彦根城を出たあとは、お土産屋でコーヒー休憩となった。なんということもない紙コップのコーヒーが冷え切った体にしみる。冬の行楽ならではのホッとする瞬間だ。いやー、目の前で見るのもいいけど遠くに見える天守もなかなか味わいのあるもんですね、などと語っているうちに、彦根に限らず、もっと幅広く城にまつわる話が聞きたくなってきた。言うまでもなく目の前にいるのは城郭ライターとして7年、16冊の著作を手がけ、「城メグリスト」の異名を持つ萩原さちこさんである。こんなチャンスはめったにない。もっと城の魅力や楽しみ方、城に目覚めたきっかけ、今後の活動などについて教えてもらおうではないか。「いいですよ、なんでも聞いてください」と微笑む萩原さんにインタビューをお願いした。
特集2
城郭ライターの萩原さちこさん
天守の中は城好きとしての原点
●このままでは城がなくなる?
――そもそも萩原さんはどうして城が好きになったんですか?
「小学2年生のとき家族で長野県の松本城(長野県松本市)に行ったのがきっかけです。両親がものすごい歴史好きというわけでもなく、よくある家族旅行だったんですけど。天守の内部にものすごく急な階段があって――とくに松本城の4階から5階に登る階段は降りられなくなって泣き出す子供もいるくらい急なんですが、私もあまりの登りにくさに驚いて母に聞いたんです。なんでこんなに急なの、と。すると母から『敵が登ってこないようにするためだよ』と返ってきて。そのとき『ただの古い建物じゃないんだ!』と衝撃を受けました。先人の知恵や軍事的な工夫に感銘を受けたというか。これが城好きとしての私の原点です」
――外観というか建物のデザインから入ったわけじゃないんですね。
「ええ、完全に機能からです。今は天守を眺めたりするのも好きですが、はじめは狭間などの装置や城の設計といった軍事的な機能に興奮していて、そのうちに外観にも関心が向かうようになっていきました。いろいろ見比べていくと、城は規模も違えば設計も構造も違う。ふたつとして同じものがない。なんて個性豊かなものなんだろう……。こんなふうに城の魅力に完全にハマって以来、旅行しては城に行くようになりました。ただし、城はあくまで趣味であって、仕事にしようとはまったく思っていませんでした。好きなものを仕事にすると嫌いになってしまうと確信していたので……」
――よくわかります。では、それがどういういきさつで城郭ライターに?
「大学を出てから雑誌編集や広告制作の仕事をしていて、いつかは独立するつもりでした。そのプランを考えだしてから数年経ったころ、気づいてしまったんです。あっ、3年後くらいに城が流行るな、と」
――ずっと城を見続けていた人ならではの嗅覚ですね。
「といっても単に商売になるから初めたわけじゃないんです。城って誰でも知っているのに、城に興味のある人はすごく少ない。誰でも何度か行ったことはあるのに、だいたい『行くだけ』で終わる。こういうのはあまりにもったいないな、とずっと思っていました」
「さらに強い危機感もありました。石垣だって手を入れないと壊れるし、中世の山城なんて放っておいたらどんどん風化してなくなってしまう。それでは困る、なんとか大好きな城を守りたい! と考え続けて、最終的に『私が城の魅力と価値を伝えよう』と決めました。城を守るために私ができることは、執筆活動などを通じて城への理解を深めることだったんです」
――図書館で城めぐりの入門書を探していて、意外とないのには驚きました。それこそ萩原さんの本くらいしか見つからない。これほどメジャーなジャンルなのに。
「ああ、それも城郭ライターになった動機のひとつですね。世の中には『城好きな人が読む専門書』はあるけれど、『城を好きになるための本』はない。じゃあ私が書こう、と。それに当時から、いわゆる歴史ライターが書いた城の記事には違和感があったんです。『○○年××が築城し、△△が建てられ……』みたいなのは、城ではなく歴史の話だし、実際に城を見ていなくても書けてしまう。私はそういう歴史の話じゃなくて『この城のここがスゴイ』『ここにこの城の価値がある』といった”城そのものの話”を書きたかった。城を巡って感じた魅力をそのまま語りたかったんです」
●勝手に感じる、勝手に楽しむ
――ところで、僕の感覚だと「城」はブームになってもうずいぶん経つ気もするんですけど……。
「2006年に日本城郭協会が発表した『日本100名城』が、大きなきっかけのひとつでしょうか。この頃から、城を訪れる人が増えた気がします。ちょうどその頃は『鉄』や『歴女』なんて言葉も流行って、いわゆるオタクが認められるようになった時期。城もあのころからサブカルチャーからメインカルチャーへと変わっていき、ついに市民権を得た、というか。今や『ブラタモリ』のような史跡めぐり番組がゴールデンタイムに放送されて、しかも人気を博していますもんね。10年前には想像もできなかったような世の中です。城好きも老若男女を問わずすそ野が広がってきたし、ここ2、3年は天守も石垣もない戦国時代の山城を訪れる人も増えてきました」
――まさに、今の「城ブーム」は狙い通りじゃないんですか?
