駅なのに利用者ゼロ。降りても店はおろか人家もなく、ひどいのになるとアクセス道路すらない--。そんなトンデモな駅を鉄道ファンは畏敬の念を込めて「秘境駅」と呼ぶ。近年、ネット上で静かなブームとなっており、わざわざそんな駅を訪ねる人まで出てきているという。ひょっとしたら、と思って辞書を引いてみたらちゃんと載っていた。「山間部などにあり、乗降客がほとんどいない鉄道駅。開業時にあった近隣集落や炭坑などが廃れ、駅だけが存続している場合が多い」(デジタル大辞泉)。秘境駅訪問家の牛山隆信氏によれば、近年こういう不採算な駅は廃止の流れにあり、早めに行っておく必要があるとのこと。コロナ禍においてこの流れはもっと加速するに違いない。では行ってみよう。まずは2022年度版「秘境駅ランキング」2位にかがやく尾盛駅である。
尾盛駅
なにもない尾盛駅で下車
狸だけが迎えてくれる
●大井川鉄道でGO!
これから向かう尾盛駅は、静岡県の島田市金谷から南アルプス方面に北上するローカル線・大井川鉄道の終着地点の手前にある。島田・金谷といえば前回、東海道の徒歩旅行で立ち寄った宿場町だ。そこそこ便利な街だったのに、こんなところから全国2位の秘境駅に向かうとは奇妙な感覚である。
ちなみに、なぜランキング1位の小幌駅に行かないのかといえば、命の危険があるからだ。あちらは北海道・JR室蘭線にある陸の孤島。今の時期、下車して時刻表を読み違えたりすると凍死するかもしれない。ゴルゴ13なみに慎重派の編集長は、野営になっても死ぬことはない静岡県の駅を選んだ。なお、鉄道事故や災害に備えて冬用シュラフとブルーシートを持参している。まんがいち秘境駅に取り残されても、これにくるまって飴でも舐めてればなんとかなる。登山でいう「ビバーク」である。
島田のホテルに泊まり、翌朝、金谷駅から大井川鉄道の始発列車に乗り込む。
昨日は島田の街を観光していたのだが、タクシーの運転手に「明日は大井川鉄道の井川線に乗るんです」と伝えると、即座に「えっ、なにもないよ」と返ってきた。
「あれはもともとダム建設の資材を運ぶための線路で、乗客はいないんだよ。えっ、もし列車が来なかったら? うーん、線路の上を歩いて街に戻るのが一番いいんじゃない?」
不安を抱えつつも定刻どおり発車。まずは大井川本線で千頭駅に向かう。乗客は地元の人が4、5人いたものの、山に近づくにつれてみんな降りてしまった。検札にきた車掌からどこで降りるか聞かれたので「尾盛です」と答えると「えっ、なにもないよ」と言われた。とはいえ向こうも鉄道マンである。「そのなにもない駅を訪ねるのが目的なんです」と伝えると、すぐ納得してくれた。
千頭駅で井川線に乗り換え。アナウンスに従って指定のホームに行くと、思わず「なんじゃこりゃ」と言ってしまうほど小さな車両が待っていた。愛媛県の別子銅山で乗ったトロッコを思い出す。2、3人の乗客に4、5人の乗務員を乗せ、井川線は静かに発車した。こんなおもちゃみたいな鉄道がしっかりした安全確認の上、きちんと定時運行されていることに感銘を受ける。
●尾盛駅に到着
列車は「アプトいちしろ」の駅で一時停車し、最後尾に「アプト式」と呼ばれる電気機関車を連結する。ここから長島ダム駅までは急な登りとなるため(鉄道路線としては日本一の勾配らしい)、線路に埋め込まれた歯と歯車を噛み合わせて動くこの機関車に押してもらうのである。なお、このアプト式に乗れるのは日本でもここだけという。鉄道マニアではないので、ふーんと思うだけだが、機関車を連結するだけのための駅というのは秘密基地のようでなかなかおもしろい。
