【特集3】専門家に聞くimage_maidoya3
中国・清王朝の全盛期を築いた雍正帝は、居室の入り口に三文字の額を掲げ、その両側に対となる言葉を書いていたという。「為君難(君主たるは難いかな)」「原以一人治天下(天下が治まるかどうかはわれ一人の責任)」「不以天下奉一人(われ一人のために天下を苦労させることはしたくない)」(宮崎市定著『雍正帝』より)。皇帝のような絶対権力者であっても民の気持ちが離れてしまったら統治は立ち行かない。言ってしまえば皇帝は民衆という海に浮かぶ船であり、どんなにでかい船でも海が荒れればひっくり返される。上が下を圧するだけの「専制」が長続きしないことは歴史が証明している--。さて、ここでミャンマーに目を転じて、国軍の「統治」を考えてみよう。クーデターは成功した。銃口を向ければ市民は従う。選挙をやり直して議会を開くことも制度上は可能だ。だが、はたして「国民の大半が認めていない政府」なんてものが、この先も維持できるのだろうか。いったい国軍は、今後の国家運営についてどんなビジョンを持っているのだろう? そんな疑問を持った編集部は、ミャンマー政治の専門家で京都大学東南アジア地域研研究所准教授の中西嘉宏准さんを訪ねた。

特集3
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京都大学の稲盛財団記念館
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中西嘉宏さん
●「国軍」とは何か
 
  --そもそも国軍って何なんでしょう? 軍隊なのに政治権力を握っていてビジネスまで手がけている。日本人から見るとすごく不思議な存在です。
 
  一般的には、軍隊と政治組織とは別のものだと考えられているんですけど、この国の場合は違うんですね。1948年にミャンマーは独立するのですが、当時、植民地支配や日本軍に抵抗する独立運動の中心となったのは武器を持って戦う「軍人」だった。つまり国家の成立過程ですでに軍事と政治が重なっていた。国軍に言わせれば「独立の立役者は軍であり、その後に起きた内戦で国の分裂を防ぐため命を賭けてきたのも我々だ」というわけです。
 
  私たち日本人が軍と政治を分ける「文民統制」を常識のように考えているのに対して、ミャンマー国軍は軍が政治に関わるのは不自然なことではないと捉えているし、むしろそうしないとミャンマーという国家は分裂や崩壊をしかねない、と。これは政治への関与を正当化する言い訳のように聞こえますけど、本音でもあります。
 
  --今でも地方には少数民族の武装集団がいるわけですよね
 
  ミャンマーの内戦は独立以来、一度も終わっていないし、国境近くには20以上の武装勢力がいる。そして、じつはミャンマーの国土すべてを政府が統治できたことは、今まで一度もないと言われています。だから軍としては「自分たちが政治に関わらないと内戦状態はさらに悪化していく」「少しでもタガを緩めると国家が分裂してしまう」といった危機感がある。
 
  --そういう国軍の論理は、ある程度、国民も理解しているんでしょうか?
 
  過去には理解されていました。1958年と1962年の二度のクーデター時には、軍を支持する声も強かったと聞いています。しかし、1988年の民主化運動をきっかけに、軍に抵抗するような市民が目に見えるかたちで増えてきた。「独立のために戦ってきた軍」という論理が通用しなくなり、むしろ「この国を悪くしているのは軍じゃないか」と市民が声を上げるようになったわけです。当時、三度目のクーデターを起こした国軍がこの民主化運動を徹底的に弾圧したことで、断絶は決定的となりました。
 
  --人心の離れた政権でも、2011年の民政移管までは国家運営できたんですよね
 
  統治はできていました。ただ、憲法もなければ議会もない状態が23年間も続いたわけで、普通の国ではありえない事態です。政党は一応あるけれど自由に活動できないし、いちばん支持のある政党のリーダーは軟禁されている。結局、統治が長くなればなるほど国軍は支持を失う構造になってしまったわけです。社会運動や表現の自由もないので、経済も停滞しました。
 
