どこの街にもある地元のお寿司屋さん。東京・蒲田の初音鮨も、そんなごく普通の老舗のひとつである。ところが、この店には日本中、いや世界中からお客さんがやってくる。予約を入れて前払いで代金を振り込み、飛行機や新幹線に乗って。その理由はひとつ「店主・中治勝の鮨を食べるため」だ。おいしい鮨が食べたいなら、ガイドブックを見て銀座のしかるべき店に電話を入れれば間違いないだろう。にもかかわらず、人は蒲田の初音鮨に向かうのだ。職人がどん底で見つけた奇跡の鮨、利益も見栄も捨てた心尽くしの鮨、店主のパフォーマンスも味わう劇場型の鮨……。「中治勝の鮨」は、各種メディアでさまざまな形容とともに語られる。しかし、本人の意識は「鮨屋が最高の鮨を目指さないでどうする?」と至ってシンプル。その心は何か? 初音鮨の名物オヤジにたっぷり語ってもらおう。
初音鮨
お店では巻寿司を製作中
初音鮨の中治勝さん
●鮨にとことんムキになる
――初音鮨と言えば、完全予約制に前払いといったことに加えて、中治さんのトークで有名です。
そうですね、お客様の集中力を妨げないよう気をつけつつ、食材や旬の魚などの説明をして、料理の仕上がっていく様子もご覧いただいています。たとえばシャリの場合、まずは備長炭の火をおこし、ご飯を研いで給水させて……と、お食事が始まる時間から逆算して炊き始めます。そして、お客様が着席して手を拭き終わるくらいのタイミングで、炊きたてのご飯をご覧いただき、目の前で酢飯を作る。そこから食事のスタートです。
「シャリの産声を聞いてください」といつも言うんです。おぎゃーと生まれた赤ん坊がよちよち歩きになって、ひとり立ちして、働き盛りの時代があり、そのうち腰が曲がって終わりを迎える――。そんなご飯粒の一生に立ち会ってもらうためにも、みなさん必ず時間ぴったりにお越しいただく。「心尽くしのシャリをあなたのために」というかたちにしたいんです。
――遅刻もダメだと聞いています。
このスタイルを始めたときは、「鮨屋のほうが時間を指定するなんて生意気だ」なんて相当言われました。ほかにも当時としてはいち早く全面禁煙にしたりしたもんだから、古くからのお客さんは怒りましたね。「親父のころはいい店だったのに、このバカ息子が」と。
遅刻厳禁にしているのは、ここに来た意味がなくなるからです。15分でも遅れたらご飯の温度が変わって、柔らかいもちもちとしたご飯が、刻一刻としっかりとした粒になってくる様子をご覧いただけない。そこからもさらにご飯の温度は下がり続け、最後は海苔巻きに適した冷めたご飯になるわけですが、当店ではこういう変化の流れを2時間以上かけて味わっていただくわけですから。
――まるでクラシック音楽やバレエの公演に行くような……。
ここまでムキになって鮨の良さを伝えようとしている――。そんな熱量がこの店の特徴ですね。そこまで根を詰めた鮨となると、もちろんお客様によって向き不向きもあるでしょう。ある程度、心構えや予備知識が求められますから。だから、このことがご理解いただけず「30分遅刻して何が悪いんだよ」という場合は「申し訳ないんですけど、今日は握れません」というしかないんです。それでも食べたい、と言ってもらえるのはありがたいんですけど、一番だと思っていない鮨を出してお金をもらうことはできませんので。
●「めんどくさいお客さん」を増やしたい
――「お客さんの都合に合わせる」という一般的なサービス業とは正反対です。
おいしいものを食べたかったらそれなりの努力がいる、ということですね。もちろんはじめてのお客様は、なぜそんな制約があるのかわからないから「こんな食べ方をすると、こういう味わいが楽しめますよ」という説明をさせてもらいます。
