ついに関東平野に入った。東海道は藤沢から相模湾を背にして北上。横浜市を縦断し、川崎、品川へと進んでいく。品川の次は東海道の起点、日本橋だ。距離にして50kmほど。もう何の心配もない。トイレや休憩場所はいくらでもあるし、食事や宿も選び放題。夜の街に繰り出すことだってできる。箱根を越えてすっかり気の緩んだ編集長は、都会を満喫しつつ、ゆっくりとゴール地点の日本橋をめざす。長く過酷な旅がようやく終わる--。京都から東京まで、17日かけて東海道を歩き通したとき、心に去来したのは、ある感情だった。
神奈川から東京
戸塚の中華食堂で食べた「サンマーメン」
東海道の締めくくりは品川の「もりそば」
●16日目:12月21日(火)@藤沢(神奈川県藤沢市)
昨夜は鎌倉に住んでいる大学時代の先輩に会って呑んだ。社会人になるとなかなか「近くに来たんで」とも言いにくいし、向こうの都合もあるけれど、東海道歩きの途中なら忙しくても来てもらえる。いつもならすでに死んだように眠っている11時過ぎまで飲み食いして解散。今日はホテルで朝食をとって、藤沢を9時前にスタートした。
藤沢の本陣近くに東海道の展示施設があったのでさっそく入る。この手のミュージアムは道中いくつもあったのだが、時間の都合でスルーせざるを得なかった。しかし、ここまでくればもう大丈夫。いくらでも寄り道できる。お土産も買って、すっかり観光客気分。--と思っていたら藤沢発が9時半になってしまった。このペースはさすがにヤバい。
箱根を越えてから、足のコンディションは日に日に回復している。自己流のテーピングをしたり、洗面器に水をためて温冷浴をしたり、といろいろ足のケアをしてきたが、やはり歩く距離をほどほどにしておくのがいちばんの薬だと思い知らされた。連日40km近くも歩いていては、筋肉や関節、皮膚の修復が間に合わないのだ。
歩道橋に「ここからの箱根駅伝の観戦は禁止します」という注意書きがある。そうか、正月の箱根駅伝はここを走るのか。これまで駅伝を熱心に観たことはないけれど、年始の箱根駅伝はテレビでじっくり観戦しようと心に決める。「箱根の七曲り」など山の区間で、旧道の石段がチラリと映るかもしれない。「あっ、おれが通った道だ!」と言いたいではないか。
今日は横浜市を北東方向に通り抜けて、川崎まで行く。なんか馴染みのある地名ばかりで一気に行楽ムードになってしまったものの、距離はしっかり35kmあるから、あまりボヤボヤしてたらたどり着けない。まあ、ここまでくれば日没後の夜道も安全だから、そんなに急ぐ必要もないのだけれど。
戸塚駅前でランチにする。横浜といえば中華というわけで「冷やし中華」に狙いを定めた。商業施設「トツカーナ」にあった本格中華の店で「冷やし中華、やってますか」と聞くと「ないよ〜、夏だけ!」と中国人スタッフが笑いながら答えた。どうやらかなり非常識な発言らしい。
なぜ、冷やし中華なのか。じつは今回の旅では「一日一麺」を自らに課しているのだ。もっとも初めから決めていたのではなく、成り行きでそうなったという説明が正しい。はじめの数日間は、時間の都合でそばやうどんにしていたのだが、何日目かに「あ、そういえばここまでずっと麺だな」と気づいてしまった。じゃあ、明日からもずっと麺で通そう。「長い旅の安全祈願」のゲン担ぎとしてもいいじゃないか--。そんなわけで、毎日できるだけ様々な種類の麺を食べるようにしているのだ。参考までに、これまでの麺を列挙しておこう。
【東海道「一日一麺」チャレンジ】
1日目:ざるそば(山科の蕎麦屋)
2日目:冷凍パスタ(コンビニ)
3日目:きつねうどん(土山の道の駅)
4日目:ぶっかけうどん(石薬師のうどん屋)
5日目:シーフードヌードル(コンビニ)
6日目:家系ラーメン(中京競馬場近くのラーメン屋)
7日目:むらさき麦きしめん(藤川の道の駅)
8日目:カップ担々麺(コンビニ)
9日目:焼きうどん(コンビニ)
10日目:とろろそば(掛川の道の駅)
11日目:台湾まぜそば(岡部の台湾まぜそば専門店)
12日目:フォー(静岡駅前ホテルの朝食バイキング)
13日目:つけナポリタン(吉原の焼きそば屋)/富士宮やきそば(原の焼きそば屋)