アプト区間を経て、長島ダムを通過。いよいよ山深くなってきた。列車はママチャリくらいのスピードで崖を縫うように進んでいく。車内アナウンスによれば、この井川線、全区間の3分の1が鉄橋とトンネルらしい。停車する駅はほとんどすべて無人駅で、掘っ立て小屋のような待合室があるだけ。ああ、えらいところに来てしまった……、と頭を抱えそうになるが、時すでに遅しである。
そして金谷を発って3時間後の10時33分、ついに尾盛駅に到着した。列車の手動扉を開けて、雪の積もったホームというか縁石のようなものの上に降り立った。もちろん降車したのは自分だけで、「先客」がいないことは確認するまでもない。駅舎の横には陶器でできた大きなタヌキの置物がある。「なにもないけど、ここに来てもいいんですよ」と言われているようでホッとする。
駅にはなにもない。本当になにもない。周辺を散策しようにも、道路がないので歩きようがない。クルマやバイクはもちろん、徒歩でもたどり着けない凄まじいロケーションだ。つまり、この駅に出入りするには井川線に乗るしかないわけで、まさに孤高の秘境駅である。だがまるっきり吹きさらしでもない。クマが出たときのために、保線作業用の小屋が開放されている。これなら吹雪になっても安心だろう。
駅前に廃屋があったのでぐるりと回ってみる。外にはカマドのあと、屋内にはダンボールや新聞紙、魔法瓶などがそのまま残っている。かつては木材を運び出す拠点として人が住んでいたらしいが、この感じだと90年代まで人がいたのではなかろうか。駅まで徒歩ゼロ分の優良物件である。秘境駅といっても、もともと寂れていたわけではないのだ。
●乗降客は他にもいた
千頭方面に戻る列車が来るまで、1時間半ほどある。歩けるところは歩いたので早めのメシをとることにした。じつは今回の旅では、ガスバーナーとステンレスのカップを携行している。登山でもないのに大げさかと思っていたが、こういうときのんびりラーメンを作ったり、コーヒーを淹れたりするのはかっこうの暇つぶしになる。
駅舎は火気厳禁なので、だいぶ距離をとった場所で湯を沸かし日清食品の「ハヤシメシ」をつくる。これはお湯を注げば5分でハヤシライス風のごはんができるすぐれものだ。ラーメンよりずっとお湯は少なくて済むし、残り汁の処理に困ることもない。またお湯を注いで15分かかる登山用のアルファ化米より、ずっと短時間でできるのもメリットだ。体を冷やさないよう冬の野外メシはできるだけ短時間で済ませたい。
食べ終わったらコーヒーを飲む。じつは、ひょっとしたら同じように秘境駅めぐりをしている人に会うかもしれない、と考えてスティック型のインスタントコーヒーを多めに持ってきた。だが、「よかったら一杯どうぞ」といったシチュエーションがありえないことは、井川線に乗り込んだ時点で覚悟している。「土日だから人がいるかも」なんて考えは甘すぎた。
雪こそ舞うものの、静岡北部はけっこう暖かい。ただ風は切りつけるように冷たい。きのう乗ったタクシーの運転手が「遠州のからっ風」と教えてくれたのがよくわかった。階段を登るだけでも汗ばむような最強クラスのアウターを着こんできて正解だった。フードをかぶっていても寒い。が、休憩小屋に入ってしまっては秘境駅でひたすら電車を待つという趣旨から外れてしまうので、バーナーでコーヒーを温め直しつつ暖を取る。電車が来るまであと30分。こんなの序の口だ、耐えろ。
と、井川ダム方面に向かう列車が来て、乗客が降りてきた。秘境駅に利用者が! と一瞬興奮したけれど、それはすぐ落胆に変わった。現れたのは一眼レフのカメラを携えた鉄道ファンの二人組。鉄道ファンの目的は鉄道の乗車&撮影なので、旅人とは話が合わない。似ているようでまるで違う種族なのである。撮影の邪魔にならないようホームの隅に隠れて見ていると、やはり駅を撮ったあと廃屋の方に向かう。あっ、そこはさっきおれが用を足したところだから歩かないほうが……。