  --そんな過去の失敗があるにも関わらず、4回目のクーデターというのは……
 
  国軍が「民主政が安定しない」と考えたとき、それを理由に政治介入する。これが過去に起きたクーデターのパターンです。過去3回のクーデターにはそれぞれ、政党政治の混乱や分離独立の動き、民主化運動の高まりといった理由があった。そして今回、4回目のクーデターを起こした理由として軍が言っているのは「選挙に不正があった」。つまり軍が「国家の脅威になる」と考えるものが現れた場合、彼らは行動を起こすわけです。
 
  ●市民と国軍とのズレ
 
  --過去のクーデターにも、彼らの考える「大義」があったということですね。
 
  これまでも、そして今回のクーデターも国軍から見れば大義はあるんです。それを市民や国際社会が認めるかどうかは別の話ですが。だから彼らは「自分たちの利権を守るために行動を起こした」なんてことは口が裂けても言いません。ただ、今年2月のクーデターの「大義」は国軍の外にいる人間からすると無理筋にしか見えない。
 
  しかも、今回のクーデターは非合理で誰も得をしません。国軍としては、2011年の民政移管後のような政治体制に持っていきたいんだと思うけれど、残念ながらそうはならない。そんなことができる可能性はゼロなのに、なんでやったのかなぁ、と。それに、報道では「軍は利権を手放したくなかった」とよく言われますが、民政移管したからといって軍の予算が削られるわけじゃないし、国軍系の企業も民政移管後の方が儲かっていた。物質的利益だけを見れば、今回のクーデターで国軍が得をすることはなくて、逆に損する可能性もある。そう考えるとクーデターの背景には、国家観やイデオロギーといった面で大きなズレがあったとしか思えません。
 
  --もうすぐクーデターから半年です。こんな状態が続くとミャンマー社会に悪影響が出てきませんか?
 
  国軍への抗議がさかんだった2月には、市民的不服従が叫ばれて銀行も役所も動かない状態だったわけですが、それに比べると今は市民生活は正常化に向かっています。さすがにずっと仕事しないわけにもいかないし、抗議デモをしたら銃撃されるわけで。しかし、じゃあクーデター前に戻るのかといえばとそれは絶対にない。不安定ながら国軍が実効支配するというかたちになりそうです。
 
  市民が軍と衝突してバタバタ死んでいくよりまし、とは言えるものの、経済は悪くなっていくし治安も不安定になる。地方に行けば軍の部隊と武装勢力が争っている。内戦や人道危機といった最悪のシナリオは避けられそうですが、決して望ましくない悪い状態がダラダラと続くことになりそうです。また国際社会で「孤立」しても中国やロシアとは関係が結べるので、経済制裁で追い詰められることはない。けれど、国民生活が良くなることはないし、国としての将来像も描けない。これがいちばん厳しいですね。
 
  --国軍はこれまで「民主化を進める」と言ってきました。今回クーデターを起こした軍事政権もその路線で行くつもりなのでしょうか?
 
  その考えはあると思います。ただし「民主化」するとしても、自分たち国軍の役割を安全保障だけに限って、私たちがイメージするような「軍」になることはないでしょう。国軍のいう「民主化」とは、彼らの言葉を借りると「規律と繁栄のある民主主義」。この「規律」というのは軍の影響や権限、独立性が守られている状態を指す。だから、私たちからすると「どこが民主化なの?」といった話になる。
 
  それは国軍だって分かっていて、真の民主化に対する彼らの言い分は「今のミャンマーの状況には適していない」というものです。これは一部にしか通じないし、アウンサンスーチーを支持している人には受け入れられない。むしろ「国を危機的な状況してきたのは軍だ」と。それももっともで、軍政は2011年まで50年以上も続いてきたわけですから、結果責任があるし、「国軍は何をやってきたのか」と言われるのは当然でしょう。自分たちが50年も国を豊かにできなかったのに、また「政治に関与させろ」というのはさすがにおかしい物言いに聞こえますよね。しかし、軍は自分たちがやってきたことを間違いだとは考えないし、過去を反省して「同じ過ちをくりかさないように」とは思わない。これはすごいギャップです。市民は「軍のせいでこうなった」と思っているのに、国軍は「我々のおかげでこういう比較的マシな状態でいられる」と思っている。
 
  ●「悪」をののしるだけでいいのか
 
  --そんな軍事政権に対して日本はどう対応していけばいいのでしょう?
 