14日目:カップそば(コンビニ)
15日目:ラーメン(平塚のラーメン屋)
うどん・そば・ラーメンとだいたい食べたので、冷やし中華がよかったのだ。さらに言えば、12月とは思えない陽気だったし……。
冷やし中華は無理っぽいので、ほかの「麺チャンス」を探りながら先に進んでいくと、地元の人で賑わう中華食堂があった。雰囲気がいいので一も二もなく入る。「中華風焼きそば」みたいなものがあれば、と思ったけれど、ないようなので「サンマーメン」を注文。これも横浜名物なので、東海道の旅の食事としては悪くない選択だ。ラーメンに熱々のあんかけを乗せたもの。「あん系」はべつに好みではないし、こんな暖かい日には気が進まないが……。
着丼。熱い、熱すぎるぞ。しかし、サンマーメンは調理に時間がかかるらしく、すでに20分ほど待たされている。ゆっくり冷ましながら食っている時間はない。ヤケドしそうなのを我慢しながら食べていると、隣のカウンター席にいた工員のおっさんの前に焼きそばのようなものが乗った皿が運ばれてきた。「へい、もやしそばお待ち!」。--ちょ、マジかよ。目の前が真っ白になった。
メニューにあった「もやしそば」や「五目そば」は、なんと「炒め料理」だったのだ。これを読んだ中には「当たり前じゃん」と思う人がいるかもしれない。しかし、関西では、それらは、暖かい中華そばの上に炒めたモヤシや野菜を盛り付けた「具沢山のラーメン」を意味する。チェーン店の「餃子の王将」でもそうなっている。なのに、なのに、なんで「もやしそば」で中華風焼きそばが出るんだ。おれはそれが食いたかったんだよ!
ショックである。食べたいものが食べられなかっただけではない。汗だくになった上、口の粘膜はベロベロだ。サンマーメンの感想なんて、とても語る気にはなれない。ハードラックとダンスっちまった……。
川崎まであと24kmもある。緊張感のなさから距離が伸びなくなってきた上、一日一麺をめぐる無駄なこだわりで、精神的ダメージまで受けてしまった。もう次の宿場町「保土ヶ谷」をぬけて「神奈川」までは、休憩なしで行くしかない。長い長い権太坂をひたすら下って、14時に神奈川の本陣を通過。信号が多くてなかなか距離を稼げない。30kmを越えるとさすがに足もキツい。
「生麦事件」の跡地などを通って17時過ぎ、川崎に到着。楽勝だったはずなのに思わぬ苦戦を強いられた原因は「気持ちの緩み」以外の何物でもないだろう。朝が遅かったことから始まって、観光施設でのんびりしすぎたり、ランチで時間を浪費したりとミスにミスを重ねた16日目だった。
†本日の移動距離=藤沢→戸塚→保土ケ谷→神奈川→川崎34km/通算529km
●17日目:12月22日(水)@川崎(神奈川県川崎市)
ついに東海道ウォーキングの最終日である。残りは川崎から品川、そしてゴールの日本橋まで、たった20km。ツール・ド・フランスの最終日、選手たちがシャンパンを飲みながら凱旋門の前をゆっくり流すように、長い旅の終わりをじっくり味わいながら歩いていきたい。
じつは昨夜も呑みに行ってしまった。立ち飲み屋で軽く地酒をやってホテルに戻るつもりが、その場に客としていたバー店員に誘われ、勤務先に突入。「東海道を歩いているんです」は最高にウケがいいから、つい会話できる場所に行ってしまう。その川崎のバーには三島出身のスタッフがいた。
「昨日は小田原にいたんですよ」
「へぇー、その前の日はどちらに?」
「うーんと……沼津ですね」
「えっ?」
「沼津スタートで、三島・箱根・小田原と。40kmくらいかな」
「……(※ドン引きの顔)」
たまらずカウンターの隣にいたおっさんと若い女性のカップルが会話に参加してくる。
「えーっ、東海道って電車でしょ?」
「お前なに聞いてたんだよ! 歩きだよ、歩き!」
「うそーっ? じゃあこの人ずっと歩いてんの? どこから?」
「京都だよ! だからスゴイんだって!」
「えーっ! マジで? バカじゃないの!?」
「お前なぁ!」