「うーん……、私は『城がブームだ』とは一度も言ったことはないし、一過性のブームを作りたいとは思っていないんです。もちろん、たくさんの人に城のことを知ってほしいけれど、できれば『きちんと』知ってほしい。大河ドラマやご当地イベントをきっかけに城の知名度が上がるのはもちろんいいことですが、その動きが城を守ることにつながってほしいと思っています」
――史跡を保護するにもお金がかかりますからね。
「整備だけでなく、人が集まるようになると安全対策も必要になってきます。財政難の地方自治体には大きな課題でしょう。しかし、それでも価値あるものは未来に残さなければいけないし、私はその一翼を担いたい。50年後、100年後はもちろんですが、放っておくと10年後でも危うい城がたくさんあります。私と同世代の女性の中には子育てが忙しくて城めぐりなんてできない、という人も多いんです。私の本を読んで旅の気分を味わっているという読者もいるのは有難い限りですが、そういう人が10年後、20年後に自由な時間が持てるようになったとき、できるだけいい状態の城を楽しめるようにしておければと思います」
――城を「きちんと知る」ためには、やはりいろいろ勉強しないといけないんでしょうか?
「いえ、そういう堅苦しい話じゃなく、まずは地元の城に行って歩いてみて、感じるままに楽しむのが一番いいです。ちょっと乱暴な言い方ですけれど、『勝手に感じて勝手に楽しむ』。私はこれが大事だと思っています。どんなふうに城を見ればいいのかとよく聞かれるんですが、『城はこれを知ってこそ一人前、こういうふうに理解しなきゃダメ』というのは違うと思うんです」
――イメージですが、城にはそういう”うるさ型”のファンが多そうな気がします……。
「たとえば15年前くらいまでは『歴史を知らないと城に行っちゃいけない』『歴史がわからないと城は理解できない』といった雰囲気がありました。城を『現在と切り離された過去のもの』と捉えるとそうなっちゃうんですよ。しかし、私は城は『現在と過去をつなぐもの』だと思っています。皆さんそれぞれの「今」に通じるもの。だからそれぞれが自分の興味や関心に合わせて、自分なりの楽しみ方をすればいいんです。人によって、いろんな感じ方や考え方があるんですから。うんちくばかりに気をとられず、美術館や映画館に行くような感覚で、気軽に足を運んで城をもっと身近に感じてほしい」
――鑑賞する、みたいな気構えもいらない?
「映画だって、評論家みたいなマニアの人もいれば、単純に娯楽として楽しむ人もいるでしょう? あれでいいと思うんですよ。城を専門的に語るもよし、素直に『すごいなー』と見るのもよし。そこにかける熱量も時間も、個人の自由です。適度な距離で楽しむうちに費やす時間も増えてくるだろうし、そうなればおのずと疑問や知識も増えてくる。そういうのが『きちんと知る』、つまり城の価値や魅力を理解することなんだと思います」
●城が地域の「誇り」となるには
――城はどこにでもある、という話を聞いて驚きました。いわゆる観光名所だけじゃなくて日本中に城はあるんだな、と。
「そうなんですよ。主要都市にはだいたい城がある。城を中心に現在の都市が発展したから当たり前ですけど。中世の城の数はさらに膨大で、そのへんにある山はほぼ城と言っていいくらいです。最近はそうした山城も人気で、年配の方が健康のために山城歩きを始めるケースも増えてきています。いつも登っている山が城だったと知って驚いた、という人もいました。山城は標高もそれほど高くないから、週末のレジャーにもちょうどいい。景色も楽しめるし、ストレス発散にもなるのでオススメです」
――萩原さんにも「お気に入りの城」というのはあるんですか?