●雪の接岨峡温泉
その後に来た列車に乗って、尾盛駅から奥大井湖上駅へ戻る。尾盛駅は周辺の森も明るく、どこか牧歌的な空気もあって過ごしやすかった。駅前からどこにも行けないけれど、避難小屋もあるからけっこう快適だ。逆に夏の方がツライかもしれない。一生にもう一度くらいなら訪問してもいい。
さて、続いて下車した奥大井湖上駅もランキング27位の秘境駅である。尾盛駅が陸の孤島ならば、こちらは孤島。長島ダムの建設によってできたダム湖に突き出た半島にある駅だ。半島といっても岬のように尖っているのでほぼ小島で、駅は湖に囲まれている。陽光にきらめく水面を見ていると心の底から開放感が湧き上がって、ほんとうに気持ちがいい。大井川鉄道イチオシのデートスポットなのも頷ける。
こんどは歩いて隣の駅に行ってみることにした。長い鉄橋を歩いて渡り、大井川の東岸に作られた「八橋小道」と呼ばれるハイキングロードで接岨峡(せっそきょう)温泉駅に向かう。駅前には日帰り温泉があるので、もし到着後にちょうどいい列車がなくても、温泉に浸かりながら待てばいいのだ。いやむしろ、時間が空いた方が望ましい。列車よ、来るな! と願いつつハイキングを開始する。
奥大井湖上駅から登った高台からの景色はすばらしい。なによりダム湖のエメラルド色は見ているうちに吸い込まれそうだ。この水色は「チンダル現象」といって、微粒子やプランクトンがひじょうに少ない水に光が差し込むことによって生まれるらしい。これを目にするためだけに井川線に乗ってもいいと思う。いや、ここを訪れる99.9%の人はわざわざ秘境駅など立ち寄らずにそうしているわけだが。
橋をいくつも越える楽しいコースを歩いて、接岨峡温泉駅の前に着いた。ここは秘境駅ではない。2、3件の温泉施設があって、開いていれば食事もとれる。予想通り、次の電車が来るまで2時間あるので、駅前にある民宿の風呂に入ることにした。
「雪が降ってておもしろいけど、露天風呂には内風呂でしっかり体を温めてから入ってね」と受付のおばあちゃんに釘を刺される。そんなガキみたいなことしねーよ。と思ったものの、露天風呂では雪の上に手を乗せたり、キンキンに冷えた石に座ったりしてしまうのだった。舞い降りる雪が、体に当たるとふわっと溶けていく。こ……これが天国か!
●そして廃線跡へ
接岨峡温泉駅から再び千頭方面の列車に乗る。目的地は3駅先の長島ダム駅である。本当はそのまま帰りたかったけれど、それではただの行楽になってしまうし、もう少し大井川鉄道を味わっておきたい。というわけで、廃線跡を歩いてみることにした。1990年、長島ダムの完成に伴う新線開通と同時に廃止された旧線である。旧線はほとんどダム湖に沈んだものの、この区間は歩ける。といってもほとんどトンネルで真っ暗なのだが。
長島ダム駅で下車した。ここは「しぶき橋」という架橋から見る放水が名物なものの、冬期は凍結のため通行禁止。おとなしくダムの堤の上を渡って向こう岸に行く。少し下ったところにあるキャンプ場も冬期閉鎖である。粛々と廃線を探す--と、あった。キャンプ客向けに「ミステリートンネル」と看板が出ている。ヘッドライトを点けて入っていくと(平常時は懐中電灯の貸し出しサービスがある)、手作りのおばけやら、手回し発電のイルミネーションやら、いろいろな趣向が用意されていた。人気はまったくないけれど、人の手は確実に入っているから怖さはない。
1時間足らずでアプトいちしろ駅に着いた。さっきも通過した電気機関車を接続するための秘境駅だ(ランキング46位)。小さな駅舎に入って座っていると、入ってきた鉄道員が「うわっ」と驚いていた。冬に徒歩でここに来る人間はいないのだろう。次の列車にのれば、ぶじ金谷に帰れる。