心洗われるリアクションである。道中に会った人々は、東海道を歩いていることを話すと、だいたいみんな「がんばって!」と言ってくれた。しかし、この旅はめちゃくちゃハードであることは間違いないものの、煎じ詰めれば道楽であり酔狂に過ぎない。激励されてもなぁ、と心のどこかで思っていた。そう、「バカじゃないの」こそ、この文明社会にあえて徒歩旅行をしている人にかけるべき言葉なのだ。
そんなわけで、予定外の夜ふかしをしてしまったため、9時45分に川崎をスタート。観光施設「東海道かわさき宿交流館」を見学して、公式グッズ「飛脚の六さん」ストラップを買う。リレー方式で東海道を6日で走った「定六」にちなんだキャラクターだ。東京に近づくにつれて東海道のミュージアムやお土産も充実してくる。こんなグッズは箱根を越えるまで、まったく手に入らなかった。
10時前、ついに多摩川を渡って東京都に入った。向かい風がひじょうに強くて疲れる。自転車はガンガンくるわ信号だらけでなかなか前に進めないわで、都会は都会の障害があるものだ。とはいえ、ゴール目前だから足取りは軽い。フルマラソンを走った直後に笑顔で表彰台に立てるアスリートの気持ちが、今ならわかる。
12時過ぎ、最後の宿場町「品川」に入った。「一日一麺」の締めくくりは蕎麦にすると決めていた。旧道沿いの商店街、地元客で賑わう「宝喜家」で「もり」をいただく。うまい、うますぎる。パーフェクトな蕎麦だ。やはり江戸のメシは格が違う。こうして東海道グルメは山科のざるそばに始まり、品川のもりそばに終わった。
13時過ぎ、旧道を出て品川駅へ。残り6kmは国道だ。あと2時間もせず日本橋に着いてしまう。何か終わらせてしまうのがもったいない気がする。数日前までは、あれほど立ち止まってゆっくりしたいと思っていたのに、今はもっと歩いていたい気もする。早く着いて旅を終わりにしたい気持ちと、終わらないでほしい気持ちが同時に押し寄せる。歩き始めたときは大嫌いだった東海道が、今は大好きだと言える。アウェーだった東京も、今やホームだ。
残り3km。『ちゃんと歩ける東海道』はついに最初のページ(※京都発のため)に達した。バリバリのオフィス街の中を、人を避けながら歩く。高級な料理を口に運ぶように、道路をゆっくり味わうように歩いていく。ぶじ旅を終える安堵の中に、目標をなくした喪失感が芽生えてくる。これが終わったら、日常に戻らなくちゃいけない。
銀座八丁目の交差点で、いきなり足がつりそうになった。今回の旅で初めてである。きっと緊張がとけたせいだろう。平日の昼間だというのに銀座はすごい賑わいだ。人が多くてぜんぜん進めない。東海道の難所はまだこんな所にもあったのだ。そして日本橋三丁目。いよいよだ、いよいよ日本橋に入った。日本橋二丁目。もう目の前、目の前だ。ゴールした後、どんな気持ちが湧いてくるのか、想像もできない。
15時13分、首都高の高架をくぐって東海道の起点「日本国道路元標」に立った。観光客がいたのでカメラのシャッターを押してあげた。お返しにスマホで撮影してもらう。名古屋から来たと話す熟年夫婦は、この男が京都から歩いてきたことを知らない。
達成感とは少し違う。ただ、何かが終わり何かが始まった気がする。「清々しい」とはこういうことか。しばらく立ったまま京橋のほうを見ているうちに、また歩く旅がしたくなった。
†本日の移動距離=川崎→品川→日本橋21km/通算550km
●18日目:12月23日(木)@日本橋(東京都)
日本橋を10時半にスタート。今日は埼玉県川口市の「まいど屋」に向かう。もちろん徒歩だ。そういう企画なので仕方ない。都市を歩くのは気が進まないけれど、距離はたった18kmの散歩レベル。まあ、東海道ウォーキングのエキシビジョンマッチみたいなものである。通常ルートはつまらないので「日光御成街道」と呼ばれる旧道で行くことにした。
せっかく作業服のショップ「まいど屋」に向かうのだから、ここで今回の旅の装備を紹介させてもらおう。東海道踏破のチャレンジを支えた精鋭のワークウェアたちだ。