「たくさんありますよ。でも一番好きな城は? と聞かれれば回答に困ります。城はそれぞれ長所も短所もあるオリジナルなものなので順位のつけようがない、というか。ただ、居心地のいい城とそうでない城はあって、どんなにいい城でも後者は足が遠のきがちで、反対に前者は何度も再訪してしまいます」
――その違いっていうのは……。
「地元の方が城の価値と魅力に気付いているか、ですよ。いくらテレビで紹介されようが全国から人が集まろうが、地元の方が城を街の誇りだと感じていないと、やっぱり城も廃れていくんです。城を訪れる人が増えてくると、イベントなども開催されてさらにたくさんの人が集まります。でも、そこで気にすべきは集客数ではない気がします。地元の方が『うちの城ってこんなにスゴイんだ!』と関心を持つきっかけになっているか、が大事なんです。講演などでもいつもお話させてもらうのですが、外部からの注目をきっかけにして、地元の方に関心を持っていただくことが、城の未来を守る第一歩だと思います」
――うちの地元(大阪)でも、本当にみんな史跡や文化財に興味ないです。
「どの地域でもそうだと感じますね。身近なものの価値ってなかなか自分では気づけないものです。それに、いくら訪れる人が増えても、城が観光資源になるかというと微妙なんですよ。数百円の入城料じゃ儲けどころか維持・管理費用としても全然足りない。また城をPRするだけで地元にお金が落ちるのかというと、それも違いますよね。やはり、最終的にカギになるのは地域の方の関心と理解なんです。関心が高い地域は、保存活動も活発化している気がします」
――住民の心を動かすことが大事なんですね。
「ひとことで言えば、地域アイデンティティーの醸成です。これからもその手助けをしていきたいと思っています」
☆
いかがだっただろうか。城好きとしての原点から地方の将来まで、想像以上にスケールの大きい話となった。もっと城を楽しもう! という萩原さんのシンプルな活動は、地域文化や風土への深い洞察に裏付けられていたのだ。
最後に編集部は、城と同じ史跡として寺社仏閣への関心を聞いてみた。
「一応は行きますが、城ほど萌えませんね。あちらは宗教的なもので城は世俗的なもの。私は城の人間味みたいなところに惹かれるんです。戦に備えた設計や工夫をはじめ、城には日本人の知恵と技術と美意識が詰まっていますから。そういう、先人の試行錯誤というか生き様みたいなものを城を通して見るのが好きなんです」
表面的な装飾や風雅より、現実的な機能と実用――。まさに作業服の世界だ。ひょっとして城ってワークウェアに通じるものがあるのでは……? と言いたくなるのをこらえて、編集長は東京に帰る萩原さんを見送ったのだった。
――そもそも萩原さんはどうして城が好きになったんですか?
「小学2年生のとき家族で長野県の松本城(長野県松本市)に行ったのがきっかけです。両親がものすごい歴史好きというわけでもなく、よくある家族旅行だったんですけど。天守の内部にものすごく急な階段があって――とくに松本城の4階から5階に登る階段は降りられなくなって泣き出す子供もいるくらい急なんですが、私もあまりの登りにくさに驚いて母に聞いたんです。なんでこんなに急なの、と。すると母から『敵が登ってこないようにするためだよ』と返ってきて。そのとき『ただの古い建物じゃないんだ!』と衝撃を受けました。先人の知恵や軍事的な工夫に感銘を受けたというか。これが城好きとしての私の原点です」
――外観というか建物のデザインから入ったわけじゃないんですね。
「ええ、完全に機能からです。今は天守を眺めたりするのも好きですが、はじめは狭間などの装置や城の設計といった軍事的な機能に興奮していて、そのうちに外観にも関心が向かうようになっていきました。いろいろ見比べていくと、城は規模も違えば設計も構造も違う。ふたつとして同じものがない。なんて個性豊かなものなんだろう……。こんなふうに城の魅力に完全にハマって以来、旅行しては城に行くようになりました。ただし、城はあくまで趣味であって、仕事にしようとはまったく思っていませんでした。好きなものを仕事にすると嫌いになってしまうと確信していたので……」
――よくわかります。では、それがどういういきさつで城郭ライターに?
