【静岡から神奈川】いざ、箱根越え!image_maidoya3
静岡県もいよいよ東部にさしかかった。東海道は富士川を渡り、そのまま伊豆半島の付け根まで進んだあと北東方面にカーブ。最大の難所「箱根」に突入していく。編集長は浮世絵の構図さながらの富士山を眺めながら、海沿いの平坦なコースをひたすら歩く。一見、のほほんと東海道の旅を満喫しているだけに見えるが、じつは数日前からじっくりと「箱根越え」の戦略を考えていた。山の直前で宿泊し朝から峠越えに挑む--そんな旅の定石を打ち破る編集長の必勝プランとは? 第二部は13日目から15日目まで。

静岡から神奈川
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リベンジ食いした「富士宮やきそば」
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旧道は箱根山のヤブを突き進んでいく
●13日目:12月18日(土)@由比(静岡市)
 
  夜明け前の6時40分に宿を出る。昨夜、部屋でビールを飲みながらテレビを見ていたら、いきなり目覚まし時計に起こされた。この旅をはじめてから「そろそろ寝よう」と消灯してから眠りに落ちたことは2、3回しかない。だいたい気絶するように寝落ちしてしまうので、風呂などは完全に済ませてからくつろぐことにしている。電気やテレビがつけっぱなしでも眠りは深く、夢はほとんど見ない。
 
  今日は「沼津」の宿場街まで行く。明日の「箱根越え」を考えた上でのプランだ。常識的に考えれば、箱根の直前の「三島」に泊まり、翌朝から山登りを始めるべきなのだが、「由比-三島」は40kmを超える。この「死の行軍」をやった翌日に難所に挑むのは無茶だと判断した。しかし、三島のひとつ前の沼津で終わらせておけば40km以下で収まる。これなら次の日にダメージは残らない。翌日、早めにスタートして肩慣らしに「沼津-三島」6kmをサクッと終わらせ箱根に取り付いたら、あとは必死で峠を越えて、宿の取れる地点まで足を動かし続ける--。これが勝利の方程式だ。
 
  海から日の出。ああ、東日本に来たのだ。よく見ると太陽は海の向こうにある山から昇っていた。伊豆半島である。箱根は近い。
 
  「蒲原」の本陣を通過。そのまま富士川を渡って富士宮市に入った。午前中には、次の「吉原」を通り抜けたい。そしてなるべく早く沼津に着いて、洗濯をしたい。今回の旅では着替えを持たず、消臭素材の下着「ボディタフネス」を数日着てはホテルのコインランドリーで洗濯している。冬だから許されるスタイルだ。ただ洗濯は意外と手間で忙しいので、一番いいのはレターパックで洗濯物を家に送ってしまうことだろう。下着はコンビニでも売っているし、東海道には「しまむら」なんかも多い。
 
  富士宮市のコーヒー専門店で休憩。グアテマラを飲みながらマスターと話す。たまに東海道ウォーキングの客が来るらしい。箱根の雪が心配だと言うと「大丈夫」とのこと。「だいぶ温暖化してますからね。テレビの箱根駅伝でも雪ないでしょ?」。言われてみればそうだ。このとき初めて、自分があの箱根駅伝のコースを行くことに気づいた。コンビニのイートインもいいけれど、こういう店で少しおしゃべりするほうが気が晴れる。
 
  吉原でランチにする。富士宮市の名物は「焼きそば」らしい。ところが、ちょうどいい店がない。グーグルマップで近くを探していると「つけナポリタン」なる名物を出す店を発見。まったくおいしそうに見えないけれど、ひょっとしてすごい食体験ができるかもしれない……。オープン直後の店に突入すると、大将が面倒くさそうに調理を開始。15分ほどで「つけナポリタン」が登場した。もりそばの要領で、バジル色の麺をナポリタンソースに絡めて食べる。うん、マズくはない。しかし、美味いかと聞かれれば、目を閉じて静かに首を振るだろう。まあしかし、ここで食べなければ、生涯「つけナポリタンってどんな味なんだろう?」というモヤモヤを抱えてその後の人生を歩まねばならなかった。その点、後悔はしていない。
 
  沼津まで残り18km。4時間はかかる。足も休めたいが、それより口直しがしたい。ところが、コンビニが出てこない。というか何もない。このあたりの道のつまらなさはヤバい。気が滅入るほどまっすぐな道を歩いていると、おのずと先ほどの「つけナポリタン」の味が思い出され、イライラしてくる。
 
  原の宿場町で焼きそば店を発見。救いの神とばかりに飛び込んでミックスを注文する。本日二度目のランチである。東海道の旅では定番の店らしく、ロケで訪れた芸能人のサインがところ狭しと飾ってある。待望の「富士宮やきそば」は、やさしい味付けがよかった。関西の夜店で食うような焼きそばに対して、ちゃんと食事になる。野菜もたくさんで栄養バランスのいいメニューである。おかげでつけナポリタンの呪縛から逃れることができた。
 
