【小和田駅】恐怖の天竜川!image_maidoya3
秘境駅ランキングの上位に名を連ねるJR飯田線--。それはスポーツに例えると、ニューヨーク・ヤンキースやレアル・マドリードのようなスター集団であり、名前のローカル感とは裏腹にある種の威風すら感じさせる。比喩的にいえば、山にこもって修行に明け暮れている秘密の武術結社といった佇まいだ。彼らは駅としての知名度や利便性、利用者数といった世俗の価値観を捨て去り、ひたすら己の道を極めんとしている。では、そんな飯田線の中で「最強」はだれか。もちろん小和田(こわだ)駅である。2022年度版秘境駅ランキングでは3位。あの尾盛駅(大井川鉄道・井川線)に肉薄する飯田線の筆頭だ。ところが、地図でみると小和田駅はさほど僻地という感じはしない。金野駅や田本駅より20kmほど南の天竜川中流で、住所も浜松市。つまり静岡県で最大の都市(静岡市より人口が多い)に、全国3位の秘境駅があるわけだ。これはいったいどういうわけなのだろう?

小和田駅
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駅前には廃屋や廃車がたくさん
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集落へと続く道は通行止め
●圧巻の駅ノート
 
  13時42分、豊橋行きの普通列車は小和田駅に停車した。もう言うまでもないけれど、降りるのはひとりだ。つくづく人に会わない旅である。大井川鉄道は温泉地に向かうレジャー客やドライブ客がいたものの、飯田線はマジで誰もいない。どこにでもいるはずの鉄道ファンですらいまだ見ない。列車の中以外で人間を目にすることがない。
 
  小和田駅には、なんと駅舎がある。地方のバス停みたいな待合室ではなく、ちゃんとした建物だ。ただ開業当時のままの木造建築で、もう築90年近い。ほとんど文化財の域である。水道やトイレはないけれど、駅舎の中には事務用机とパイプ椅子があり、机の上には「思い出ノート保管庫」が鎮座している。
 
  秘境駅には、だいたい「駅ノート」が置いてある。これは田舎の観光施設や山小屋なんかに置かれているものと同じで「×月△日、ついに彼女と来ました。感激!」とか書き込むためのものである。書いたからどうといった話でもないのだが、地方ほどこの手の記念ノートは多い。大井川鉄道の尾盛駅や奥大井湖上駅、それにJR飯田線の金野駅や田本駅にも、この駅ノートはあり、風雨に晒されないようにきちんとケースに入れて管理されていた。
 
  しかし、小和田駅の駅ノートはこれまでに見たものとは質量ともにケタ違いだ。なにより歴史がすごい。なんと昭和50年代から現在までずっと書き継がれているのだ。編集長が生まれる前の書き込みも確認できた。これを書いた中にはもう鬼籍に入っている人も多いだろう。雑誌や新聞と違ってノートの手書き文字はさほど古さを感じさせないが、落書きの漫画キャラなんかは『ゲームセンターあらし』や『南国少年パプワくん』で、やっぱり古臭い。
 
  ●30年前のフィーバー
 
  じつはこの駅、過去に大人気になったことがある。そう、ごぞんじ「雅子様フィーバー」である。え、知らない?
 
  1993年、皇太子徳仁親王(現在の天皇陛下)と小和田雅子さん(現在の皇后陛下)が、ご成婚に至ったときの話だ。プリンセスになる花嫁と同表記の駅というわけで、小和田駅は恋愛成就の「聖地」として大いに賑わった。当時、このフィーバーにあやかった地元自治体はカップルを募集し、ここで本物の結婚式を開催。そんなイベントを記念して設置された「愛のベンチ」や式の写真はいまも駅に残っている。そんなわけで、ゴリゴリの秘境駅にもかかわらず、訪ねたことがある人は意外に多いのがこの小和田駅なのだ。
 
  駅ノートに残された当時の記述を読んでみよう。皇太子殿下と小和田雅子さんの「結婚の儀」がテレビ中継されたのが1993年の6月9日のこと。視聴率は80%近くあったらしい。
 