「大学を出てから雑誌編集や広告制作の仕事をしていて、いつかは独立するつもりでした。そのプランを考えだしてから数年経ったころ、気づいてしまったんです。あっ、3年後くらいに城が流行るな、と」
――ずっと城を見続けていた人ならではの嗅覚ですね。
「といっても単に商売になるから初めたわけじゃないんです。城って誰でも知っているのに、城に興味のある人はすごく少ない。誰でも何度か行ったことはあるのに、だいたい『行くだけ』で終わる。こういうのはあまりにもったいないな、とずっと思っていました」
「さらに強い危機感もありました。石垣だって手を入れないと壊れるし、中世の山城なんて放っておいたらどんどん風化してなくなってしまう。それでは困る、なんとか大好きな城を守りたい! と考え続けて、最終的に『私が城の魅力と価値を伝えよう』と決めました。城を守るために私ができることは、執筆活動などを通じて城への理解を深めることだったんです」
――図書館で城めぐりの入門書を探していて、意外とないのには驚きました。それこそ萩原さんの本くらいしか見つからない。これほどメジャーなジャンルなのに。
「ああ、それも城郭ライターになった動機のひとつですね。世の中には『城好きな人が読む専門書』はあるけれど、『城を好きになるための本』はない。じゃあ私が書こう、と。それに当時から、いわゆる歴史ライターが書いた城の記事には違和感があったんです。『○○年××が築城し、△△が建てられ……』みたいなのは、城ではなく歴史の話だし、実際に城を見ていなくても書けてしまう。私はそういう歴史の話じゃなくて『この城のここがスゴイ』『ここにこの城の価値がある』といった”城そのものの話”を書きたかった。城を巡って感じた魅力をそのまま語りたかったんです」
●勝手に感じる、勝手に楽しむ
――ところで、僕の感覚だと「城」はブームになってもうずいぶん経つ気もするんですけど……。
「2006年に日本城郭協会が発表した『日本100名城』が、大きなきっかけのひとつでしょうか。この頃から、城を訪れる人が増えた気がします。ちょうどその頃は『鉄』や『歴女』なんて言葉も流行って、いわゆるオタクが認められるようになった時期。城もあのころからサブカルチャーからメインカルチャーへと変わっていき、ついに市民権を得た、というか。今や『ブラタモリ』のような史跡めぐり番組がゴールデンタイムに放送されて、しかも人気を博していますもんね。10年前には想像もできなかったような世の中です。城好きも老若男女を問わずすそ野が広がってきたし、ここ2、3年は天守も石垣もない戦国時代の山城を訪れる人も増えてきました」
――まさに、今の「城ブーム」は狙い通りじゃないんですか?
「うーん……、私は『城がブームだ』とは一度も言ったことはないし、一過性のブームを作りたいとは思っていないんです。もちろん、たくさんの人に城のことを知ってほしいけれど、できれば『きちんと』知ってほしい。大河ドラマやご当地イベントをきっかけに城の知名度が上がるのはもちろんいいことですが、その動きが城を守ることにつながってほしいと思っています」
――史跡を保護するにもお金がかかりますからね。
「整備だけでなく、人が集まるようになると安全対策も必要になってきます。財政難の地方自治体には大きな課題でしょう。しかし、それでも価値あるものは未来に残さなければいけないし、私はその一翼を担いたい。50年後、100年後はもちろんですが、放っておくと10年後でも危うい城がたくさんあります。私と同世代の女性の中には子育てが忙しくて城めぐりなんてできない、という人も多いんです。私の本を読んで旅の気分を味わっているという読者もいるのは有難い限りですが、そういう人が10年後、20年後に自由な時間が持てるようになったとき、できるだけいい状態の城を楽しめるようにしておければと思います」
――城を「きちんと知る」ためには、やはりいろいろ勉強しないといけないんでしょうか?
「いえ、そういう堅苦しい話じゃなく、まずは地元の城に行って歩いてみて、感じるままに楽しむのが一番いいです。ちょっと乱暴な言い方ですけれど、『勝手に感じて勝手に楽しむ』。私はこれが大事だと思っています。どんなふうに城を見ればいいのかとよく聞かれるんですが、『城はこれを知ってこそ一人前、こういうふうに理解しなきゃダメ』というのは違うと思うんです」
――イメージですが、城にはそういう”うるさ型”のファンが多そうな気がします……。
「たとえば15年前くらいまでは『歴史を知らないと城に行っちゃいけない』『歴史がわからないと城は理解できない』といった雰囲気がありました。城を『現在と切り離された過去のもの』と捉えるとそうなっちゃうんですよ。しかし、私は城は『現在と過去をつなぐもの』だと思っています。皆さんそれぞれの「今」に通じるもの。だからそれぞれが自分の興味や関心に合わせて、自分なりの楽しみ方をすればいいんです。人によって、いろんな感じ方や考え方があるんですから。うんちくばかりに気をとられず、美術館や映画館に行くような感覚で、気軽に足を運んで城をもっと身近に感じてほしい」
――鑑賞する、みたいな気構えもいらない?