鉄道員や温泉のおばあちゃんを除けば、尾盛駅を降りてからここまで見た人間はわずか5人ほど。もちろん何の会話もない。週末なのにこれほど人間に会わないとは予想以上だ。真冬の大井川鉄道・井川線は秘境というより、自然の静謐さをとことん味わえる穴場だった。
これから向かう尾盛駅は、静岡県の島田市金谷から南アルプス方面に北上するローカル線・大井川鉄道の終着地点の手前にある。島田・金谷といえば前回、東海道の徒歩旅行で立ち寄った宿場町だ。そこそこ便利な街だったのに、こんなところから全国2位の秘境駅に向かうとは奇妙な感覚である。
ちなみに、なぜランキング1位の小幌駅に行かないのかといえば、命の危険があるからだ。あちらは北海道・JR室蘭線にある陸の孤島。今の時期、下車して時刻表を読み違えたりすると凍死するかもしれない。ゴルゴ13なみに慎重派の編集長は、野営になっても死ぬことはない静岡県の駅を選んだ。なお、鉄道事故や災害に備えて冬用シュラフとブルーシートを持参している。まんがいち秘境駅に取り残されても、これにくるまって飴でも舐めてればなんとかなる。登山でいう「ビバーク」である。
島田のホテルに泊まり、翌朝、金谷駅から大井川鉄道の始発列車に乗り込む。
昨日は島田の街を観光していたのだが、タクシーの運転手に「明日は大井川鉄道の井川線に乗るんです」と伝えると、即座に「えっ、なにもないよ」と返ってきた。
「あれはもともとダム建設の資材を運ぶための線路で、乗客はいないんだよ。えっ、もし列車が来なかったら? うーん、線路の上を歩いて街に戻るのが一番いいんじゃない?」
不安を抱えつつも定刻どおり発車。まずは大井川本線で千頭駅に向かう。乗客は地元の人が4、5人いたものの、山に近づくにつれてみんな降りてしまった。検札にきた車掌からどこで降りるか聞かれたので「尾盛です」と答えると「えっ、なにもないよ」と言われた。とはいえ向こうも鉄道マンである。「そのなにもない駅を訪ねるのが目的なんです」と伝えると、すぐ納得してくれた。
千頭駅で井川線に乗り換え。アナウンスに従って指定のホームに行くと、思わず「なんじゃこりゃ」と言ってしまうほど小さな車両が待っていた。愛媛県の別子銅山で乗ったトロッコを思い出す。2、3人の乗客に4、5人の乗務員を乗せ、井川線は静かに発車した。こんなおもちゃみたいな鉄道がしっかりした安全確認の上、きちんと定時運行されていることに感銘を受ける。
●尾盛駅に到着
列車は「アプトいちしろ」の駅で一時停車し、最後尾に「アプト式」と呼ばれる電気機関車を連結する。ここから長島ダム駅までは急な登りとなるため(鉄道路線としては日本一の勾配らしい)、線路に埋め込まれた歯と歯車を噛み合わせて動くこの機関車に押してもらうのである。なお、このアプト式に乗れるのは日本でもここだけという。鉄道マニアではないので、ふーんと思うだけだが、機関車を連結するだけのための駅というのは秘密基地のようでなかなかおもしろい。
アプト区間を経て、長島ダムを通過。いよいよ山深くなってきた。列車はママチャリくらいのスピードで崖を縫うように進んでいく。車内アナウンスによれば、この井川線、全区間の3分の1が鉄橋とトンネルらしい。停車する駅はほとんどすべて無人駅で、掘っ立て小屋のような待合室があるだけ。ああ、えらいところに来てしまった……、と頭を抱えそうになるが、時すでに遅しである。
そして金谷を発って3時間後の10時33分、ついに尾盛駅に到着した。列車の手動扉を開けて、雪の積もったホームというか縁石のようなものの上に降り立った。もちろん降車したのは自分だけで、「先客」がいないことは確認するまでもない。駅舎の横には陶器でできた大きなタヌキの置物がある。「なにもないけど、ここに来てもいいんですよ」と言われているようでホッとする。