  日本人としては個人の信念にしたがって、寄付をしたりメッセージを出したりするのがいいと思います。一方、日本政府としてどうするかはなかなか難しい。すでに抗議のメッセージも出して、暴力の停止・拘束者の解放・民主的な政権への復帰を求めているけれど、これはかなりハードルが高いと言える。とくに2つ目はアウンサウンスーチーの解放を含むわけで、これは軍が絶対にやりたくないことです。この条件を出しているうちは、いまミャンマーを統治している軍と関係を作ることは困難でしょう。
 
  ところが、世間ではアピール不足と思われているようで、「日本は欧米のように自由と民主主義を大事にしている国のはずなのに、どうしてこんなに弱腰なのか」という人もいる。これは気持ちとしてはよくわかるんですけど、今のところ欧米の制裁は効果が出ていないし、中露が制裁に乗ってくることもない。今の状況を客観的に見れば「外交が何をやっても変わらない」でしょう。それを踏まえて、日本が何をするかを考えていく必要がある。
 
  「旗色を鮮明にして言いたいことを言え」というのもひとつの考え方だけれど、外交政策としてはナイーブすぎるというか、どうかなと思います。もし民主化勢力や臨時政府のNUGを支持すると表明してしまったら、軍とのつながりを続けるのは難しい。じゃあ、邦人や日本企業はどうなるの、軍の実効支配のもとで暮らすミャンマー市民はどうなるの、といった問題が出てくる。「市民の側に立って軍を批判すればいい」といった単純な話にはならないわけです
 
  --日本政府ができることとしてODAの見直しも議論されています。
 
  それも結果が出るかどうかでしょう。いま「ODAを全面停止するぞ」といったところで国軍は聞く耳を持たない。そして止めた結果、困るのは軍人じゃなくて市民です。現在の国軍統治を認めないというメッセージを出すのはいいとして、ODAの見直しを含め、実際に行動を起こすのはタイミングを見計らってやらないと何も動かない。それに、何もしなくてもミャンマーはこれから投資が来なくなって経済は落ち込むし、市民生活にも打撃があるでしょう。そこにさらに追い打ちをかけるのか。それで軍政が折れてくれるならやる価値もあるけれど、残念ながらその可能性はものすごく低い。
 
  国軍クーデターに怒っている人は「国を壊してでも痛い目に合わせたい」と思うかもしれません。日本にいればそう思うんでしょうけど、ミャンマーに暮らしている人々はそんなことは望まないですよね。
 
  --日本企業がミャンマーでビジネスすることの是非を問う声もあります。
 
  国軍との取引への風当たりは厳しいものの「ミャンマーから引き上げろ」という声はそこまで大きくないと感じています。日本企業は雇用も生んでいるし、労働条件などコンプライアンス面もまじめに守っている。そんな企業が「ミャンマーでの事業には人権的な面での批判があるから」と引き上げてしまったら、その空白に入ってくるのは人権などまったく気にしないような企業ですよ。「ミャンマーでのビジネスは軍の利益になるから悪」といった極端な単純化は警戒しなければいけません。
 
  --とくに日本人は「軍事政権」という文字そのものに「悪」を連想しますよね。
 
  軍政は基本的には「悪」なんですよ。ミャンマーの場合は特に。しかし、だからといって、ののしっていれば悪じゃなくなるのかと言えばそうじゃない。イラクにしろアフガニスタンにしろ、「悪だから」といって軍事介入までしたのに、そのあと安定した平和的な国はできていません。外部からの介入はどうしても限界があるんです。慎重にやらないと自己満足か、その国の人々に迷惑をかけるかで終わってしまいます。
 
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東南アジア地域研研究所で