やはり「知る」というのは大事なことだと思います。職人が一生かけて求めている鮨があって、お客様がそれを食べる。そのとき「なぜこうなっているのか」といったことを説明し、知識欲も満たした上で味わってもらいます。
先ほど言ったシャリの温度の話でも、一度ここで聞いたら知識になって心に残る。すると、その方は「めんどくさいお客さん」になるわけですね。そういうお客さんが増えてくれば、鮨という業界も伸びていく。知識を持ったお客さんは、鮨という文化を発展させていくのに必要な資源であり、私はそんな「めんどくさいお客さん」を増やすために奮闘している。言い換えれば、食に対する執着が強い人によって飲食店は磨かれていくと思っているわけです。
――お客さんとの真剣勝負というか……。
あまり度が過ぎてはいけませんけど。若い頃は厳しく考えすぎたきらいがあって、携帯電話も「仕舞ってください」といちいち注意してたんですが、今はお客様には楽しんでもらうのが一番だと思っています。食事中のスマホ撮影もOKですよ。
ただ、「ちょっとストレスがあったほうが舌は鋭敏になる」ということは覚えておいてほしいですね。逆に言うと、テレビを見ながら食べた食事はぜんぜん印象に残らない。だから同じレベルの鮨屋でも「なんかうるさそうなオヤジがいるな」という店のほうが、経験として豊かになるんです。オヤジの立場で言えば、頑固なフリをしてでも客を緊張させ、味覚に集中してもらおう、というのがある。
「今日の大坂なおみ選手、すごかったねー」とか、わいわい言いながら食べてもいいんですけど、それではすばらしいネタの奥行きに気づいてもらえない。生産者の恩に報いることにならないし、お客様が洗練されたおいしさに気づくチャンスも奪ってしまう。ただリラックスすればいい、というものでもないんです。それなりのお勘定を頂戴していますから、こちらにも責任がある。期待値を上回るおいしさを体験をしてもらわないと。
●「死んでもいい」と言えるか
――このスタイルを始めた当初はガラガラだったそうですが、「自分は間違っているのでは」という不安はなかったですか?
もう人生を賭けてますから、どうということもなかったですね。自信もありました。あとは、お客さんがついてこれるか、気づいてくれるかどうか。このマッチングはものすごく難しいんだけど、僕はそれを「蒲田で実現してみせる」と誓ったものだから、いまさらのこのこ銀座に出ていくわけにもいかない。銀座や神楽坂に通っているお客さんを蒲田まで歩かせる、ドバイからでもニューヨークからでも来させてみせる、と。いったん腹をくくってしまえば悩みはありませんでした。
決めたのは「これ以上はない」と言えるような鮨を出すこと。当時から今まで、鮨に関していっさい妥協はありません。ほかの部分はいろいろ妥協しても、鮨だけはしない。仕入れのときでも、「指値」と言って「3万円から3万5000円までのマグロにしてください」というふうに注文するのが普通のやり方なんですけど、ここ十年くらいは値段すら聞いていません。ただ「一番いいものをください」と。
だから、この取材の直後に倒れて死ぬことになっても「あれやっておけばよかったなぁ」というのはありません。この仕事が大好きで、鮨に対する思いの丈をすべてぶつけていますから。自分の選んだ仕事に真摯でありたい、そして先人たちが積み上げてきた「食」という文化を支える確かな担い手でありたい、という気持ちです。
――真摯さと言えば、お客さんとも一期一会ですよね。
自分の仕事への愛は、もちろんお客様への愛にもつながります。さらに言えば食材に対しても同じ。生きることは食べること。食べるというのは殺生であり、私たちは魚や植物の命をいただいている。そして自然は空気や水にたくさんの微生物がいて成り立っている。そう考えれば感謝がないと鮨は成り立ちません。食材や自然をはじめ、生産者や流通に関わる人々、すべてへの感謝です。