駅にはなにもない。本当になにもない。周辺を散策しようにも、道路がないので歩きようがない。クルマやバイクはもちろん、徒歩でもたどり着けない凄まじいロケーションだ。つまり、この駅に出入りするには井川線に乗るしかないわけで、まさに孤高の秘境駅である。だがまるっきり吹きさらしでもない。クマが出たときのために、保線作業用の小屋が開放されている。これなら吹雪になっても安心だろう。
駅前に廃屋があったのでぐるりと回ってみる。外にはカマドのあと、屋内にはダンボールや新聞紙、魔法瓶などがそのまま残っている。かつては木材を運び出す拠点として人が住んでいたらしいが、この感じだと90年代まで人がいたのではなかろうか。駅まで徒歩ゼロ分の優良物件である。秘境駅といっても、もともと寂れていたわけではないのだ。
●乗降客は他にもいた
千頭方面に戻る列車が来るまで、1時間半ほどある。歩けるところは歩いたので早めのメシをとることにした。じつは今回の旅では、ガスバーナーとステンレスのカップを携行している。登山でもないのに大げさかと思っていたが、こういうときのんびりラーメンを作ったり、コーヒーを淹れたりするのはかっこうの暇つぶしになる。
駅舎は火気厳禁なので、だいぶ距離をとった場所で湯を沸かし日清食品の「ハヤシメシ」をつくる。これはお湯を注げば5分でハヤシライス風のごはんができるすぐれものだ。ラーメンよりずっとお湯は少なくて済むし、残り汁の処理に困ることもない。またお湯を注いで15分かかる登山用のアルファ化米より、ずっと短時間でできるのもメリットだ。体を冷やさないよう冬の野外メシはできるだけ短時間で済ませたい。
食べ終わったらコーヒーを飲む。じつは、ひょっとしたら同じように秘境駅めぐりをしている人に会うかもしれない、と考えてスティック型のインスタントコーヒーを多めに持ってきた。だが、「よかったら一杯どうぞ」といったシチュエーションがありえないことは、井川線に乗り込んだ時点で覚悟している。「土日だから人がいるかも」なんて考えは甘すぎた。
雪こそ舞うものの、静岡北部はけっこう暖かい。ただ風は切りつけるように冷たい。きのう乗ったタクシーの運転手が「遠州のからっ風」と教えてくれたのがよくわかった。階段を登るだけでも汗ばむような最強クラスのアウターを着こんできて正解だった。フードをかぶっていても寒い。が、休憩小屋に入ってしまっては秘境駅でひたすら電車を待つという趣旨から外れてしまうので、バーナーでコーヒーを温め直しつつ暖を取る。電車が来るまであと30分。こんなの序の口だ、耐えろ。
と、井川ダム方面に向かう列車が来て、乗客が降りてきた。秘境駅に利用者が! と一瞬興奮したけれど、それはすぐ落胆に変わった。現れたのは一眼レフのカメラを携えた鉄道ファンの二人組。鉄道ファンの目的は鉄道の乗車&撮影なので、旅人とは話が合わない。似ているようでまるで違う種族なのである。撮影の邪魔にならないようホームの隅に隠れて見ていると、やはり駅を撮ったあと廃屋の方に向かう。あっ、そこはさっきおれが用を足したところだから歩かないほうが……。
●雪の接岨峡温泉
その後に来た列車に乗って、尾盛駅から奥大井湖上駅へ戻る。尾盛駅は周辺の森も明るく、どこか牧歌的な空気もあって過ごしやすかった。駅前からどこにも行けないけれど、避難小屋もあるからけっこう快適だ。逆に夏の方がツライかもしれない。一生にもう一度くらいなら訪問してもいい。
さて、続いて下車した奥大井湖上駅もランキング27位の秘境駅である。尾盛駅が陸の孤島ならば、こちらは孤島。長島ダムの建設によってできたダム湖に突き出た半島にある駅だ。半島といっても岬のように尖っているのでほぼ小島で、駅は湖に囲まれている。陽光にきらめく水面を見ていると心の底から開放感が湧き上がって、ほんとうに気持ちがいい。大井川鉄道イチオシのデートスポットなのも頷ける。