  「ご成婚誠におめでとうございます。国民のお手本となられる家庭を築いてください」(6月7日)
  「明日はおめでたい結婚式なので、家族でやってきました。お天気がよくなりますように」(6月8日)
  「結婚40周年を記念して小和田駅に来ました。お二人の幸福をお祈り致します」(6月9日)
  「朝に名古屋を出発して来ました。ご成婚は明日ビデオで見ます。お幸せに」(6月9日)
  「お二人と同い年カップルの私たちも昨年結婚したばかり。愛しているよ、必ず幸せにするからね」(6月12日)
  「今日は会社の先輩と来ました。私もいつか先輩ではなく特別な人と来てやるぜぇい」(6月12日)
 
  駅ノートとはこんなものである。歴史的なイベントがあったからといって、特におもしろいことが書いてあるわけではない。だが、この淡々とした記述の連続に、この駅が見てきた長い時間の流れがある。
 
  静まり返った木造駅舎で黙々と駅ノートをめくっていると、感動でも虚無でもない、なんともいえない気分が湧き上がってきた。世間はコロナ禍で大変な状況なのに、いったい自分はこんなところで何をしてるんだろう……?
 
  ●クマ出没?
 
  次に豊橋行きの列車が来るのは16時01分。2時間近くあるけれど、さっき田本駅で200分以上も列車を待ち続けるソフト拷問を耐え抜いた身には、どうってことない。駅ノートを片付けて周辺の探索に出かけることにした。
 
  小和田駅は、愛知・静岡・長野の三県境界に位置しており、周辺に人家はない。しかし、かつては人が住んでいたらしく、廃墟化した民家と小さな工場が残っている。その傍らにあるのは、朽ち果てた原付きバイク、自然に還りつつあるダイハツ・ミゼットなど。廃墟マニアが見れば喜びそうなシチュエーションだけれど、正直、不気味この上ない。田本駅は明るい秘境駅だったのに対し、こちらは暗い秘境駅である。霊感がどうこうとかいう話はまったく信じないが、ここがひじょうに陰気な場所であることだけは確かである。夕方になる前に訪れることができて本当によかった。
 
  先ほどの田本駅と同じく、この小和田駅も集落へと続く道がある。しかし、駅舎には、正規ルートの高瀬橋が通行禁止になっているとの掲示があった。ということは、いま小和田は徒歩アクセス不能の駅なのだろうか? それを確かめるためにも行けるところまで行ってみることにする。
 
  例によって「駅前通り」はバイクや車は入れない未舗装道だ。ただ幅はそれなりにあって安全である。左には天竜川がゆったり流れていて、ときおり林の切れ目から川を眺められる。田本よりだいぶ下流に来たせいか、水の音はまったくしない。聞こえるのは自分の足が枯れ葉を踏む音だけ。静かだ。ときどき社へと続く古道を歩いているような感覚になる。
 
  さらに進むと「クマに注意」の看板があった。「このあたりでクマの目撃情報がありました。注意しましょう」とのこと。何年前に設置したものなのか不明だが、いつ出てもおかしくないのだろう。こんなところで熊と鉢合わせしたら嫌すぎる……でも待てよ? 今は2月だぞ、とスマホを取り出し、ツキノワグマの冬眠期間を検索すると「11月から4月頃まで」と出てきた。よし、このままGOだ!
 
  ●廃墟また廃墟
 
  集落へ続く道は、ハイキングルートからだんだん廃道に近づいてくる。高瀬橋の手前で、浜松市が設置した通行不可ゲートが出てきた。おとなしく従って迂回ルートを行く。正規ルートの橋には中型バイクが打ち捨てられており、そのシートには苔がびっしり生えている。こういうのが非日常な雰囲気だというのは認めるが、結局は不法投棄であって、見て楽しいものではない。さらに行くと廃屋寸前の空き家があり、その先の切り通しには慰霊碑のようなものが祀られていた。
 
  道はさらに険しさを増していく。また浜松市のゲートが出てきた。「この先、崩土のため通行できません。迂回路はこちら」。矢印の先に目をやると「さあ、遭難してください」と言わんばかりの地形が続いていたので、ここで探索を断念した。
 