「映画だって、評論家みたいなマニアの人もいれば、単純に娯楽として楽しむ人もいるでしょう? あれでいいと思うんですよ。城を専門的に語るもよし、素直に『すごいなー』と見るのもよし。そこにかける熱量も時間も、個人の自由です。適度な距離で楽しむうちに費やす時間も増えてくるだろうし、そうなればおのずと疑問や知識も増えてくる。そういうのが『きちんと知る』、つまり城の価値や魅力を理解することなんだと思います」
●城が地域の「誇り」となるには
――城はどこにでもある、という話を聞いて驚きました。いわゆる観光名所だけじゃなくて日本中に城はあるんだな、と。
「そうなんですよ。主要都市にはだいたい城がある。城を中心に現在の都市が発展したから当たり前ですけど。中世の城の数はさらに膨大で、そのへんにある山はほぼ城と言っていいくらいです。最近はそうした山城も人気で、年配の方が健康のために山城歩きを始めるケースも増えてきています。いつも登っている山が城だったと知って驚いた、という人もいました。山城は標高もそれほど高くないから、週末のレジャーにもちょうどいい。景色も楽しめるし、ストレス発散にもなるのでオススメです」
――萩原さんにも「お気に入りの城」というのはあるんですか?
「たくさんありますよ。でも一番好きな城は? と聞かれれば回答に困ります。城はそれぞれ長所も短所もあるオリジナルなものなので順位のつけようがない、というか。ただ、居心地のいい城とそうでない城はあって、どんなにいい城でも後者は足が遠のきがちで、反対に前者は何度も再訪してしまいます」
――その違いっていうのは……。
「地元の方が城の価値と魅力に気付いているか、ですよ。いくらテレビで紹介されようが全国から人が集まろうが、地元の方が城を街の誇りだと感じていないと、やっぱり城も廃れていくんです。城を訪れる人が増えてくると、イベントなども開催されてさらにたくさんの人が集まります。でも、そこで気にすべきは集客数ではない気がします。地元の方が『うちの城ってこんなにスゴイんだ!』と関心を持つきっかけになっているか、が大事なんです。講演などでもいつもお話させてもらうのですが、外部からの注目をきっかけにして、地元の方に関心を持っていただくことが、城の未来を守る第一歩だと思います」
――うちの地元(大阪)でも、本当にみんな史跡や文化財に興味ないです。
「どの地域でもそうだと感じますね。身近なものの価値ってなかなか自分では気づけないものです。それに、いくら訪れる人が増えても、城が観光資源になるかというと微妙なんですよ。数百円の入城料じゃ儲けどころか維持・管理費用としても全然足りない。また城をPRするだけで地元にお金が落ちるのかというと、それも違いますよね。やはり、最終的にカギになるのは地域の方の関心と理解なんです。関心が高い地域は、保存活動も活発化している気がします」
――住民の心を動かすことが大事なんですね。
「ひとことで言えば、地域アイデンティティーの醸成です。これからもその手助けをしていきたいと思っています」
☆
いかがだっただろうか。城好きとしての原点から地方の将来まで、想像以上にスケールの大きい話となった。もっと城を楽しもう! という萩原さんのシンプルな活動は、地域文化や風土への深い洞察に裏付けられていたのだ。
最後に編集部は、城と同じ史跡として寺社仏閣への関心を聞いてみた。
「一応は行きますが、城ほど萌えませんね。あちらは宗教的なもので城は世俗的なもの。私は城の人間味みたいなところに惹かれるんです。戦に備えた設計や工夫をはじめ、城には日本人の知恵と技術と美意識が詰まっていますから。そういう、先人の試行錯誤というか生き様みたいなものを城を通して見るのが好きなんです」
表面的な装飾や風雅より、現実的な機能と実用――。まさに作業服の世界だ。ひょっとして城ってワークウェアに通じるものがあるのでは……? と言いたくなるのをこらえて、編集長は東京に帰る萩原さんを見送ったのだった。
城は何度訪れても飽きないという
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彦根城の庭「玄宮園」で
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