  原から沼津へ向かう。あまりにも殺風景でクルマも危険なので、東海道と並行する千本松原のコースを歩くことにした。やや距離は増えてしまうけれど、快適と安全を取る。今朝、コーヒー専門店のマスターが勧めてくれた道だ。やはり遊歩道はすごく歩きやすい。本物の東海道はクルマのための道になってしまったので、雰囲気としてはこちらのほうが江戸時代の東海道に近いと思う。波の音に包まれ、海に沈む太陽を眺めながら2時間ほど歩き続けて、16時30分に沼津着。振り返るとかなり富士山から遠ざかっていた。
 
  ホテルで天気予報をチェックする。明日の箱根は晴れ。環境は整った。あとは自分の足との戦いになる。今日はホテルの風呂で温冷浴して足を休めることに徹しよう。
 
  †本日の移動距離=由比→蒲原→吉原→原→沼津38km/通算419km
 
  ●14日目:12月19日(日)@沼津(静岡県沼津市)
 
  決戦の日である。きょうは沼津から小田原まで、40kmの峠越えにチャレンジする。
 
  バックパックを担いでホテルを出たのは6時50分。今日は時間との戦いになる。とにかく箱根峠を越えるまでは前に進むことだけに集中する。まず次の宿場町「三島」をめざし、箱根の登り口までは休憩なしで行こう。
 
  山行記録のシェアアプリ「ヤマレコ」によると、単独のハイカーが三島駅前から旧道を通って小田原に出るまで、10時間かかっている。自分の場合、三島通過が 8時くらいになるため小田原着は最短でも18時になる。昼飯をゆっくり食ってる暇がないのは確かだ。18時は真っ暗なのでなんとか1時間縮めて17時には小田原の市街に入りたい。
 
  エスケープ手段は箱根峠の神奈川側にある「湯本」だ。ここに「弥次喜多の湯」という健康ランドみたいな施設があるので、足が限界になった場合にはここで投宿する。それでも20km以上は進んでいるから、じゅうぶんあとで挽回できる。登りのハードさや石畳の状況などは現地に行くまでわからないので、臨機応変に判断する。「なにがなんでも小田原だ」とか、馬鹿げた意地を張らないようにしたい。
 
  三島への道は寒い。今回の旅で初めて手袋をつける。米屋で手作りおにぎりを売っていたので2つ購入。これで昼飯の心配はなくなった。そのまま8時過ぎ、三島の本陣を通過。信号や歩道橋だらけの「沼津-三島」6kmを1時間ちょっとで終わらせてしまった。自分でも驚くほどのスピードだ。
 
  8時半、箱根の坂を登り始める。箱根駅伝でおなじみの車道ではなく、未舗装の山道と石畳である。急坂はまだいいほうで、油断すると足首をひねりそうになる石畳が恐ろしい。坂はきつくて長いものの「日坂-金谷」の勾配に比べればまだマシだ。ただフローズン状態の地面は少々歩きにくい。
 
  箱根の西側で最も勾配のきつい「強飯坂」を登って、車道に合流。とんでもない坂だったが、石畳じゃないだけマシだ。ときおり顔を出す石畳と急坂の組み合わせは凶悪である。捻挫の診断書がほしい人は、旧街道で箱根を登るといい。
 
  きょうは日曜日だからハイカーがいるかと思ったら誰もいない。そりゃそうだ、こんな10mも歩かないうちに足首をひねりそうな石畳を歩きたいヤツがいるだろうか。せっかくの山歩きなのに、ずっと下を見て、一歩一歩、足元のグリップを確認しながら登っていかねばならず、景色もクソもない。
 
  旧道は石畳の崩壊により通行止めになったので、また車道に合流。舗装路は天国のようだ。背後から走り屋の大型バイク、続いてスポーツカー、そして暴走族の大集団が追い抜いていった。そのまま車道沿いにじわじわ登って11時30分、箱根峠に着いた。めちゃくちゃ寒い。電熱ベストをフルパワーにして、全アウターを重ね着して、ベンチでおにぎりを食べる。寒さに加えて下ネタしか言わない地元のオッサンが絡んできたこともあって、味わうどころではなかった。
 
  休憩できる気温ではないので、さっさと下りに入る。車道から石段を降りた先の旧道は、ほぼヤブだ。誰もいないからいいものの、人間がすれ違うのも難しい。夏場にひと月も放置したらこの道は自然に還ってしまうのではないか。トータルでは下りになっているのだが、意外と登りの場面が多くてキツい。芦ノ湖に出たところにコンビニがあったので、カップ麺で体を温める。風が強い。岸壁のベンチは波で濡れるので、大急ぎでハラに入れる。
 