  小和田駅までのんびり戻る。繰り返しになるけれど、ここは本当に薄気味悪い場所だ。廃屋・廃工場・廃車に、家電の不法投棄もちらほら。これでは秘境というより廃墟めぐりである。
 
  振り返ってみれば、大井川鉄道の井川線はレジャーの雰囲気があった。尾盛駅も明るく開けた土地だし、奥大井湖上駅や長島ダム駅からのハイキングルートも、無人とはいえ旅人に対する温かさを感じた。また同じJR飯田線の田本駅は、崖に張り付いたロケーションながら日当たりがよく、天竜川のせせらぎも心地よかった。
 
  対してどうだ、この小和田駅は。よかったのは木造の駅舎とそこにある駅ノートくらいで、あとは薄暗くて見通しのきかない道をこわごわ歩いて、ずっと前に人がいた形跡を目にするだけ。みずから進んで何もない駅に降りておいてなんだけど、ほんとうに辛気臭くてたまらない。悪い意味で寂寥感がてんこ盛りだ。
 
  ああ、帰りたい。街に戻りたい。今回の秘境駅めぐりで初めてそう思った。いったい誰がこんな惨めな旅を考えたんだ……。
 
  豊橋行きの列車が来るまで、まだ1時間以上もある。
 
  ●川のほとりで
 
  まだ駅に戻るには早い。ガッツリ落ちたテンションを回復させるために、天竜川を臨む見晴らしのいい場所にバックパックを置いた。川に向かって携帯用のイスを設置し、前にバーナーを置く。即席のデイキャンプである。どうせあとは豊橋経由で大阪に帰るだけなので、水や燃料などはぜんぶ使い切って構わない。
 
  といっても、補給できなかったので水は残りわずか。そこで袋麺の「どん兵衛」を煮ることにした。バーナーの火をつけっぱなしにしていれば、この寒さでも冷めない。アウトドア版なべ焼きうどんである。これに日本酒「菊水辛口」を合わせる。アルミ缶入りで軽いので買っておいたのだ。昨夜ホテルで呑んだけれど、まだ半分ほど残っている。
 
  食べ始めると、ずっとパラパラ落ちていた雪が本降りになってきた。夕暮れも近づき、一気に寒くなる。もうやけくそだ。バーナーの火を強くしてグツグツに煮る。火傷するほど熱いうどんをすすって、日本酒を味わう。……うん、これはこれでアリだな、と思う。小和田駅はたしかに陰気な場所だが、発想を切り替えて自分で楽しみを作り出せばいいのだ。水場がないことを除けば、ここはピクニックやデイキャンプに最適な場所かもしれない。豊橋から電車一本で便利だし。
 
  と、食べるのに夢中になっていると、いきなり「ズズゥン……」と地鳴りのようなものが響き渡った。やばい、今なにか起きた! 落石か土砂崩れか! 立ち上がってあたりを見回すと、天竜川の対岸にたまった堆砂が、崩壊するのが見えた。数軒の家ほどある砂の塊が氷河のようにパックリ割れて、ドゴゴゴゴゴゴ……と音を立てながら天竜川に落ちていく。心胆を寒からしむる光景だ。一瞬こちら側に津波が押し寄せるのではと身構えた。
 
  もうこんなところには居られない。すぐに荷物を片付けて小和田駅に戻った。駅に設置されたスピーカーは「大雪の影響でダイヤが乱れている」とアナウンスを流している。
 
  早く、早く列車よ来てくれ。豊橋に帰してくれ……。もう二度と半端な思いつきで秘境駅めぐりをしません。ちゃんと地形や気象条件の下調べをしてから計画を立て、安全策を講じた上で訪問することにしますから!
 
  思いが通じたのか、列車は定刻通りの16時01分にやって来た。喜びを噛み締めながら座席にバックパックを下ろし、ふと窓に目をやる--と、いま小和田駅に降り立った乗客の姿が見えた。
 
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鍋焼きうどんで暖をとる
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小和田駅の木造駅舎の前で