●「満足」が料理人を殺す
――「これ以上ない」と言えるような仕事をしたいと願う人は多いと思います。でも実際は……。
先ほど妥協のない仕事をすると言いましたけど、そこで満足するのもいけないんです。職人として一番ダメなのが「満足」。これでよし、と思ったら成長しません。常にハングリーでなければいけない。人間の想像力や叡智というのは、常に「もっとよくなるはずだ、もっとできるはずだ」と信じている人だけが具現化できる。「もっと、もっと」と考えて潜在能力を活性化させていかないと。
お客様に食べてもらうときも「これもすばらしい。だが、さらに上がある、次がある」と思って料理を出す。たとえば、来年のハマグリの時期が来たとき、ベースとしては今年のやり方があるんだけど、そこから半歩でも挑戦しないと職人としての成長はありません。
「寿司・天ぷら・うなぎ」と看板の出ている便利な和食店がありますよね。ああいう店は、お客さんがイメージする見た目や味があって、それと整合性が取れればOKなんです。メニューに1500円の天丼があったら、お客さんは「こういうもんだろう」と考える。大きな海老が二つくらいのっていて、大葉があって……と。で、その通りのものが出てきたらお客さんは納得するし、料理人も「天丼とはこういうものだ」と納得しちゃう。こうなるとそれっきり進歩がない。
これが「天丼という料理はこんなものじゃない」「もっとおいしい天丼があるはずだ」と信じている料理人だったらどうなるか。うなぎも寿司もやめて、天丼だけを一生かけてやっていこう! となるでしょう。そういう職人が作った天丼だったら食べる価値がありますよ。
――私もひとりの職業人として耳が痛い話です。
プロでありながら一般レベルまで目線を落としてしまっている。このように自分の可能性を殺すのが「満足」なんです。
言ってしまえば「みんな欲がないなぁ」と思いますよ。料理人はもっとできるのに。なんでそんな教わったレシピ通りにできたくらいで満足しちゃうんだ、本当に好きでやってるの? という話です。高級車に乗りたいから飲食業をやってるんだったら、はじめからクルマ屋になったほうがいい。そうじゃないだろう、鮨でお客さんを喜ばせたいから職人になったんじゃないのか? と。
●人間を提供するお店
――料理人がそこまで気持ちを込めているとは想像していませんでした。
「そこまでやるか」と言われるようでなきゃダメなんです。でないと、この道を選んだ意味がない。当然、ハードルはどんどん上がっていきます。長くやればやるほど、いいものも悪いものもいっぱい見ることになる。一生勉強でしょうか。でも、だからこそ楽しいんですよ。
毎日、魚を扱っているけれど、二匹と同じコハダはいない。今月今夜、今日のコハダは一生に一回しか出会えません。だから、自分にプレッシャーをかけるため、こう声をかけるんです。「おまえ、これが人生最後のコハダだと思っておろしてみろ」。手が震えて最初のひと刺しが入らないですよ。これが最後か、と思うと涙も出てくるし……。だから、「心を尽くした最高の仕事をして、最高の状態でお客様の前に出させてもらいます」と、コハダに感謝しながら包丁を入れる。
根っこにあるのは「こういう鮨屋があったらいいな」「そういう鮨屋だったら通いたいな」という感覚です。おいしい料理を作るために、試行錯誤を重ねている店に通えば、職人としてまだまだのころから、腕を上げていく時代、脂が乗ってきてやがて枯れていくところまで、人生を通して付き合っていけるでしょう。
――鮨だけじゃなく「人間を味わう」という面がある?
