【寅壱】明かされた極秘計画image_maidoya3
-----<共同通信、岡山>鳶服を中心に幅広い品ぞろえで人気の寅壱が、2016年度末をもって作業服製造から撤退することがわかった。今後は好調なカレー店の経営に軸足を移す。社内組織の再編成は既に終わっており、作業服部門の従業員は希望退職者を除き、ほぼ全員がカレー事業部に異動した模様。同社広報部から報道各社に送られたFAXによると、数日以内にはすべての在庫が処分される見込みで、国内外に4つある自社工場も売却の目途が立っているという。
  独創的なデザインで特に鳶服の分野で圧倒的なシェアを誇ってきた寅壱の突然の退場に、寅壱を主力商品に据えている販売店からは反発と戸惑いの声が上がっている。-----
 
  それは日経新聞の経済面に載った短い記事だった。誰かの訃報のようにそっけない、事実関係を淡々と報じた文面からは笑ってしまうほど現実感が剥がれ落ち、どこか遠い異国の災害でも報じているような傍観者的な冷淡さが漂っていた。僕が新聞を手にとったのは、スタッフ全員で行った大掃除がほぼ片付き、今年も無事終わったねなどと寛いでいたときで、記事に一通り目を通した後でさえ、僕はスタッフが入れてくれたコーヒーをゆっくりとすすりながら、他愛もない冗談を言い合っていた。人は危険に直面したとき、それが例え明白に危機的な事態でも、取るに足らないものとして捉えようとする心理的傾向があると聞くが、そのときの僕がまさにそうだった。不謹慎な言い方をすれば、それはそれほど親しくない知り合いの不幸に接したときに感じる興味本位の興奮でしかなかった。まいど屋にとって、何かとんでもないことが起こっていることに狼狽え始めたのは、スタッフ全員が帰ってしまった後、僕のデスクにポンと放り投げられたその新聞を再び手にしたときだ。
  記事に対して僕の反応が鈍かったことについては、多少釈明する余地がある。<戸惑いと反発>などと書いてあったが、まいど屋にそんな連絡は来ていなかったのだ。第一、それが新聞に出たのは、寅壱が2016年の最後の業務を終了した後だった。二日前には、営業担当の川脇さんから、今年もお世話になりましたと例年と同じ、幾分ほっと安堵の混じった、そして何度経験してもなぜか同じように照れくさげな、お決まりの電話をもらったばかりだった。もし本当に寅壱が作業服メーカーであることをやめるのなら、それはこんな新聞記事になるずっと前に、内々にでもまいど屋に連絡があってしかるべき重大な話だ。そんなことをおくびにも出さず、来年も云々などといけしゃあしゃあと言われてしまうほど、まいど屋と寅壱が疎遠な仲であるはずがなかった。記事は何かの間違いであるに決まっている!そう、これは誤報なのだ!記事による風評被害も恐らくは少なからず出てくるだろう----。
  僕は少し落ち着きを取り戻すと、携帯のアドレス帳を開き、川脇さんの個人的な番号を探してダイヤルボタンを押した。彼はもう休暇に入っているが、こんな記事が出たときであれば、プライベートな時間に土足で踏み込むような後ろめたさは例外的に免除されるはずだ。それに彼とは、ときには仕事を離れて個人的な付き合いを何度かしたこともある仲なのだ。
  呼び出し音が10回を超え、20回目に近くなった時、僕は胸騒ぎを覚え始めた。普段、これほどしつこい電話をすることは絶対にないのだが、このとき、僕は既にパニックの一歩手前で、マナーに構っていられるだけの冷静さを失っていた。26回目のコールでようやく電話がつながった。のっぺりと平坦で、壊れたATMのように感情のない声が、「川脇です」と言った。僕は僕を不安にしていた荒唐無稽で妄想じみていたあの記事が、現実であることを悟って言葉を失った。
 