まず、靴はアシックスの安全スニーカー「ウィンジョブCP209 Boa(型番:1271A029)」。とにかく頑丈でないと壊れるかもしれないしワイヤー式は足を休ませるのに便利だろう、と考えて旅の相棒とした。正解だったと思う。自慢の耐滑ソールは、濡れてコケが生えている箱根の石畳以外、街でも山でもまったく滑らなかった。それに水はけがよくてすぐ乾くのも助かる。ただ少々重さを感じた。それに先芯の間接的な影響やアッパーの固さによって、足の痛みが増した可能性もある。これは「履かなかったケース」の実験をしないとわからないけれど。同じ理由で疲労軽減の効果についてもわからない。これだけ歩いて疲れなかったら獣か何かである。なお、恐ろしいことにソールはほとんど減らなかった。
東海道ウォーキングは、99%の舗装路と1%の石畳および未舗装道なので、登山靴やトレッキングシューズは向いていない。かといって普通のスニーカーでは柔らかすぎる。こう考えれば、しっかりしたジョギングシューズあたりが賢明な選択ではないか。さすがに安全スニーカーがベストだ、というつもりはないものの、ゴツゴツした石畳など、よくつま先をぶつけるような場所では、たしかに安全ではあった。
防寒アウターは自重堂の電熱ベスト「フィーバーギア(型番:FG10000)」と普通のウィンドブレーカーを併用した。暖かい日はどちらか片方。寒い日には併用した。昼間に歩いているときはそれほど使わなかったものの、朝方や夕方、野外での休憩時などにはONにすることで、体温を保つことができた。また必然的にモバイルバッテリーを持ち歩くことになるので、スマホのバッテリー切れ対策にもなった。ただし、寒さに苦しむことがなかったのはたまたまこの時期の東海道が温暖だったからに過ぎないだろう。もし高地や北国を旅するなら、ちゃんとしたダウンを着込んだほうがいいのは間違いない。実際、箱根峠の休憩ではフルパワーにしてもほとんど歯が立たなかった。やはり電熱ベストは「防寒」というより「調節」のためのアイテムだ。
下着はおたふく手袋の冬用インナー「ボディタフネス(型番:JW-275)」だけで通した。温かくて動きやすいのは当たり前として、臭いがまったく出ないのは助かった。バックパックの背面パッドが濡れるくらい汗をかく場面もあったけれど、完全に無臭。このまま一度も洗濯しないで東京まで行こうかな、と思ってしまうくらいだった。結局、自分が気持ち悪いので3回ほど洗濯したが。本当に優等生な下着である。
靴下もコーコスの消臭ソックス「ニオイクリア(型番:G-8430)」の1組だけ。こちらも5日くらい洗濯しなくてもまったく臭わなかった。途中、足の痛み対策として100円ショップでインナーソックスを買って二重履きしていたら、そちらだけ臭くなってしまった。あと靴の中も順調に臭くなるので、家に上がるようなケースを除けば、靴下だけ消臭してもあまり意味はないような気もした。あと、恐ろしいことに、穴が空かなかったことも付記しておく。編集長は日頃から作業服の店で買った靴下を使っているが、いくらワーキング仕様だろうとずっと使っていれば着実に穴は空く。この靴下、どんだけ頑丈なんだ……。
さて、話を川口行きに戻そう。もう麺にこだわる必要ないので、昼ごはんは奮発して「うな重」にした。ほかにも、文京区駒込の東洋文庫ミュージアムに入ったり、北区王子の飛鳥山公園で渋沢栄一の展示を見たり、東海道のリベンジとばかりに寄り道をしまくる。市街地は信号だらけで面倒だけれど、東京は観光施設が多いから楽しい。
昨日までの旅を思い返してみる。たしかに徒歩旅行は楽しい。鉄道や自転車の旅と違って、頭のてっぺんからつま先まで、完全に「旅人」になれる。歩く速度だからわかることや、徒歩ゆえに生まれる人との関わりがたくさんある。結果として「旅体験」の純度が高くなるのだ。
一方で、東海道はもはやウォーキングに適したルートとは言えないということも指摘しておきたい。とくにスルーハイク(踏破)は可能でもするべきではない。田舎は単調で疲れる。都会は信号だらけで面倒くさい。そして両者ともクルマが多くて危険。景観が楽しめたり、歴史や文化を感じられたりする区間はごくごく一部だ。どう考えても、ぜんぶ歩く必要はない。もう一度歩きたい区間やゆっくり訪ねたい街はあるものの、踏破は二度としないだろう。ただ、矛盾するようだが「やってよかった」とは思う。