こんどは歩いて隣の駅に行ってみることにした。長い鉄橋を歩いて渡り、大井川の東岸に作られた「八橋小道」と呼ばれるハイキングロードで接岨峡(せっそきょう)温泉駅に向かう。駅前には日帰り温泉があるので、もし到着後にちょうどいい列車がなくても、温泉に浸かりながら待てばいいのだ。いやむしろ、時間が空いた方が望ましい。列車よ、来るな! と願いつつハイキングを開始する。
奥大井湖上駅から登った高台からの景色はすばらしい。なによりダム湖のエメラルド色は見ているうちに吸い込まれそうだ。この水色は「チンダル現象」といって、微粒子やプランクトンがひじょうに少ない水に光が差し込むことによって生まれるらしい。これを目にするためだけに井川線に乗ってもいいと思う。いや、ここを訪れる99.9%の人はわざわざ秘境駅など立ち寄らずにそうしているわけだが。
橋をいくつも越える楽しいコースを歩いて、接岨峡温泉駅の前に着いた。ここは秘境駅ではない。2、3件の温泉施設があって、開いていれば食事もとれる。予想通り、次の電車が来るまで2時間あるので、駅前にある民宿の風呂に入ることにした。
「雪が降ってておもしろいけど、露天風呂には内風呂でしっかり体を温めてから入ってね」と受付のおばあちゃんに釘を刺される。そんなガキみたいなことしねーよ。と思ったものの、露天風呂では雪の上に手を乗せたり、キンキンに冷えた石に座ったりしてしまうのだった。舞い降りる雪が、体に当たるとふわっと溶けていく。こ……これが天国か!
●そして廃線跡へ
接岨峡温泉駅から再び千頭方面の列車に乗る。目的地は3駅先の長島ダム駅である。本当はそのまま帰りたかったけれど、それではただの行楽になってしまうし、もう少し大井川鉄道を味わっておきたい。というわけで、廃線跡を歩いてみることにした。1990年、長島ダムの完成に伴う新線開通と同時に廃止された旧線である。旧線はほとんどダム湖に沈んだものの、この区間は歩ける。といってもほとんどトンネルで真っ暗なのだが。
長島ダム駅で下車した。ここは「しぶき橋」という架橋から見る放水が名物なものの、冬期は凍結のため通行禁止。おとなしくダムの堤の上を渡って向こう岸に行く。少し下ったところにあるキャンプ場も冬期閉鎖である。粛々と廃線を探す--と、あった。キャンプ客向けに「ミステリートンネル」と看板が出ている。ヘッドライトを点けて入っていくと(平常時は懐中電灯の貸し出しサービスがある)、手作りのおばけやら、手回し発電のイルミネーションやら、いろいろな趣向が用意されていた。人気はまったくないけれど、人の手は確実に入っているから怖さはない。
1時間足らずでアプトいちしろ駅に着いた。さっきも通過した電気機関車を接続するための秘境駅だ(ランキング46位)。小さな駅舎に入って座っていると、入ってきた鉄道員が「うわっ」と驚いていた。冬に徒歩でここに来る人間はいないのだろう。次の列車にのれば、ぶじ金谷に帰れる。
鉄道員や温泉のおばあちゃんを除けば、尾盛駅を降りてからここまで見た人間はわずか5人ほど。もちろん何の会話もない。週末なのにこれほど人間に会わないとは予想以上だ。真冬の大井川鉄道・井川線は秘境というより、自然の静謐さをとことん味わえる穴場だった。
林業関係と思われる廃屋
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次の列車を気長に待つ
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