寅壱
image_maidoya4
image_maidoya5
僕たちはそれぞれ、つながった電話のラインの両側で、しばらく押し黙っていた。そうしてお互いの呼吸音を十分に聞きあった後、彼は再び「川脇です」と繰り返した。
  「わかっているよ」と僕は言った。「今、何してる?」
  「何もしていない」と彼は言った。そしてそれから奥さんと子供が年末の挨拶回りの準備で一足先に実家に帰ってしまい、今は独りで自宅にいること、奥さんがいない隙を狙って今日は久しぶりに第三のビールではない、本物のビールを買って飲んでいることなど、どうでもいいことをぼそぼそと話し続けた。
  「新聞を読んだ。あれは一体、何なんだ?」。僕は話に割って入るようにして話題を変えた。電話の向こうで再び沈黙があった。それから「ああ、出たんだ。何が書いてあった?」と抑揚のない声が聞こえてきた。彼の口調は、まるで町会で決まった新しいゴミ出しのルールについて話しているように淡々として、どこか他人事のような響きがあった。彼の肉声が、これほど遠くに感じられたことはかつてなかった。
  「カレー屋になるんだって?なぜ教えてくれなかった?」
  「教えるも何も」。突然、壊れていたATMに電流が流れたように彼は大きな声を出した。それから我に返ったようにまた声を低くした。まるでそうすることが彼の義務であるかのように。「俺だって寝耳に水だったんだ。仕事納めも終わってさあ帰ろうとしていたら、全員、会議室に集められたんだよ。何だろうと思ってたら、社長が今日限りで作業服の販売を終了すると言いやがった。俺は社長の気が触れたんじゃないかと思ったよ。もしくは悪い冗談か。知っての通り、社長は茶目っ気のあるひとだからね。話を聞き終わってみんなで涙を流し、肩をたたきあっていると奥のドアからプラカードを持った男が飛び出してきて『ドッキリです』なんて言うんじゃないかって。でもそんな男は出てこなかったんだ。もちろん、誰も泣かなかったよ。泣けるわけがない。で、俺たちがあっけにとられて黙っていると、社長が演説を始めた。来年から寅壱はカレーで飛躍するんだと。カレー専門店をどんどん出店しながら、カレーの通販も始めるんだと言ってた。ほら、まいど屋さんにも贈ってるじゃないか、あの瓶詰のカレーだよ」
  僕は寅壱が毎年お歳暮で送ってくるカレーの瓶を思い出した。丁寧に梱包された箱を開けるとそれぞれ味の違うカレー瓶がいつも二つ、押し合うように並んでいた。それぞれがずっしりと重く、一週間は毎日カレーだけを食べ続けなければならないほどの量だった。
  「寅壱の販売店はどうなる?それから今まで寅壱をユニフォームにしていたユーザーにはどう説明するんだ?」
  「そんなことはこっちが訊きたいよ。社長はそのまま瓶詰カレーの販売代理店として取引をスライドしてもらおうと思っているらしい。来年になったら取引先に一斉にファクスを送って、今度は店のレジ脇にカレーを並べてもらおうってわけだ。いろんな種類があるからきっと飽きられることもないだろう。まいど屋さんなら作業服コーナーの一角に、カレーのバナーでもくっつけて、腹を空かせたユーザーからの注文を取ればいい」
  「いい加減、冗談はやめてくれないか?」。僕は声を荒げた。バカがつくくらい誇りを持って仕事をしていることを照れもなく公言し、まいど屋とそのユーザーのことを営業としての範囲を超えるほど親身に考えていた彼の言葉とは思えなかった。「寅壱がカレー好きなら、カレーを作ればいいだろう。誰も止めやしない。だけど、寅壱の作業着をしこたま在庫しているまいど屋はどうなる?メーカーが製造をやめてしまえば、作業着なんてただのゴミにしか過ぎないことくらい知ってるはずだ。レアものが喜ばれるカジュアルとは違うんだ。二度と作られることがないとわかっている作業着を、どこの会社がユニフォームにするっていうんだ?」。