そんなことを考えつつダラダラと歩いているうちに、荒川を渡って埼玉県に入った。川口はもう宵の口だ。見通す道の先に「まいど屋」の看板が灯っている。
†本日の移動距離=日本橋→川口18km/通算568km
昨夜は鎌倉に住んでいる大学時代の先輩に会って呑んだ。社会人になるとなかなか「近くに来たんで」とも言いにくいし、向こうの都合もあるけれど、東海道歩きの途中なら忙しくても来てもらえる。いつもならすでに死んだように眠っている11時過ぎまで飲み食いして解散。今日はホテルで朝食をとって、藤沢を9時前にスタートした。
藤沢の本陣近くに東海道の展示施設があったのでさっそく入る。この手のミュージアムは道中いくつもあったのだが、時間の都合でスルーせざるを得なかった。しかし、ここまでくればもう大丈夫。いくらでも寄り道できる。お土産も買って、すっかり観光客気分。--と思っていたら藤沢発が9時半になってしまった。このペースはさすがにヤバい。
箱根を越えてから、足のコンディションは日に日に回復している。自己流のテーピングをしたり、洗面器に水をためて温冷浴をしたり、といろいろ足のケアをしてきたが、やはり歩く距離をほどほどにしておくのがいちばんの薬だと思い知らされた。連日40km近くも歩いていては、筋肉や関節、皮膚の修復が間に合わないのだ。
歩道橋に「ここからの箱根駅伝の観戦は禁止します」という注意書きがある。そうか、正月の箱根駅伝はここを走るのか。これまで駅伝を熱心に観たことはないけれど、年始の箱根駅伝はテレビでじっくり観戦しようと心に決める。「箱根の七曲り」など山の区間で、旧道の石段がチラリと映るかもしれない。「あっ、おれが通った道だ!」と言いたいではないか。
今日は横浜市を北東方向に通り抜けて、川崎まで行く。なんか馴染みのある地名ばかりで一気に行楽ムードになってしまったものの、距離はしっかり35kmあるから、あまりボヤボヤしてたらたどり着けない。まあ、ここまでくれば日没後の夜道も安全だから、そんなに急ぐ必要もないのだけれど。
戸塚駅前でランチにする。横浜といえば中華というわけで「冷やし中華」に狙いを定めた。商業施設「トツカーナ」にあった本格中華の店で「冷やし中華、やってますか」と聞くと「ないよ〜、夏だけ!」と中国人スタッフが笑いながら答えた。どうやらかなり非常識な発言らしい。
なぜ、冷やし中華なのか。じつは今回の旅では「一日一麺」を自らに課しているのだ。もっとも初めから決めていたのではなく、成り行きでそうなったという説明が正しい。はじめの数日間は、時間の都合でそばやうどんにしていたのだが、何日目かに「あ、そういえばここまでずっと麺だな」と気づいてしまった。じゃあ、明日からもずっと麺で通そう。「長い旅の安全祈願」のゲン担ぎとしてもいいじゃないか--。そんなわけで、毎日できるだけ様々な種類の麺を食べるようにしているのだ。参考までに、これまでの麺を列挙しておこう。
【東海道「一日一麺」チャレンジ】
1日目:ざるそば(山科の蕎麦屋)
2日目:冷凍パスタ(コンビニ)
3日目:きつねうどん(土山の道の駅)
4日目:ぶっかけうどん(石薬師のうどん屋)
5日目:シーフードヌードル(コンビニ)
6日目:家系ラーメン(中京競馬場近くのラーメン屋)
7日目:むらさき麦きしめん(藤川の道の駅)
8日目:カップ担々麺(コンビニ)
9日目:焼きうどん(コンビニ)
10日目:とろろそば(掛川の道の駅)
11日目:台湾まぜそば(岡部の台湾まぜそば専門店)
12日目:フォー(静岡駅前ホテルの朝食バイキング)
13日目:つけナポリタン(吉原の焼きそば屋)/富士宮やきそば(原の焼きそば屋)
14日目:カップそば(コンビニ)
15日目:ラーメン(平塚のラーメン屋)
うどん・そば・ラーメンとだいたい食べたので、冷やし中華がよかったのだ。さらに言えば、12月とは思えない陽気だったし……。
冷やし中華は無理っぽいので、ほかの「麺チャンス」を探りながら先に進んでいくと、地元の人で賑わう中華食堂があった。雰囲気がいいので一も二もなく入る。「中華風焼きそば」みたいなものがあれば、と思ったけれど、ないようなので「サンマーメン」を注文。これも横浜名物なので、東海道の旅の食事としては悪くない選択だ。ラーメンに熱々のあんかけを乗せたもの。「あん系」はべつに好みではないし、こんな暖かい日には気が進まないが……。