  箱根下りを再開。しばらく穏やかな道が続いたと思ったら、崖のような石段が現れる。降りた先は石畳の急坂だ。しかも濡れて苔むしている。慎重に足を置いていくが、予想通り滑る。今回の旅で初めて、アシックス安全靴の耐滑ソールでも太刀打ちできない路面だった。ズルズル足を滑らしながら下ると、車道に出る。クルマに気をつけながら横断すると、まだ石段と石畳。また車道を横断。「箱根の七曲り」と呼ばれる有名なつづら折りを直線的に下っているのだ。石段と石畳の連続で、膝の耐久ゲージがゼロになった。
 
  16時に箱根湯本を通過。あとは小田原まで平坦の街歩きなので、だらだら足を動かし続ければいい。途中、共同浴場があった。「せっかく箱根に来たんだし、15分だけ温泉に入ろうか……」と悪魔の囁きが聞こえる。「いや、気もそぞろで温泉に入ってもぜんぜん楽しくないぞ。それより早く小田原に行って祝杯をあげるのだ!」。ビールによる悪魔祓いに成功した。
 
  17時半、小田原のホテルに到着。命を燃やし尽くすような死の行軍だったが、きのう考えた計画通り、箱根をクリアした達成感はひとしおだ。フロに入ってパソコンで旅のコースを記録してから、満を持して缶ビールを開けた--。これ以降の記憶はない。
 
  †本日の移動距離=沼津→三島→箱根→小田原40km/通算459km
 
  ●15日目:12月20日(月)@小田原(神奈川県小田原市)
 
  昨夜に買った弁当の残りを食べて7時過ぎに--と、いきなりホテルの下り階段を踏み外しそうなった。危ないところだ。難所、箱根をクリアして東海道踏破が確実になった、そんな意識がこのような凡ミスを引き起こす。これから先、難所はないだろう。しかし、クルマが危険な道はいくらでもあるし、不注意で足でもひねればそこでミッションは失敗に終わる。「勝って兜の緒を締めよ」と自分に言い聞かせて、小田原の宿をスタート。
 
  きょうは宿場町を「大磯」「平塚」と刻んで「藤沢」に泊まる。藤沢から先は横浜市だからもう宿無しになる心配はない。というか、もうゴールは見えている。藤沢から東海道の終点「日本橋」は50km。仮に藤沢を日の出前にスタートすれば、その日のうちに日本橋に到着することも可能だ。つまり毎日、半狂乱で歩き続ければ、東海道は15、6日で踏破できることになる。絶対やめたほうがいいけれど。
 
  大磯まではほとんど1号線。まだ富士山が後ろに見える。もう東京近郊を歩いているような感じがするものの、まだ日本橋まで100km以上ある。とはいえ、もう峠もないし夜でも歩けるような街ばかりなので、ひじょうに気は楽。消化試合だ。これからは退屈との闘いになる。
 
  JR二宮駅前のミニストップで休憩。いつもなら靴を脱ぎ必死で足を休ませるところだが、もうそこまでシビアになる必要もない。普通にスイーツを食べる。藤沢までの道は夜でも歩けるから、先を急ぐ必要もない。
 
  11時半に大磯を通過。ちょうどよく郵便局があったので、カッパに傘、防寒アイテムなどをまとめてレターパックで送る。これでますます身軽になった。ベンチで荷物を整理していると、年賀状を買いに来るお客さんが次々とやってくる。おい聞いたか、世間はもう年末らしいぞ。
 
  退屈なのでランチの店を探す。大磯で人気の老舗ラーメン店は休業日。足を伸ばして平塚駅前のラーメン屋に向かう。こちらは開いていたけれど、名物のつけ麺が売り切れだった。代わりに普通のラーメンを食べたけれど、食事しか楽しみがない人間にとって、こういうのは地味に堪える。売り切れと聞いた時点で、店を出ていくべきだった……。
 
  藤沢まであと13km。きのうの箱根越えは苦しかったがやりがいがあった。肉体的にもチャレンジだし、クリア後の達成感もあった。また愛知や静岡を横断していくのも旅情があったし、歴史や文化の違いを肌で感じるという点でも意義があった。ところが、この1号線歩きには、まったく何の意味も見いだせない。桑名から名古屋市までの「死の行軍」ほどハードではないが、それ以上の虚しさが隙間風となって心に吹きすさぶ。明日も明後日もこれをやるのか。
 
  この旅が終わったら何がしたいか、考えてみる。温泉にゆっくりつかる、のんびり本を読む、マッサージを受ける……、いや、それよりただ「移動しない生活」がしたい。1日に30kmも歩かず、明日の心配もせず、コーヒーを淹れながら窓の外を眺めるような暮らしが。あと、東海道の本をゆっくり読みたい。せっかく名所や旧跡をたくさん通ってきたのに解説を読むヒマがなかったからだ。
 
  箱根の疲れだろうか、30kmを過ぎたあたりで急に足が重くなってくる。そんなちょうどいいタイミングで17時半、藤沢駅前に到着。ホテル選び放題なのがうれしい。
 
  †本日の移動距離=小田原→大磯→平塚→藤沢36km/通算495km
 
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明るいうちに峠を越え、ほっと一息
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アシックスの安全靴でも滑る石畳