  「そんなことはこっちが訊きたい」と彼は再び繰り返した。そしてとにかくこれは会社としての最終決定で、覆ることはないのだとすまなそうに言った。「上が作業服業界の将来に限界を感じたんだろう。製造業とか建設業で働く人間の数がどんどん減っているんだ。その点、メシは職業に関係なく誰でも食う。女でも、子供でも、老人でも、一日3回食うんだよ。景気が悪くたって、メシを食わない奴はいない。カレーは国民食だ。嫌いってやつはいないだろう。社長はそれに賭けているんだよ」。
  言葉は投げやりのようにも聞こえたが、本心ではないことを言わされている苦しさに満ちていた。僕にはそれがはっきりとわかった。本来、彼はそんなことを言う人間じゃない。苦しいのはまいど屋ではなく、彼の方なのかもしれなかった。
  「川脇さんはどうするんだ?」。
  「営業仲間の何人かは仕事納めの日、そのままカレー事業部に転籍した。俺は---もう無理だ」
  「無理って?」
  「無理だから無理だと言ってるんだよ。もう、俺の力じゃ、どうしようもないんだ。本当に、今までいろいろお世話になったけど、もう辞めるよ。来年、ファックスの後に新しい営業担当が訪ねて行くと思う。営業っていってもカレーの営業だけどね。取引を続けるなり、追い返すなり、好きにしてくれ」
  「明日、そっちへ行くから」。僕はほとんど叫びだすように言った。「児島に着いたら、電話をする。昼前には着くと思う。そのとき、また話そう」。
  僕は彼の返事を待たずに電話を切った。彼の明日の予定がどうなっているのかさえ訊かなかった。もしかしたら、奥さんの待つ実家に帰らなければいけないのかもしれない。だが、彼が児島に残っていようがいまいが、そんなことは僕には関係なかった。彼には明日と言ったが、僕は今すぐにでも新幹線に飛び乗り、岡山に向かいたい衝動に駆られていた。一刻も早く---だが、その時間はもう西へ向かう東海道新幹線の終電が出た後で、僕はやはり一晩待たねばならないのだった。その一晩が、僕には寅壱とまいど屋を分かつ、途方もなく長く深い隔たりのように感じられてならなかった。
 
  **********     **********     **********     **********
 
  11時ちょっと過ぎ、児島の駅に着いて電話をかけると、川脇さんはまるで僕の電話を待っていたみたいにすぐに電話に出た。携帯の通話ボタンに手をかけていたかのような素早さだった。いや実際、彼はスマホを目の高さにかざし、画面を睨みつけていたのだ。階段を降り切った先の改札で、そうしている川脇さんが目に入った。彼が電話を耳に当て、「川脇です」と言った時には、僕はもう電話を切っていた。
  「待ってくれてたんだね」。スマホを覗き込んでいる川脇さんの背後に声を掛けると、彼はぎょっとしたように振り返った。そして泣いているような、笑っているような、不思議な表情を作って顔をゆがませた。それから、追いてきてくださいと言って先を歩き始めた。背中は、心なしか震えているように見えた。駅前に彼のレガシィがハザードを点けたまま路駐してあった。運転席のドアを開けて乗り込もうとする川脇さんに、僕は「実家、いいのか?」と訊いた。彼は寂しそうに首を振った。それから、助手席の方を見やって僕に乗るように促した。車が走り出し、しばらくしてから、「実は、会ってもらいたい人がいるんです」と彼は言った。