着丼。熱い、熱すぎるぞ。しかし、サンマーメンは調理に時間がかかるらしく、すでに20分ほど待たされている。ゆっくり冷ましながら食っている時間はない。ヤケドしそうなのを我慢しながら食べていると、隣のカウンター席にいた工員のおっさんの前に焼きそばのようなものが乗った皿が運ばれてきた。「へい、もやしそばお待ち!」。--ちょ、マジかよ。目の前が真っ白になった。
メニューにあった「もやしそば」や「五目そば」は、なんと「炒め料理」だったのだ。これを読んだ中には「当たり前じゃん」と思う人がいるかもしれない。しかし、関西では、それらは、暖かい中華そばの上に炒めたモヤシや野菜を盛り付けた「具沢山のラーメン」を意味する。チェーン店の「餃子の王将」でもそうなっている。なのに、なのに、なんで「もやしそば」で中華風焼きそばが出るんだ。おれはそれが食いたかったんだよ!
ショックである。食べたいものが食べられなかっただけではない。汗だくになった上、口の粘膜はベロベロだ。サンマーメンの感想なんて、とても語る気にはなれない。ハードラックとダンスっちまった……。
川崎まであと24kmもある。緊張感のなさから距離が伸びなくなってきた上、一日一麺をめぐる無駄なこだわりで、精神的ダメージまで受けてしまった。もう次の宿場町「保土ヶ谷」をぬけて「神奈川」までは、休憩なしで行くしかない。長い長い権太坂をひたすら下って、14時に神奈川の本陣を通過。信号が多くてなかなか距離を稼げない。30kmを越えるとさすがに足もキツい。
「生麦事件」の跡地などを通って17時過ぎ、川崎に到着。楽勝だったはずなのに思わぬ苦戦を強いられた原因は「気持ちの緩み」以外の何物でもないだろう。朝が遅かったことから始まって、観光施設でのんびりしすぎたり、ランチで時間を浪費したりとミスにミスを重ねた16日目だった。
†本日の移動距離=藤沢→戸塚→保土ケ谷→神奈川→川崎34km/通算529km
●17日目:12月22日(水)@川崎(神奈川県川崎市)
ついに東海道ウォーキングの最終日である。残りは川崎から品川、そしてゴールの日本橋まで、たった20km。ツール・ド・フランスの最終日、選手たちがシャンパンを飲みながら凱旋門の前をゆっくり流すように、長い旅の終わりをじっくり味わいながら歩いていきたい。
じつは昨夜も呑みに行ってしまった。立ち飲み屋で軽く地酒をやってホテルに戻るつもりが、その場に客としていたバー店員に誘われ、勤務先に突入。「東海道を歩いているんです」は最高にウケがいいから、つい会話できる場所に行ってしまう。その川崎のバーには三島出身のスタッフがいた。
「昨日は小田原にいたんですよ」
「へぇー、その前の日はどちらに?」
「うーんと……沼津ですね」
「えっ?」
「沼津スタートで、三島・箱根・小田原と。40kmくらいかな」
「……(※ドン引きの顔)」
たまらずカウンターの隣にいたおっさんと若い女性のカップルが会話に参加してくる。
「えーっ、東海道って電車でしょ?」
「お前なに聞いてたんだよ! 歩きだよ、歩き!」
「うそーっ? じゃあこの人ずっと歩いてんの? どこから?」
「京都だよ! だからスゴイんだって!」
「えーっ! マジで? バカじゃないの!?」
「お前なぁ!」
心洗われるリアクションである。道中に会った人々は、東海道を歩いていることを話すと、だいたいみんな「がんばって!」と言ってくれた。しかし、この旅はめちゃくちゃハードであることは間違いないものの、煎じ詰めれば道楽であり酔狂に過ぎない。激励されてもなぁ、と心のどこかで思っていた。そう、「バカじゃないの」こそ、この文明社会にあえて徒歩旅行をしている人にかけるべき言葉なのだ。
そんなわけで、予定外の夜ふかしをしてしまったため、9時45分に川崎をスタート。観光施設「東海道かわさき宿交流館」を見学して、公式グッズ「飛脚の六さん」ストラップを買う。リレー方式で東海道を6日で走った「定六」にちなんだキャラクターだ。東京に近づくにつれて東海道のミュージアムやお土産も充実してくる。こんなグッズは箱根を越えるまで、まったく手に入らなかった。
