「江戸そば」「十割そば」ときたら、最後は「信州そば」で決まりだろう。ごぞんじの通り「長野といえば信州そば」だけれど、長野の人がそばをよく食べるから、といった単純な話ではない。というのも実は、長野こそ蕎麦の始まりの地である可能性が高いのである。そば粉を練って細く切り、つゆをつけて食べる「ソハキリ(そば切り)」が、初めて文献上に表れるのは、16世紀のこと。長野(木曽郡大桑村)のお寺の仏典修復に関する記録である。また18世紀に書かれた雑録では現在の長野の塩尻市をそば切りの発祥地とする記録も登場する。ソバの栽培も盛んで、街にはそば屋がたくさんあり、さらにそばの始まりの地とも言われる長野――。つまりここは「そばの聖地」なのだ。ならば、もう行くしかないだろう! 編集部は、名古屋から特急「ワイドビューしなの」に乗って長野県に向かった。目指すは塩尻市の信州そばアカデミー・本部道場である。ここでは「信州そば文化の普及・継承・発展」を旗印に、日々、会員たちがそば打ちの腕を磨いている。
信州そばアカデミー
本部道場では会員のほか一般人の参加も可能
「のし棒」だけはそこそこ上手くなった
●そば打ちの「3つの喜び」
信州そばアカデミーは2006年設立。2014年からは食文化を通じての地域振興をめざすNPO団体として活動しており、現在の会員数は約80人。週3回の講習会は会員でなくても参加できるほか、子供向けのそば打ち体験なども定期的に行っている。毎年10月に、松本城で開かれる「信州・松本そば祭り」に出店し、県外からの観光客にも信州そばをアピールするのも重要な活動だ。
なんといっても目を引くのは立派な本部道場だろう。そば店で開かれる講習会でも、公共施設での料理教室でもなく、そば打ちの技術を磨くための専用施設を持っているのだ。広々とした道場の中には、大きなテーブルとそば打ち道具が整然と並んでおり、正面には大河ドラマ「武蔵」の題字でも知られる吉川壽一氏が揮毫した「継続」「謙虚」「芸術」の文字が掲げられている。思わず襟を正したくなる空間だ。
それにしても、いったい何がここまで人々をそば打ちに駆り立てるのだろう? アカデミーの発起人である理事長・赤羽章司さんに聞いてみた。
「食べるのが好きな人もいれば打つのが好きという人もいますけど、うちではよくそば打ちには3つの喜びがある、と言っています。ひとつ目は『打つ喜び』で、そばに集中し、目の前の作業に没頭することで、リラックスできたりストレス解消になるという人は多いですね。二つ目は『食べる喜び』で、美味しいそばができればうれしいし、そばなら食べ方のバリエーションも多いから飽きないのもいい。そして最後が『贈る喜び』です。友達に手打ちそばをふるまったり多めに打って手土産にしたり。これは喜ばれますよ」
なるほど、楽しみは「自分で食べる」だけではないのだ。
なかでも「手土産にする」というのはいいアイデアだろう。デパートのお菓子なんかは今やありふれているし酒やコーヒーも飲まない人が増えている。一方「家でそば打ったから持ってきたよ」なら、金銭的価値がわからないから相手もラクだし、添加物なんかにうるさい人でもOKだ。そして何よりスマートではないか。
また「打つ喜び」も見逃せない。料理のほか園芸、機械いじり、プラモデルなど、集中して手を動かすと頭がリフレッシュすることはよく知られているが、そば打ちの場合、始めると中断できないから自ずと「没入度」は高くなる。さらに目や耳だけでなく触覚に嗅覚、味覚まで、五感をフルに使う作業だから、デスクワーク中心の生活を送る人の気晴らしとしてもぴったりだろう。
ストレスに満ちた現代人を救うのは「そば打ち」なのかもしれない。
●上達するための条件
じつは赤羽さんは、2005年度の「第10回 全日本素人そば打ち名人大会」で名人の座に輝いた経歴を持つ。アカデミーの活動は、そば打ち大会で活躍できる人の育成であると同時にそばへの恩返しでもあるという。
「そもそも、私も初めは友達に教えてもらったんです。それまでは特にそば好きでもなかったのですが、20年ほど前、友人が十割そばを打ってくれたとき、そのおいしさにびっくりしまして。同時に『自分にもできそうだな』と思ったのがすべての始まりです」
確かにそば打ちは、誰もがやってみたくなる不思議な魅力があるようだ。実際にやってみれば、簡単ではないけれど、何度か練習すればなんとかなりそうな気もしてくる。そんな、技術としての「ちょうどよさ」も人を惹きつける要素なのだろう。
一方、赤羽さんはそば打ちの難しさについて次のように語る。
「そば打ちの行程は大きく分けて、①水回し②練り③のし④切り、の4つがありますが、だいたい水回しがいちばん難しいと言われます。そば粉は小麦粉と違ってグルテンが含まれておらず、水溶性のタンパク質でつながねばならない。結合力が弱いんです」
編集部が苦手な「切り」についても聞いてみた。
「理想は麺の断面が正方形になることです。好みによって麺を太目にしたりするのはアリですが、きしめんのように縦横比が違ったらダメですね。厚さと幅を同一になるように切る。これは慣れるしかありません」
では、目安として練習はどれくらいすればいいのだろうか?