  川脇さんが車を走らせている間、僕らは何も話さなかった。話したいことはたくさんあったのだが、どう切り出していいのかわからずに、僕はただ彼の左手がシフトチェンジを繰り返すのを意味もなく見つめていた。普段はどんな風にして彼と話をしていたのだろう?沈黙の重さに息苦しさを覚えながら、僕は必死になってそんなことを考えた。まるで脳梗塞の患者が歩き方を思い出そうとするときのように、そのもどかしさは耐えられないほどの焦燥感となって僕を急き立て続け、同時に未だに現実を受け入れようとしない心は、あたかも結末が保証された映画でも眺めているような気やすさで、僕の当事者意識を奪い続けた。
  車は見覚えのある通りを走り抜け、やがて前方に寅壱の本社が見えてきた。川脇さんは携帯を取り出すと通話ボタンを押した。そしてもうすぐ着きますと手短に言っただけで電話を切り、目配せをするように僕の顔をちらりと見た。それが何を意味しているのか、僕にはわからなかった。彼も説明をしなかった。そしてハンドルを切って寅壱本社の敷地に入り、正面玄関の前に車を停めた。そこには深刻そうに顔をしかめた寅壱の村上社長がポケットに手を突っ込んだまま、一人肩をすくめて立っていた。
 
  **********     **********     **********     **********
 
  後部座席に乗り込んでくるなり、村上社長は「いや、お久しぶりですね。お元気でしたか」といかにも快活な声で言った。さっき車窓から目にしたしかめ面とは打って変わった雰囲気だった。だが、どう好意的に解釈しても、その言葉はまいど屋が置かれた状況に対しては不自然で、僕はその作り物めいた朗らかさに違和感を覚えずにはいられなかった。僕は体を捻って「ええ」と曖昧な返事を返すのが精一杯だった。僕が前を向いてしまうと、社長は僕の背中越しに、うちのカレーをご馳走しますよと言ってバツの悪そうな短い笑い声を立て、それから気を取り直したように先ほどの明るい声に戻って川脇さんに指示を出した。車が再び走り始めた。
  僕と川脇さんの間にあった沈黙は、車が目的の店に着くまでそのままだった。ただ、社長が加わったことで、多少はその居心地の悪さが薄らいでいた。後部座席からはひっきりなしに寅壱が、というよりはこの村上社長が情熱を傾けるカレーのレシピについての解説の声が聞こえてきた。そしてどの説明からも、最後はだから旨いんだという結論が導かれ、川脇さんが「はい」と頷くことによって僕が同意したことになり、次の説明に移っていった。社長と川脇さんのそのやり取りはまるで深夜のテレビショッピング番組のように胡散臭げに聞こえたが、冷え切ってしまいそうになる空気を和らげるためのBGMとしては悪くなかった。確かにタチの悪い冗談にしか思えない、悪夢のような話ではあったが、僕の興味を引く余興であることは間違いない。僕の前では硬派なことを言っていながら、川脇さんもなかなか社内営業が上手じゃないか。妻子を抱えて、やっぱり苦労もあるんだろう。僕は川脇さんの態度に落胆するよりは、最初はむしろ同情の混じった共感を覚えていた。しかししばらく二人の話を聞き続けるうち、次第に彼が本気で社長のカレー計画に賛同しているのではないかと疑い始めた。川脇さんの相槌がお追従にしてはあまりに自然で熱心過ぎるように思えるのだ。彼らは二人して僕を籠絡し、まいど屋を寅壱カレーの代理店にしようとしているのではないか? 社長との会食のセッティングも、やり手の営業として、川脇さんが自ら仕組んだものではあるまいか?