鮨屋っていうのは料理人が目の前にいますからね。丸わかりなんですよ。不平不満を抱えてやっているのか、楽しんでやっているのか。仕事に気持ちを込めているのか、そうじゃないのか。そうやって人間がわかる点でも鮨屋っていいものだと思いますよ。
これまで50年、食材とお客さんを結びつける仲人としてやってきました。専門家として培ってきた何かが、お客様の心に残ればいいですね。感動じゃなくて違和感でもいいんです。「あの鮨屋のオヤジ、なんであんなことしてたんだろう?」と。
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【店舗情報】初音鮨
住所:〒144-0051 東京都大田区西蒲田5丁目20-2
電話:03-3731-2403
URL:https://www.hatsunezushi.com/
営業時間:完全予約制
第一部15:00〜(土曜日13:00)
第二部17:00〜(土曜日15:00)
第三部19:00〜(土曜日17:00)
定休日:水・木・日曜、市場休場日
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――初音鮨と言えば、完全予約制に前払いといったことに加えて、中治さんのトークで有名です。
そうですね、お客様の集中力を妨げないよう気をつけつつ、食材や旬の魚などの説明をして、料理の仕上がっていく様子もご覧いただいています。たとえばシャリの場合、まずは備長炭の火をおこし、ご飯を研いで給水させて……と、お食事が始まる時間から逆算して炊き始めます。そして、お客様が着席して手を拭き終わるくらいのタイミングで、炊きたてのご飯をご覧いただき、目の前で酢飯を作る。そこから食事のスタートです。
「シャリの産声を聞いてください」といつも言うんです。おぎゃーと生まれた赤ん坊がよちよち歩きになって、ひとり立ちして、働き盛りの時代があり、そのうち腰が曲がって終わりを迎える――。そんなご飯粒の一生に立ち会ってもらうためにも、みなさん必ず時間ぴったりにお越しいただく。「心尽くしのシャリをあなたのために」というかたちにしたいんです。
――遅刻もダメだと聞いています。
このスタイルを始めたときは、「鮨屋のほうが時間を指定するなんて生意気だ」なんて相当言われました。ほかにも当時としてはいち早く全面禁煙にしたりしたもんだから、古くからのお客さんは怒りましたね。「親父のころはいい店だったのに、このバカ息子が」と。
遅刻厳禁にしているのは、ここに来た意味がなくなるからです。15分でも遅れたらご飯の温度が変わって、柔らかいもちもちとしたご飯が、刻一刻としっかりとした粒になってくる様子をご覧いただけない。そこからもさらにご飯の温度は下がり続け、最後は海苔巻きに適した冷めたご飯になるわけですが、当店ではこういう変化の流れを2時間以上かけて味わっていただくわけですから。
――まるでクラシック音楽やバレエの公演に行くような……。
ここまでムキになって鮨の良さを伝えようとしている――。そんな熱量がこの店の特徴ですね。そこまで根を詰めた鮨となると、もちろんお客様によって向き不向きもあるでしょう。ある程度、心構えや予備知識が求められますから。だから、このことがご理解いただけず「30分遅刻して何が悪いんだよ」という場合は「申し訳ないんですけど、今日は握れません」というしかないんです。それでも食べたい、と言ってもらえるのはありがたいんですけど、一番だと思っていない鮨を出してお金をもらうことはできませんので。
●「めんどくさいお客さん」を増やしたい
――「お客さんの都合に合わせる」という一般的なサービス業とは正反対です。
おいしいものを食べたかったらそれなりの努力がいる、ということですね。もちろんはじめてのお客様は、なぜそんな制約があるのかわからないから「こんな食べ方をすると、こういう味わいが楽しめますよ」という説明をさせてもらいます。
やはり「知る」というのは大事なことだと思います。職人が一生かけて求めている鮨があって、お客様がそれを食べる。そのとき「なぜこうなっているのか」といったことを説明し、知識欲も満たした上で味わってもらいます。
