まいど通信
まいど! と強引に書き始めてみた「元・月刊まいど屋」編集長の奥野です。当コーナーに登場するのは今年で3回目。春夏コレクション、空調ウェアのレポートからずいぶん空いてしまいましたが、読者の皆さんはお変わりないでしょうか? 今回は「秋冬ウェア特集」ということで、渾身のメーカー訪問記をお届けしました。これから秋も深まっていきますね。紅葉をバックに、木枯らしに吹かれつつ……、バシッとキマる作業服はぜひ、まいど屋で!
●東海道へ再び
今年の夏は、ずっと行きたかった念願の場所に訪れることができました。東京-京都を結ぶ東海道上にあるいくつかの観光名所です。読者は「あんた2020年末に歩き通したじゃん!」と思うかもしれません。しかし、先を急がねばならぬ徒歩旅行でじっくり見学できた観光施設はごくわずか。多くの名所は後ろ髪を引かれつつスルーしてしまったわけで、今回はそのリベンジの旅というわけです。あ、徒歩ではありませんよ、鉄道旅行です。
まずは滋賀県の草津へ。日本橋(東京)から数える「東海道五十三次」では52番目の宿場町。もう京都は目前! というところですね。私は京都からの逆コースだったので、東海道の旅で最初に泊まった宿場です。午前中に京阪電車で京都に入り、三条大橋をスタート。山城と近江を隔てる「逢坂関」を越え、大津(53番目の宿場)で琵琶湖に出る。そして「U」字を描いて琵琶湖を回り込み、トータル25キロほど歩いて草津に着いたのは17時ごろ、日没ギリギリです。もちろん営業時間は終了。門の前に「これは貴重な現存本陣です」といった説明書きがあったので建物に向けてカメラのシャッターを切ったものの、暗すぎてほとんど写らず……。
「本陣」とは、参勤交代などで大名が泊まる当時の高級旅館のことで、そのままの姿で残っているのはごくわずかしかない。と、そんなことを知ったのは東海道の徒歩旅行では後半になってからでした。各宿場町にある「本陣跡」の石碑や復元された門構えなんかを見ながら「ああ、草津のアレはすごく貴重な建物だったのか……」「もっと早く行って見学すればよかったな」と思ったのでした。これも旅が終わってから知ったのですが、「草津の現存本陣」は東海道の観光ガイドブックには必ず載っている鉄板の名所です。
そんなわけで、2年前の失敗を挽回すべく草津の本陣に入ります。内部は有料のミュージアムになっていて、台所や食堂、風呂場にトイレなど、当時そのままの雰囲気を味わえるほか、「草津宿」の歴史や東海道の旅についても学べます。建物は古い木造家屋のようですが、馬をつないでおくスペースや籠のまま入れる入り口などがあって「江戸時代の旅」の臨場感が味わえる。東海道に興味があるならこの施設はマストです!
ただ思ったのは「けっこう素朴だよな」ということ。将軍・徳川慶喜に会津藩主・松平容保、そして明治天皇と、要人中の要人が泊まった高級ホテルにしては、絢爛さがない。広くて部屋の数は多いものの、風呂は小さいし寝室もこぢんまりとしている。率直に言えば「武骨」。いまの温泉地なんかのリゾートホテルのほうが、比べものにならないほどラグジュアリーだし、お寺の宿坊でも、もうちょっと華やかさや風情ってものがあるもんだけど……。
おそらく原因は「武士文化」だと思います。「本陣」とは戦における「陣営の本部」の意味で、「幕府」なんかに通じる表現ですね。そもそも快適な建物といったニュアンスはないわけだから、どうしたって城や砦、兵舎のような雰囲気になってしまう。それに将軍や大名にしろ、建前としては戦士であり軍のリーダーですから、家臣をぞろぞろ連れて温泉でリラックス、というのは格好が付きません。また暗殺の危険もあるので、警備しやすい構造にしなければならない。実際、殿様の寝室の畳に敷く鉄板を持ち込んだ藩もあったとのこと。江戸時代になっても「忍びに床下からブスリとやられたら……」と考えていたんですね。その結果、快適さを求めるホテルや旅館とはまるで違う実用一点張りの施設、つまり「侍の侍による侍の宿」になってしまったのでしょう。
太平の世においても「兵(つわもの)」の顔は捨てなかった--。草津の本陣は、そんな武士の息吹を感じられるスポットでした。
●もうひとつの本陣
続いては、二川宿(愛知県豊橋市)に向かうことにしました。草津本陣で「東海道に残る本陣」という展示パネルを見て、二川にも現存本陣があることを知ったからです。これは意外でした。草津のほかにもそのままの本陣があったなんて!
2020年の旅でも、まったく印象に残っていません。「東海道五十三次」でいうと二川宿は33番目の宿場町。改めて地図を見ると吉田(豊橋市)と白須賀(静岡県湖西市)との間でした。白須賀は「潮見坂」という絶景ポイントがあったのでよく覚えています。東海道の景色はここから一気に風光明媚になっていったのでした。その前はクルマが多くて大変だったな、と。
JR二川駅から歩くうちに「ああ、ここ通ったわ」と記憶がよみがえりました。
そうそう、御油(豊橋市)スタートで浜名湖の弁天島(浜松市)まで40kmを歩かなきゃいけなかったんだ。休憩時間も切り詰めて、気付けに自販機のキレートレモンを飲んだっけ。浜名湖の橋歩きはキツかった……。
二川本陣は立派な施設でした。江戸時代の旅が学べるミュージアムに、隣接する旅籠屋(一般人のための旅館)まで再現されています。草津も立派でしたが、どちらか一方を選ぶとしたら、二川本陣を推します。展示内容がすばらしいからです。お伊勢参りの男女に参勤交代の武士といった当時の旅人が、ジオラマと等身大の人形で再現されている。しかも、いまにも動き出しそうなほど自然な仕草で。こういう展示は多くの施設で目にするけれど、出色です。なんでもっとPRしないのか、と言いたい。
肝心の本陣は、ほぼ草津と同じです。警備最優先の間取りに、質素な風呂・トイレ。ただ、屋内は明るく、少しリゾート感がアップした気はします。領国をはるか離れて江戸はまだ先、というわけで侍も羽根を伸ばしていたのでしょうか。
併設の旅籠も見応えがあります。当時、庶民の宿は旅籠屋か木賃宿でした。旅籠屋は食事付き、木賃宿は自炊です。おそらく快適度において現代のシティホテルと激安ビジネスホテル、いやドミトリールームくらいの差があったのではないかと思います。江戸時代にはコンビニもマクドナルドもないから、木賃宿では米を炊かねばなりません。対して旅籠は、到着すると仲居さんがタライで足を洗ってくれるし、風呂上がりには食事も用意されていて、注文すれば酒も出てくるし芸者も……と、カネさえあればなんでもできたそうです。もし江戸時代に生まれたら、本陣より断然、旅籠屋に泊まりたいですね!
そんなわけで、「宿場町でゆっくり本陣を見たい」という2020年の旅の心残りはスッキリ晴らすことができました。この日は豊橋で一泊です。翌日以降も東海道の名所巡りをしたわけですが、その話は次の「まいど通信」で。