  カレー店『ナッシュカリー サーフ アメリカン』は児島駅からすぐのところにあった。あの新聞記事に書かれていた通り、ここは寅壱が経営する店で、シドニーのオペラハウスの端っこを切り取って茶色くしたような、一風変わった外観をしている。中に入ると2層吹き抜けの開放感ある空間が広がり、吹き抜けの中央には屋根を支える柱、そして2階へと続く階段がある。壁面の高い位置には、おそらく社長の趣味であろう、多数のサーフボードが所狭しとディスプレイされていた。
  席に着くと村上社長は、車中から始まっていた、僕に対する引っ掛かりを無理に抑えつけたような態度を引きずったまま、芝居がかった大げさな仕草で頭を下げた。「この度は、いろいろとお騒がせし、また、ご迷惑をおかけしまして大変申し訳ありませんでした。年度末に向けてしばらくはドタバタが続くとは思いますが、これまでお世話になってきた取引先の皆様には、ご迷惑を最小限に抑えるように善処いたします」。
  最小限?一体、どうやったらこのバカげた大惨事の被害を最小限に抑え込むことができるのだろう?僕は放心したように社長の顔をぼんやりと見つめた。こんな場面で期待される気の利いた言葉は何一つ思いつくことができず、後ろに立ったままの川脇さんを振り返ると、彼を非難するように「何故なんですか?」と呟いた。
  「私は18歳でサーフィンを始めてかれこれ40年以上になります。作業着よりも長い付き合いなんですよ」。僕の質問に答えたのは川脇さんではなく、やはり村上社長の方だった。そして、まいど屋さんだから正直に話しますよと急にしんみりした口調になり、僕の目をこちらが狼狽えるほどまっすぐに覗き込んだ。「私は作業着よりも、こっちの方が好きなんです。サーフィンをやる一方で、アンティークのサーフボードを集めていて、倉庫代わりにカフェでもやろうかと、この店を始めました。それが15年前のことです。最初は趣味でした。ボードが置ければいい、いつでもふらっと立ち寄れて休憩がてら食事ができればいい。そんな風にしか思っていませんでしたが、ある時、事業として大きな可能性があることに気づきましてね。ああ、川脇君、そんなところに立っていないで椅子に座りなさい」。
  ウエイトレスが水とおしぼりを運んできた。続いてウエイターがサラダとカレーを3人の前に並べていった。
  「さ、召し上がってください。当店自慢のナッシュカリーです。召し上がっていただけば、なぜカレー事業なのかが少しはお分かりいただけるかと思います」
  村上社長と川脇さんはナス、エノキ、チンゲン菜、ベーコンなどが社長の思い付きのように無秩序に放り込まれたそのカレーをうまそうに口に運んだ。僕はとても食事をする気分ではなかったが、社長に対する最低限の礼儀だけは守るために、何とか彼らのペースに合わせてそれを食べた。味などほとんどわからなかった。作業着よりもこのカレーの方が好き---まるで贔屓の野球チームについてでも話すようにさらりと語られた先ほどの社長の本心が、僕の心の中心を何度も突き飛ばすようにして跳ね回り、それから僕の身体を重く浸していった。長年の不貞を妻に告白された夫のような気分で、僕はもう何に対しても無反応になるしかないのだった。スパイシーなカレーの味も、黄金色に染まったサフランのライスの鮮やかな色彩も、それから目の前の二人が躍起になって見せつけてくる正体不明の情熱も、僕には古いモノクロの無声映画で目にする不鮮明なイメージ程度の印象しか残さなかった。村上社長の声が、どこか遠くの町から聞こえてくる祭囃子のように、僕の胸に寂しげに響いた。こう見えても、この店、なかなかの繁盛店なんですよ。得意先にお配りしているカレーも評判がいいですし。この15年でカレーづくりと店舗運営ノウハウも蓄積したので、そろそろ大々的に展開しようと、資金と人材を集中的に投入する決意をしましてね。いや、構想自体は5年ぐらい前からあったんですよ。ただ、タイミングがつかめずにいたもので。まあ、ぐずぐずしていたんですが、経営者としての年齢を考えると、これがラストチャンスじゃないのかと。まいど屋さんにとっても悪い話じゃないですよ。川脇君もまいど屋さんをしっかりサポートすると言っています。それにウチのカレーは何と言っても・・・・・・。