先ほど言ったシャリの温度の話でも、一度ここで聞いたら知識になって心に残る。すると、その方は「めんどくさいお客さん」になるわけですね。そういうお客さんが増えてくれば、鮨という業界も伸びていく。知識を持ったお客さんは、鮨という文化を発展させていくのに必要な資源であり、私はそんな「めんどくさいお客さん」を増やすために奮闘している。言い換えれば、食に対する執着が強い人によって飲食店は磨かれていくと思っているわけです。
――お客さんとの真剣勝負というか……。
あまり度が過ぎてはいけませんけど。若い頃は厳しく考えすぎたきらいがあって、携帯電話も「仕舞ってください」といちいち注意してたんですが、今はお客様には楽しんでもらうのが一番だと思っています。食事中のスマホ撮影もOKですよ。
ただ、「ちょっとストレスがあったほうが舌は鋭敏になる」ということは覚えておいてほしいですね。逆に言うと、テレビを見ながら食べた食事はぜんぜん印象に残らない。だから同じレベルの鮨屋でも「なんかうるさそうなオヤジがいるな」という店のほうが、経験として豊かになるんです。オヤジの立場で言えば、頑固なフリをしてでも客を緊張させ、味覚に集中してもらおう、というのがある。
「今日の大坂なおみ選手、すごかったねー」とか、わいわい言いながら食べてもいいんですけど、それではすばらしいネタの奥行きに気づいてもらえない。生産者の恩に報いることにならないし、お客様が洗練されたおいしさに気づくチャンスも奪ってしまう。ただリラックスすればいい、というものでもないんです。それなりのお勘定を頂戴していますから、こちらにも責任がある。期待値を上回るおいしさを体験をしてもらわないと。
●「死んでもいい」と言えるか
――このスタイルを始めた当初はガラガラだったそうですが、「自分は間違っているのでは」という不安はなかったですか?
もう人生を賭けてますから、どうということもなかったですね。自信もありました。あとは、お客さんがついてこれるか、気づいてくれるかどうか。このマッチングはものすごく難しいんだけど、僕はそれを「蒲田で実現してみせる」と誓ったものだから、いまさらのこのこ銀座に出ていくわけにもいかない。銀座や神楽坂に通っているお客さんを蒲田まで歩かせる、ドバイからでもニューヨークからでも来させてみせる、と。いったん腹をくくってしまえば悩みはありませんでした。
決めたのは「これ以上はない」と言えるような鮨を出すこと。当時から今まで、鮨に関していっさい妥協はありません。ほかの部分はいろいろ妥協しても、鮨だけはしない。仕入れのときでも、「指値」と言って「3万円から3万5000円までのマグロにしてください」というふうに注文するのが普通のやり方なんですけど、ここ十年くらいは値段すら聞いていません。ただ「一番いいものをください」と。
だから、この取材の直後に倒れて死ぬことになっても「あれやっておけばよかったなぁ」というのはありません。この仕事が大好きで、鮨に対する思いの丈をすべてぶつけていますから。自分の選んだ仕事に真摯でありたい、そして先人たちが積み上げてきた「食」という文化を支える確かな担い手でありたい、という気持ちです。
――真摯さと言えば、お客さんとも一期一会ですよね。
自分の仕事への愛は、もちろんお客様への愛にもつながります。さらに言えば食材に対しても同じ。生きることは食べること。食べるというのは殺生であり、私たちは魚や植物の命をいただいている。そして自然は空気や水にたくさんの微生物がいて成り立っている。そう考えれば感謝がないと鮨は成り立ちません。食材や自然をはじめ、生産者や流通に関わる人々、すべてへの感謝です。
●「満足」が料理人を殺す
――「これ以上ない」と言えるような仕事をしたいと願う人は多いと思います。でも実際は……。
先ほど妥協のない仕事をすると言いましたけど、そこで満足するのもいけないんです。職人として一番ダメなのが「満足」。これでよし、と思ったら成長しません。常にハングリーでなければいけない。人間の想像力や叡智というのは、常に「もっとよくなるはずだ、もっとできるはずだ」と信じている人だけが具現化できる。「もっと、もっと」と考えて潜在能力を活性化させていかないと。