10時前、ついに多摩川を渡って東京都に入った。向かい風がひじょうに強くて疲れる。自転車はガンガンくるわ信号だらけでなかなか前に進めないわで、都会は都会の障害があるものだ。とはいえ、ゴール目前だから足取りは軽い。フルマラソンを走った直後に笑顔で表彰台に立てるアスリートの気持ちが、今ならわかる。
12時過ぎ、最後の宿場町「品川」に入った。「一日一麺」の締めくくりは蕎麦にすると決めていた。旧道沿いの商店街、地元客で賑わう「宝喜家」で「もり」をいただく。うまい、うますぎる。パーフェクトな蕎麦だ。やはり江戸のメシは格が違う。こうして東海道グルメは山科のざるそばに始まり、品川のもりそばに終わった。
13時過ぎ、旧道を出て品川駅へ。残り6kmは国道だ。あと2時間もせず日本橋に着いてしまう。何か終わらせてしまうのがもったいない気がする。数日前までは、あれほど立ち止まってゆっくりしたいと思っていたのに、今はもっと歩いていたい気もする。早く着いて旅を終わりにしたい気持ちと、終わらないでほしい気持ちが同時に押し寄せる。歩き始めたときは大嫌いだった東海道が、今は大好きだと言える。アウェーだった東京も、今やホームだ。
残り3km。『ちゃんと歩ける東海道』はついに最初のページ(※京都発のため)に達した。バリバリのオフィス街の中を、人を避けながら歩く。高級な料理を口に運ぶように、道路をゆっくり味わうように歩いていく。ぶじ旅を終える安堵の中に、目標をなくした喪失感が芽生えてくる。これが終わったら、日常に戻らなくちゃいけない。
銀座八丁目の交差点で、いきなり足がつりそうになった。今回の旅で初めてである。きっと緊張がとけたせいだろう。平日の昼間だというのに銀座はすごい賑わいだ。人が多くてぜんぜん進めない。東海道の難所はまだこんな所にもあったのだ。そして日本橋三丁目。いよいよだ、いよいよ日本橋に入った。日本橋二丁目。もう目の前、目の前だ。ゴールした後、どんな気持ちが湧いてくるのか、想像もできない。
15時13分、首都高の高架をくぐって東海道の起点「日本国道路元標」に立った。観光客がいたのでカメラのシャッターを押してあげた。お返しにスマホで撮影してもらう。名古屋から来たと話す熟年夫婦は、この男が京都から歩いてきたことを知らない。
達成感とは少し違う。ただ、何かが終わり何かが始まった気がする。「清々しい」とはこういうことか。しばらく立ったまま京橋のほうを見ているうちに、また歩く旅がしたくなった。
†本日の移動距離=川崎→品川→日本橋21km/通算550km
●18日目:12月23日(木)@日本橋(東京都)
日本橋を10時半にスタート。今日は埼玉県川口市の「まいど屋」に向かう。もちろん徒歩だ。そういう企画なので仕方ない。都市を歩くのは気が進まないけれど、距離はたった18kmの散歩レベル。まあ、東海道ウォーキングのエキシビジョンマッチみたいなものである。通常ルートはつまらないので「日光御成街道」と呼ばれる旧道で行くことにした。
せっかく作業服のショップ「まいど屋」に向かうのだから、ここで今回の旅の装備を紹介させてもらおう。東海道踏破のチャレンジを支えた精鋭のワークウェアたちだ。
まず、靴はアシックスの安全スニーカー「ウィンジョブCP209 Boa(型番:1271A029)」。とにかく頑丈でないと壊れるかもしれないしワイヤー式は足を休ませるのに便利だろう、と考えて旅の相棒とした。正解だったと思う。自慢の耐滑ソールは、濡れてコケが生えている箱根の石畳以外、街でも山でもまったく滑らなかった。それに水はけがよくてすぐ乾くのも助かる。ただ少々重さを感じた。それに先芯の間接的な影響やアッパーの固さによって、足の痛みが増した可能性もある。これは「履かなかったケース」の実験をしないとわからないけれど。同じ理由で疲労軽減の効果についてもわからない。これだけ歩いて疲れなかったら獣か何かである。なお、恐ろしいことにソールはほとんど減らなかった。