  それからも村上社長は、憑かれたようにカレー事業の夢を語り続けた。いや、それは最早夢などではなく、具体的なスケジュールを伴った本物の経営計画なのだった。川脇さんはそんな社長の言葉の一々に深く頷きながら、ときどき僕の顔にチラチラと目をやった。
  僕には、そのとき社長が語った話の一部始終をここに書き記す気力は残っていない。いや、それ以前に、何が話されたのかをほとんど覚えていないと言った方が正確かもしれない。ただ一つ、今でも記憶に残っているのは、社長の話し方が、何か新興宗教の教祖じみた狂気を含んでいたということだ。そうした物事の妥当性を超越した、ある種スピリッチュアルな「真理」の前では、川脇さんが持っていたはずの気骨などもうどこかへ消えてなくなってしまっていた。そこにいたのは、悟りを開いた教祖と、彼に盲目的に帰依してしまった信者に過ぎなかった。「わかってください」と言って、川脇さんは何度も深々と頭を下げた。僕は何も言えず、ただ黙って頷くだけだった。
 
  **********     **********     **********     **********
 
  年が明けて最初の営業日、僕はいつも逃げ出したいような衝動に駆られながら出勤する。年末年始の間、処理されることなく放置されている膨大な数の注文が、まいど屋のサーバーの中にたまりにたまり、水門を閉ざされたダムが今にも限界を超えて溢れ出す寸前のように、業務の開始を待っているからだ。特に今年は、寅壱の注文をどうするかという難題が別に加わっていた。しばらくはまいど屋の在庫で対応できるだろうが、それもいずれ底をつく。注文をしてくれたお客さまに対して今日からでも本当のことを言うべきか。それとも、ある程度在庫を減らしてからにするべきか。
  重たい気分で郵便受けを開け、年賀状の束を取り出した。謹賀新年。旧年中は一方ならずお世話になりました。本年も変わらぬご愛顧を賜りますよう・・・お決まりの文句が印刷されただけの、無意味で価値のない新年の挨拶状。両手で抱えるほどのその束の重みが、僕をより一層暗い気持ちに引きずり込んだ。輪ゴムを外してパラパラとめくっていると、その中に寅壱のロゴが印刷されたものが混じっていた。僕はそれを引き抜き、何度もひっくり返して文面を確認した。カレーのことはどこにも書かれていなかった。それは他社と同じような、ありきたりの文句が並んだだけの味気ない葉書だった。僕は寅壱のあまりの無神経さに呆れ、それを輪ゴムがしてある束の中に乱暴にねじ入れた。
  営業時間が始まり、サポートセンターの電話が一斉に鳴り出すころ、取引メーカーからの電話もぽつぽつと入り始める。忙しくて猫の手も借りたいほどのその時分、僕はそういった無遠慮に投げつけられてくる電話の一つひとつに朗らかに対応しながら、新しい年への覚悟を固めていく。今年もよろしくなどと何十回ともなく繰り返すことで自分の忍耐力が鈍ってはいないことを確認するのは、新年初日の恒例行事なのだ。それは社会人として、業界人として、決して避けることができない、割礼の儀式のように誰も疑問を持たないままただ痛みに耐え抜くだけの時間だった。
  「寅壱さんから電話です」とまいど屋の経理を預かるHさんが僕に告げたのは、昼近くになったころだ。初日特有の疲労が急に運動した後の筋肉痛のように全身に回り始め、集中力が切れかかっていたときだった。
  「川脇です」と電話の声が晴れ晴れしく言った。声にはまるで絵画を学ぶ学生が初めてモネを模写したときのような、取ってつけたような明るさが混じっていた。そして続けて、「今年もよろしくお願いします」と今日で30回目になるお決まりの文句が電話口から聞こえてきた。
  お願いします?僕が何も言わずにいると、「何度か電話したんですよ」と川脇さんは咳き込むように言った。「ずっと話し中だったから、こんな時間になってしまいました」。
  「そうか、やっぱり辞めていなかったんだね。でも、せっかくだが、やっぱりまいど屋はカレーはやらないよ」
  「えっ」と言って彼は絶句した。それからバツが悪そうに、「まさかまだ聞いてないんですか?そちらの編集部の方から?」と消え入りそうな声で早口に呟いた。
  「聞くって何を?」
  「例の新聞のことですよ。あれ、けっこういい出来だったでしょ。苦労したんですよ。まいど屋さんの編集部のスタッフがみんな協力してくれたんですけど」