うーん……、としばらく考えこんでから赤羽さんは言った。
「週に3回打っていればなんとか現状維持というか、技量を落とさないで済むといった感じです。上達したいなら最低でも週に4回、5回くらいは打たないとダメでしょう。あとは、できればいい指導者に付いてもらうことですね」
ここでいう「上達」とは、日本中のそば打ち愛好家で作る全国組織「全麺協」が認定する「段位」を上げていくことを指す。そんな高いレベルは求めないビギナーに向けては、次のアドバイスをくれた。
「やはり大事なのは気持ちを込めて打つことです。手打ちそばというのは、同じ人が同じ材料で作ったとしても、必ず毎回違ったものになる。だから、いつも『おいしいそばを作りたい』という真心を込めて打ってください。粉に含まれるソバの細胞はひとつひとつが生きていますから、心を込めて打てばちゃんと応えてくれますよ」
もちろん技術を磨くのは大事だが、「技」さえあればいいわけではない。おいしいそばを打つには「心」も大切なのだ。
●簡単な技術はない
続いて、道場でそばを打たせてもらうことにした。通算3回目のそば打ちである。
前回、前々回と違ったのは、自力でやる場面が多かったこと。もちろん失敗しそうなときは赤羽さんが助けてくれるものの、基本的にできることは自分でやる。
たとえば以前のそば打ちでは大半を店主におまかせだった「水回し」は、今回、赤羽さんのアドバイスを受けつつ、ほぼ自力で行った。粉の固まり具合や感触を確かめながら、少しずつ水を加えていけば、大きなミスは起きないことがわかった。
鉢を混ぜるときは左右に肩を動かす、といった体の使い方も教えてもらった。手の回し方はかろうじて覚えたけれど、右手と左手を同じように回すのはけっこう難しく、
「左手がお留守になってますよ」
と何度も指摘される。
ジョギングや自転車といったエクササイズでは、左右の動作や力加減に差がないのが望ましいとされるが、それとまったく一緒だ。しかも、そば打ちの場合、指先でそば粉の状態を感じながら、リズムよく手を動かし続けねばならない。熟練者がやると何でもないように見える攪拌の動作も、実はけっこう高度な技なのだ。
水加減は上手くいったので今度は手の回転を意識する。目はオカラ状にまとまりつつあるそば粉だけを見つめ、手は鉢のすみずみまでまんべんなく混ぜるためひたすら回転を繰り返す――と、そのうち頭は真っ白になり、そばと自分だけの世界に没入していく……。赤羽さんも言った「そば打ちに集中することがリフレッシュやストレス解消になる」というのは、間違いなくあると思った。
「練り」の作業を終えたら、伸ばしに入るため打ち粉を振る。
「まんべんなく多めに振ってください」
相撲取りの塩のイメージで多めにつかんだ粉を生地にまく。が、予想に反して粉はちっとも広がっておらず、生地の上には1本のスジができている。
このとき、以前のそば打ちでの打ち粉は、ほとんどすべて店主がまいていたことに気づいた。打ち粉は脇役のようだが、足りないと生地がくっついたりして失敗につながる重要な要素。だから店主は自らササッとやっていたのか。打ち粉を全体に振るという、そば打ちの中で最も簡単そうなこの動作ですら、実はけっこう難しいのである。
「のし」も終盤のミリ単位になってくると赤羽さんに仕上げてもらい、最後は「切り」。リズム優先のため太さは以前よりそろったものの、全体的にやや平麺になってしまった。
☆
赤羽さんのサポートのおかげで上手くはいった。でも、まだ満足するような出来とは言えず、正直いって悔しさが残る。初心者だから仕方ないとはいえ、もっと上手くできる余地はあった。これではそばに申し訳がない……。
聞いても仕方ないと思いつつも質問してみた。
「……赤羽さんは、自分で納得のいくそばが打てるまで、どれくらいかかりましたか?」
「えっ? 納得いく出来なんて、今でもないですよ」
蕎麦道は果てしなく遠く、そして深い。
【道場情報】
名称:NPO法人 信州そばアカデミー
住所:〒399-0705 長野県塩尻市広丘堅石23-22