東海道ウォーキングは、99%の舗装路と1%の石畳および未舗装道なので、登山靴やトレッキングシューズは向いていない。かといって普通のスニーカーでは柔らかすぎる。こう考えれば、しっかりしたジョギングシューズあたりが賢明な選択ではないか。さすがに安全スニーカーがベストだ、というつもりはないものの、ゴツゴツした石畳など、よくつま先をぶつけるような場所では、たしかに安全ではあった。
防寒アウターは自重堂の電熱ベスト「フィーバーギア(型番:FG10000)」と普通のウィンドブレーカーを併用した。暖かい日はどちらか片方。寒い日には併用した。昼間に歩いているときはそれほど使わなかったものの、朝方や夕方、野外での休憩時などにはONにすることで、体温を保つことができた。また必然的にモバイルバッテリーを持ち歩くことになるので、スマホのバッテリー切れ対策にもなった。ただし、寒さに苦しむことがなかったのはたまたまこの時期の東海道が温暖だったからに過ぎないだろう。もし高地や北国を旅するなら、ちゃんとしたダウンを着込んだほうがいいのは間違いない。実際、箱根峠の休憩ではフルパワーにしてもほとんど歯が立たなかった。やはり電熱ベストは「防寒」というより「調節」のためのアイテムだ。
下着はおたふく手袋の冬用インナー「ボディタフネス(型番:JW-275)」だけで通した。温かくて動きやすいのは当たり前として、臭いがまったく出ないのは助かった。バックパックの背面パッドが濡れるくらい汗をかく場面もあったけれど、完全に無臭。このまま一度も洗濯しないで東京まで行こうかな、と思ってしまうくらいだった。結局、自分が気持ち悪いので3回ほど洗濯したが。本当に優等生な下着である。
靴下もコーコスの消臭ソックス「ニオイクリア(型番:G-8430)」の1組だけ。こちらも5日くらい洗濯しなくてもまったく臭わなかった。途中、足の痛み対策として100円ショップでインナーソックスを買って二重履きしていたら、そちらだけ臭くなってしまった。あと靴の中も順調に臭くなるので、家に上がるようなケースを除けば、靴下だけ消臭してもあまり意味はないような気もした。あと、恐ろしいことに、穴が空かなかったことも付記しておく。編集長は日頃から作業服の店で買った靴下を使っているが、いくらワーキング仕様だろうとずっと使っていれば着実に穴は空く。この靴下、どんだけ頑丈なんだ……。
さて、話を川口行きに戻そう。もう麺にこだわる必要ないので、昼ごはんは奮発して「うな重」にした。ほかにも、文京区駒込の東洋文庫ミュージアムに入ったり、北区王子の飛鳥山公園で渋沢栄一の展示を見たり、東海道のリベンジとばかりに寄り道をしまくる。市街地は信号だらけで面倒だけれど、東京は観光施設が多いから楽しい。
昨日までの旅を思い返してみる。たしかに徒歩旅行は楽しい。鉄道や自転車の旅と違って、頭のてっぺんからつま先まで、完全に「旅人」になれる。歩く速度だからわかることや、徒歩ゆえに生まれる人との関わりがたくさんある。結果として「旅体験」の純度が高くなるのだ。
一方で、東海道はもはやウォーキングに適したルートとは言えないということも指摘しておきたい。とくにスルーハイク(踏破)は可能でもするべきではない。田舎は単調で疲れる。都会は信号だらけで面倒くさい。そして両者ともクルマが多くて危険。景観が楽しめたり、歴史や文化を感じられたりする区間はごくごく一部だ。どう考えても、ぜんぶ歩く必要はない。もう一度歩きたい区間やゆっくり訪ねたい街はあるものの、踏破は二度としないだろう。ただ、矛盾するようだが「やってよかった」とは思う。
そんなことを考えつつダラダラと歩いているうちに、荒川を渡って埼玉県に入った。川口はもう宵の口だ。見通す道の先に「まいど屋」の看板が灯っている。
†本日の移動距離=日本橋→川口18km/通算568km
17日かけてやってきた東京・日本橋
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東海道の起点「日本国道路元標」で
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