お客様に食べてもらうときも「これもすばらしい。だが、さらに上がある、次がある」と思って料理を出す。たとえば、来年のハマグリの時期が来たとき、ベースとしては今年のやり方があるんだけど、そこから半歩でも挑戦しないと職人としての成長はありません。
「寿司・天ぷら・うなぎ」と看板の出ている便利な和食店がありますよね。ああいう店は、お客さんがイメージする見た目や味があって、それと整合性が取れればOKなんです。メニューに1500円の天丼があったら、お客さんは「こういうもんだろう」と考える。大きな海老が二つくらいのっていて、大葉があって……と。で、その通りのものが出てきたらお客さんは納得するし、料理人も「天丼とはこういうものだ」と納得しちゃう。こうなるとそれっきり進歩がない。
これが「天丼という料理はこんなものじゃない」「もっとおいしい天丼があるはずだ」と信じている料理人だったらどうなるか。うなぎも寿司もやめて、天丼だけを一生かけてやっていこう! となるでしょう。そういう職人が作った天丼だったら食べる価値がありますよ。
――私もひとりの職業人として耳が痛い話です。
プロでありながら一般レベルまで目線を落としてしまっている。このように自分の可能性を殺すのが「満足」なんです。
言ってしまえば「みんな欲がないなぁ」と思いますよ。料理人はもっとできるのに。なんでそんな教わったレシピ通りにできたくらいで満足しちゃうんだ、本当に好きでやってるの? という話です。高級車に乗りたいから飲食業をやってるんだったら、はじめからクルマ屋になったほうがいい。そうじゃないだろう、鮨でお客さんを喜ばせたいから職人になったんじゃないのか? と。
●人間を提供するお店
――料理人がそこまで気持ちを込めているとは想像していませんでした。
「そこまでやるか」と言われるようでなきゃダメなんです。でないと、この道を選んだ意味がない。当然、ハードルはどんどん上がっていきます。長くやればやるほど、いいものも悪いものもいっぱい見ることになる。一生勉強でしょうか。でも、だからこそ楽しいんですよ。
毎日、魚を扱っているけれど、二匹と同じコハダはいない。今月今夜、今日のコハダは一生に一回しか出会えません。だから、自分にプレッシャーをかけるため、こう声をかけるんです。「おまえ、これが人生最後のコハダだと思っておろしてみろ」。手が震えて最初のひと刺しが入らないですよ。これが最後か、と思うと涙も出てくるし……。だから、「心を尽くした最高の仕事をして、最高の状態でお客様の前に出させてもらいます」と、コハダに感謝しながら包丁を入れる。
根っこにあるのは「こういう鮨屋があったらいいな」「そういう鮨屋だったら通いたいな」という感覚です。おいしい料理を作るために、試行錯誤を重ねている店に通えば、職人としてまだまだのころから、腕を上げていく時代、脂が乗ってきてやがて枯れていくところまで、人生を通して付き合っていけるでしょう。
――鮨だけじゃなく「人間を味わう」という面がある?
鮨屋っていうのは料理人が目の前にいますからね。丸わかりなんですよ。不平不満を抱えてやっているのか、楽しんでやっているのか。仕事に気持ちを込めているのか、そうじゃないのか。そうやって人間がわかる点でも鮨屋っていいものだと思いますよ。
これまで50年、食材とお客さんを結びつける仲人としてやってきました。専門家として培ってきた何かが、お客様の心に残ればいいですね。感動じゃなくて違和感でもいいんです。「あの鮨屋のオヤジ、なんであんなことしてたんだろう?」と。
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【店舗情報】初音鮨
住所:〒144-0051 東京都大田区西蒲田5丁目20-2
電話:03-3731-2403
URL:https://www.hatsunezushi.com/
営業時間:完全予約制
第一部15:00〜(土曜日13:00)
第二部17:00〜(土曜日15:00)
第三部19:00〜(土曜日17:00)
定休日:水・木・日曜、市場休場日
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最高の料理を生み出す厨房で
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