電話:0263-54-2943
アクセス:JR篠ノ井線・広丘駅
信州そばアカデミーは2006年設立。2014年からは食文化を通じての地域振興をめざすNPO団体として活動しており、現在の会員数は約80人。週3回の講習会は会員でなくても参加できるほか、子供向けのそば打ち体験なども定期的に行っている。毎年10月に、松本城で開かれる「信州・松本そば祭り」に出店し、県外からの観光客にも信州そばをアピールするのも重要な活動だ。
なんといっても目を引くのは立派な本部道場だろう。そば店で開かれる講習会でも、公共施設での料理教室でもなく、そば打ちの技術を磨くための専用施設を持っているのだ。広々とした道場の中には、大きなテーブルとそば打ち道具が整然と並んでおり、正面には大河ドラマ「武蔵」の題字でも知られる吉川壽一氏が揮毫した「継続」「謙虚」「芸術」の文字が掲げられている。思わず襟を正したくなる空間だ。
それにしても、いったい何がここまで人々をそば打ちに駆り立てるのだろう? アカデミーの発起人である理事長・赤羽章司さんに聞いてみた。
「食べるのが好きな人もいれば打つのが好きという人もいますけど、うちではよくそば打ちには3つの喜びがある、と言っています。ひとつ目は『打つ喜び』で、そばに集中し、目の前の作業に没頭することで、リラックスできたりストレス解消になるという人は多いですね。二つ目は『食べる喜び』で、美味しいそばができればうれしいし、そばなら食べ方のバリエーションも多いから飽きないのもいい。そして最後が『贈る喜び』です。友達に手打ちそばをふるまったり多めに打って手土産にしたり。これは喜ばれますよ」
なるほど、楽しみは「自分で食べる」だけではないのだ。
なかでも「手土産にする」というのはいいアイデアだろう。デパートのお菓子なんかは今やありふれているし酒やコーヒーも飲まない人が増えている。一方「家でそば打ったから持ってきたよ」なら、金銭的価値がわからないから相手もラクだし、添加物なんかにうるさい人でもOKだ。そして何よりスマートではないか。
また「打つ喜び」も見逃せない。料理のほか園芸、機械いじり、プラモデルなど、集中して手を動かすと頭がリフレッシュすることはよく知られているが、そば打ちの場合、始めると中断できないから自ずと「没入度」は高くなる。さらに目や耳だけでなく触覚に嗅覚、味覚まで、五感をフルに使う作業だから、デスクワーク中心の生活を送る人の気晴らしとしてもぴったりだろう。
ストレスに満ちた現代人を救うのは「そば打ち」なのかもしれない。
●上達するための条件
じつは赤羽さんは、2005年度の「第10回 全日本素人そば打ち名人大会」で名人の座に輝いた経歴を持つ。アカデミーの活動は、そば打ち大会で活躍できる人の育成であると同時にそばへの恩返しでもあるという。
「そもそも、私も初めは友達に教えてもらったんです。それまでは特にそば好きでもなかったのですが、20年ほど前、友人が十割そばを打ってくれたとき、そのおいしさにびっくりしまして。同時に『自分にもできそうだな』と思ったのがすべての始まりです」
確かにそば打ちは、誰もがやってみたくなる不思議な魅力があるようだ。実際にやってみれば、簡単ではないけれど、何度か練習すればなんとかなりそうな気もしてくる。そんな、技術としての「ちょうどよさ」も人を惹きつける要素なのだろう。
一方、赤羽さんはそば打ちの難しさについて次のように語る。
「そば打ちの行程は大きく分けて、①水回し②練り③のし④切り、の4つがありますが、だいたい水回しがいちばん難しいと言われます。そば粉は小麦粉と違ってグルテンが含まれておらず、水溶性のタンパク質でつながねばならない。結合力が弱いんです」
編集部が苦手な「切り」についても聞いてみた。
「理想は麺の断面が正方形になることです。好みによって麺を太目にしたりするのはアリですが、きしめんのように縦横比が違ったらダメですね。厚さと幅を同一になるように切る。これは慣れるしかありません」
では、目安として練習はどれくらいすればいいのだろうか?