  僕は受話器を耳から離し、周りのスタッフを見回した。全員、うつむいて忙しそうにキーボードを叩いていたが、僕の電話に聞き耳を立てている気配は隠しようもなかった。恐らく、彼らのパソコン画面にはデタラメの文字が打ち込まれているのだろう。僕が再び受話器を耳に当てたとき、耐えられなくなった誰かがプッと吹き出し、それを合図にしたように全員が一斉に肩を揺すり始めた。僕は全てを悟って大きく息を吐き出した。
 
  **********     **********     **********     **********
 
  新聞はスタッフの一人が近所の雑貨屋に頼んで作らせたものだった。寅壱の記事はその人物が川脇さんと相談して書き、周りのニュースは一週間前のものをそのままコピーしただけだったようだ。ニセの新聞は経済面の一枚だけで、それを本物の新聞に挟み込ませていた。<誕生日の記念に、プロポーズのサプライズに、あなただけのMY新聞を作ってみませんか?>---そんな謳い文句でサービスをしている店がまいど屋の近くにあったのだ。
  「いつも月刊まいど屋のネタがないってこぼしてたから」と川脇さんが言い訳するように言った。「正月号用に、刺激のあるネタはないかって何度も電話してきたでしょう。それでもしもウチがカレー屋になったらって思いついたんです」。
  「だけど、今頃ネタばらししてくれたって、正月号には間に合わないね。もう1月5日じゃないか」
  「安心してくださいよ。レポートは既にスタッフの方が書き上げています。見てないんですか?ちゃんと今月号に掲載されてますよ」
  彼にそう言われてまいど屋のトップページを開いてみると、コンテンツメニューには、確かに、<明かされた極秘計画---寅壱>と書かれた見出しがあった。
  「知らぬは自分一人ってわけだ。台本通り、くるくる踊ってるぞってみんなで観察して、さぞかし楽しんだんだろうね」
  いや、そんなと川脇さんは焦ったように早口になり、言葉を詰まらせた。恐らく、電話の向こうでは耳たぶを赤くし、頬を膨らませ、それからこめかみを乱暴にかきむしりながら、目を泳がせているのだろう。何かを必死に言い訳しようとするとき、彼はいつもそんな風にしてしゃべるのだ。「まさかこっちに来るなんて思ってもいなかったんで、あれだけは計算外でしたけど。おかげで、実家から児島にとんぼ返りしたんですよ。電話をもらった時、俺、本当は実家にいたんです。あのときネタばらしをすればよかったんだけど、そっちのスタッフさんたちが一生懸命だったんで、ぶち壊しにしたくなかったから。それでウチの社長にも相談して、翌日カレーの昼食にも付き合ってもらったってわけなんです。休みなのにって後で社長からは散々怒られたりして、俺も苦労したんですよ」。
  それから僕たちは一言二言、特に言葉にしたからといってどうなることでもないような年始のあいさつを交わし、電話を切った。<今年も、どうぞ寅壱をよろしくお願いします>。シャボン玉のように宙に浮かんだ後は放っておかれるだけで相手からのどんな反応も期待されることなく、無駄に消費されては捨て置かれていくその言葉が、そのときはやけに僕の心に沁み入った。
  尚、このささやかな一篇のレポートは、今回の騒動の発案者であるスタッフが書いた原稿に、本日僕が大幅に加筆訂正したものであることをここに付け加えておく。特に僕が岡山にある寅壱のカレー店を訪ねたくだりは、僕にしか事情がわからないということもあり、完全に新しく書き起こされたものだ。そうすることでオリジナルの文章が、多少とも僕の目を通したフィルターがかかった物語に変質してしまっていることは否定しようのない事実であるけれど、そうすることによってのみ、物語は僕の滑稽さを強調しようともくろんだスタッフたちの単なる悪ふざけの範疇を越え、より公平で多少なりの真実を含んだ一種の「寅壱論」的性格を獲得できるのではないかと思うのだ。
  もちろん、月刊まいど屋を預かる編集長として、かの編集部員の不正確な状況描写やつたない文章をそのまま掲載し続けることにも抵抗があった。僕が手を入れるまでの間に月刊まいど屋のホームページで原文を一度読み終えた方ならきっとわかっていただけるであろうが、そのこともまた、とりあえずは僕の意見として正直に書き添えておく。
 
image_maidoya6
寅壱カレーについて熱く語る村上社長
image_maidoya7
『ナッシュカリー』スープ・サラダ付き(税込1,026円)