笑う。
出土品は基本的に研究所の収蔵庫で保管されるが、現地説明会などで地元の人に披露したり、珍しいものは大阪歴史博物館で展示されたりもする。博物館のよくある展示品にも、こんな発見のドラマがあったのかもしれない。
●考古学は「体でやる学問」
発掘調査の説明が終わると、詰所の中でスタッフを紹介してもらった。
記録補助員は若手の学者や学芸員。この暑さを嘆きつつも、すり減ったナイフ(土に印をつけるのに使う)や直射日光で変色した関数電卓など、使いこまれた発掘アイテムを紹介する様子は少し誇らしげだ。
助っ人として現場入りしていた桑原武志さんは、自治体を定年退職したあと再雇用で現場に復帰した大ベテラン。思い出に残っている発掘調査として、枚方市にある旧石器時代の遺跡を語ってくれた。
「運よく石器が出土しても、そこが道具が使われていた場所とは限らない。むしろ当時の人が生活していた場所ではないケースが多いんです。ところが、この遺跡は生活状況がそのままパックされている。2万数千年前、旧石器時代の人たちのキャンプサイトがそのままの形で残っていた。あれは興奮しましたね」
発掘歴は学生時代から数えて40年以上。長い考古学人生の中ではさぞ苦労もあったのでは? と思って聞いてみると「いや、体を動かすの好きだから、作業は楽しいですよ」とキッパリ。
「しんどいこともあるけれど、発掘は面白い。何年やっててもワクワクしますね。何が出てくるかは、やはり掘ってみないとわからないので」
この回答に、松本さんも「ベテランほど楽しそうなのがこの世界」と笑う。
「見ての通り、首から下ばかり動かす分野ですから、合わない人はすぐ去っていきます。反対に向いているのは、何にでも興味を感じて行動できる人。考古学は頭だけじゃダメ。体を動かさないと何も成果を挙げられないんです。現場作業では危険もあるし、怒鳴ったりすることもある。ほかの文系学問とはちょっと雰囲気が違うかもしれませんね」
記録補助員の男性がすかさずツッコミを入れる。
「いや、完全に体育会系でしょう!」
出土したての遺物
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