うーん……、としばらく考えこんでから赤羽さんは言った。
「週に3回打っていればなんとか現状維持というか、技量を落とさないで済むといった感じです。上達したいなら最低でも週に4回、5回くらいは打たないとダメでしょう。あとは、できればいい指導者に付いてもらうことですね」
ここでいう「上達」とは、日本中のそば打ち愛好家で作る全国組織「全麺協」が認定する「段位」を上げていくことを指す。そんな高いレベルは求めないビギナーに向けては、次のアドバイスをくれた。
「やはり大事なのは気持ちを込めて打つことです。手打ちそばというのは、同じ人が同じ材料で作ったとしても、必ず毎回違ったものになる。だから、いつも『おいしいそばを作りたい』という真心を込めて打ってください。粉に含まれるソバの細胞はひとつひとつが生きていますから、心を込めて打てばちゃんと応えてくれますよ」
もちろん技術を磨くのは大事だが、「技」さえあればいいわけではない。おいしいそばを打つには「心」も大切なのだ。
●簡単な技術はない
続いて、道場でそばを打たせてもらうことにした。通算3回目のそば打ちである。
前回、前々回と違ったのは、自力でやる場面が多かったこと。もちろん失敗しそうなときは赤羽さんが助けてくれるものの、基本的にできることは自分でやる。
たとえば以前のそば打ちでは大半を店主におまかせだった「水回し」は、今回、赤羽さんのアドバイスを受けつつ、ほぼ自力で行った。粉の固まり具合や感触を確かめながら、少しずつ水を加えていけば、大きなミスは起きないことがわかった。
鉢を混ぜるときは左右に肩を動かす、といった体の使い方も教えてもらった。手の回し方はかろうじて覚えたけれど、右手と左手を同じように回すのはけっこう難しく、
「左手がお留守になってますよ」
と何度も指摘される。
ジョギングや自転車といったエクササイズでは、左右の動作や力加減に差がないのが望ましいとされるが、それとまったく一緒だ。しかも、そば打ちの場合、指先でそば粉の状態を感じながら、リズムよく手を動かし続けねばならない。熟練者がやると何でもないように見える攪拌の動作も、実はけっこう高度な技なのだ。
水加減は上手くいったので今度は手の回転を意識する。目はオカラ状にまとまりつつあるそば粉だけを見つめ、手は鉢のすみずみまでまんべんなく混ぜるためひたすら回転を繰り返す――と、そのうち頭は真っ白になり、そばと自分だけの世界に没入していく……。赤羽さんも言った「そば打ちに集中することがリフレッシュやストレス解消になる」というのは、間違いなくあると思った。
「練り」の作業を終えたら、伸ばしに入るため打ち粉を振る。
「まんべんなく多めに振ってください」
相撲取りの塩のイメージで多めにつかんだ粉を生地にまく。が、予想に反して粉はちっとも広がっておらず、生地の上には1本のスジができている。
このとき、以前のそば打ちでの打ち粉は、ほとんどすべて店主がまいていたことに気づいた。打ち粉は脇役のようだが、足りないと生地がくっついたりして失敗につながる重要な要素。だから店主は自らササッとやっていたのか。打ち粉を全体に振るという、そば打ちの中で最も簡単そうなこの動作ですら、実はけっこう難しいのである。
「のし」も終盤のミリ単位になってくると赤羽さんに仕上げてもらい、最後は「切り」。リズム優先のため太さは以前よりそろったものの、全体的にやや平麺になってしまった。
☆
赤羽さんのサポートのおかげで上手くはいった。でも、まだ満足するような出来とは言えず、正直いって悔しさが残る。初心者だから仕方ないとはいえ、もっと上手くできる余地はあった。これではそばに申し訳がない……。
聞いても仕方ないと思いつつも質問してみた。
「……赤羽さんは、自分で納得のいくそばが打てるまで、どれくらいかかりましたか?」
「えっ? 納得いく出来なんて、今でもないですよ」
蕎麦道は果てしなく遠く、そして深い。
【道場情報】
名称:NPO法人 信州そばアカデミー
住所:〒399-0705 長野県塩尻市広丘堅石23-22
電話:0263-54-2943
アクセス:JR篠ノ井線・広丘駅
集中力全開で挑む「切り」の作業
|
信州そばアカデミー理事長の赤羽さん(左)と
|
素材感&カラーで「和」をアピール! ”ちょい渋め”な味が魅力の作務衣シリーズ やさしい風合いのスラブ素材に「日本の美」を感じるカラーを組み合わせた和食店向け作務衣。きちんとした佇まいながら、生地は薄くて軽いので着心地はラク。接客や事務作業にも便利な内ポケット付き。 |
|
柿色やカラシ色がお店で映える! ユニフォームにも使える定番の作務衣 オーソドックスな紺色や茶色に加えて、オリーブ色、エンジ色など「和」を感じさせるカラーをラインナップ。温度と湿度を調整するハイテク素材「衣類内紀行」で、暑い季節も快適に。お店の雰囲気やサービスに応じて、組み合わせる帽子や三角巾、前掛などの色を変えるのもオススメ。 |
|