【特集1】【ドキュメント】物流オーバーフローimage_maidoya3
たった3カ月前の出来事なのに、ずいぶん前のような気もする――。そう、平成から令和への「御代替わり」である。昭和天皇の崩御によって始まった前回の改元とは打って変わり、今回はどこも祝賀ムード。平成のヒット曲や流行を振り返る特集番組が流れ、日本各地で新元号にまつわる記念セールや祝賀イベントが開かれる”令和フィーバー”となった。「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵」(現上皇、2018年12月の会見での言葉)との言葉通り、日本人は明治以降、初めて”戦のない時代”を手にすることができたのだ。ただ、治世が安定する一方で「平成の記憶」としては、阪神淡路大震災、東日本大震災をはじめ、多くの災害の印象が残る結果に。そしてついに迎えた改元。よりによってこのタイミングで「まいど屋」は、創業以来はじめての”巨大クライシス”に襲われることとなった。今回の「月刊まいど屋」では、危機の様子とその解決、関係者の証言などを3部構成でお届けする。まず第一部となる本稿では、ドキュメント形式で「まいど屋に何が起きたのか」を詳述したい。

特集1
image_maidoya4
まいど屋の出荷場
image_maidoya5
新設された物流スペース
●10連休が呼んだ「危機」
 
  初めに今回起こった危機の概要を語っておこう。ごぞんじの通り、当サイト「まいど屋」は、埼玉県川口市のネットショップ。おもに作業服や保安具などワーク用品を販売している。
 
  今回、改元に伴うゴールデンウィーク10連休(平成30年4月27日~令和元年5月6日)明けに起きた事態は、ひとことで言えば事務処理と物流の「オーバーフロー」だ。連休中に積みあがった膨大な注文がさばききれず、日常業務を圧迫。注文受付から商品手配、出荷、問い合わせ対応など、すべてに大規模な遅延が発生し、ネット通販会社として2カ月近くも機能不全に陥ってしまった。
 
  要するに、
  「注文してから何日経っても届かない」
  「問い合わせようにも電話がつながらない」
  「電話で聞いてもまるで要領を得ない」
  というとんでもない事態。言うまでもなくネット通販として絶対にあってはならないことだ。
 
  連休中にメールや注文がたまってしまうケースは、どこの会社にもあるだろう。しかし、その収束に6月末までかかるというのはひどい。一体なぜ、まいど屋はこんな異常事態に陥ってしまったのか? 編集部がまいど屋本社で聞いた一部始終をここに書く。
 
  ●「イヤな予感が」(4/27~5/6)
 
  最初に危機の発端に気づいたのは、まいど屋のメーカー発注担当者・Tさんだった。ユーザーからの注文を受け、メーカーに商品手配の連絡をする重要なポジションである。まいど屋への注文はまずT氏が目を通し、問題がなければ、商品手配→顧客への連絡→商品発送、と順調に進んでいく。ネーム入れなどの加工がない場合、通常は受注から2日後には発送できるという。だが、この10連休には、少し胸騒ぎを覚えた。
 
  「なんかイヤな予感がして、連休が明ける前の日(5月6日)に会社に見に来たんですよ」(Tさん)
 
  そこで目にしたのは、まいど屋がふだん1日で処理している量の6~9倍に当たる注文の山だった。Tさんはすぐにパソコン2台をフル稼働させ、すべての注文書をプリントアウト。翌日に口火が切られるであろう戦闘への態勢をとりあえず整えた。
 
  まいど屋は5月7日から通常営業。とんでもない数の注文が溜まっているものの、社長の指揮のもとスタッフ一丸となって残業すればなんとか処理できるだろう、これまでそうしてきたように……。この時点では、まだそんなふうに考える余裕があった。
 
  しかし、その期待はしょっぱなから挫かれることになる。同5月6日夜、まいど屋のトップである田中政道氏からの電話によって。
 
  ●サマータイムの悲劇(5/6)
 
  連休中、田中氏は大西洋沿岸の某国で休暇を楽しんでいた。盆と正月くらいしか休みの取れない店主にとって、10連休は遠方に出かけることができる貴重なチャンスである。だが、なじみのない国の道中では、まったく想像もしなかったような問題が起きるもの。そんなトラブルは、よりによって旅行の最終日、日本へ向かう飛行機に乗ろうと空港にやってきたタイミングで起きた。
 
  「あれ? 人がいないな、おかしいなぁ、と思ったんです。まだフライト時間の前なのに。しょうがないから空港スタッフに聞いたら『1時間前に行っちゃいましたよ』と。えっ? 時間を間違えた? と思って確認したらちゃんと合ってる。……で、いろいろ聞いて原因がわかったんです。ちょうどその日からサマータイムに切り替わっていた!」(田中氏)
 
  次の飛行機で帰ると出社は2日遅れになる。このことを伝えるために、田中氏は市街に戻ってTさんに国際電話をかける。日本時間は5月6日の夜。Tさんが大量の注文をプリントアウトした日のことである。
 
  「社長、ヤバいです。(注文が)ものすごい数になってます」
 
  電話でその総数を聞いたとき、背筋に冷たいものが走った。まいど屋はネットショップなので夜中や休日でも注文は入り続ける。ただ、連休時の数は通常営業日よりかなり少なく、積み重なってもなんとかなるのが常だった。しかし、受話器から聞こえた数値は、この経験則から完全に逸脱し、もはや未体験レベルに達している。
 
  「つまり、10日間ほとんど減ることなくずっと注文が入り続けていたんです。これまでも長期休暇の経験はあったけど10連休なんて初めてのことで、こんなことになるとは夢にも思っていなかった……」(田中氏)
 
  しかし、この時点でもまだ「死の行軍」の始まりを予期できた者はいなかった。
 
  ●増え続ける受注残(5/9)
 
  10連休のあいだずっと注文が入り続けた結果、大量にたまってしまったこと。陣頭指揮を執るはずの社長が出社できなかったこと。これだけのミスなら、1、2週間もあればスタッフのがんばりで挽回できたかもしれない。ところが、連休明けの5月10日ごろから、気温は急上昇。日によって昼間は30℃近くになり、まいど屋には夏用のウェアや空調服を求める顧客からの注文があい次いだ。例年よりひと足早い繁忙期である。
 
  予定より2日遅れて5月9日に出社した田中氏は、スタッフを見て驚愕した。
 
  「みんな目が死んでるんですよ。注文をさばく担当者も、お客さんに連絡するオペレーターも。それに物流の現場もパンク寸前だった。(商品を発送する)出荷場も段ボール箱が積みあがって人が入れないくらい。商品はメーカーから次々と届くのに、お客さんへの発送が追いつかないからどんどん箱が積みあがる。そうなると作業効率も悪くなるから、さらに処理能力が落ちてしまう。連休中にたまった注文を処理していくどころか、逆に未処理の注文が1日ごとに増えていくという……」(田中氏)
 
  普段のまいど屋では、営業時間中に届いた注文は、すべてその日のうちに処理フローに乗せている。しかし、山積した注文と連休明けの注文増加のダブルパンチの前に、この規範はあっけなく崩壊。処理が終わっていない顧客の注文「受注残」が日々、累積するという多重債務者のような状態に陥ってしまったのだ。
 
  夜中まで働いても「受注残」は減らない。それどころか日々増え続ける――。田中氏は今回の事態が「まいど屋」存亡の危機であることをついに理解し、戦慄を覚えた。
 
  ●希望はどこに?(5/10~17)
 
  顧客への商品発送はすでに大幅に遅れている。まずはとにかく出荷することだ。出荷機能を増強すれば、受注残も減り始めるのではないか。こう考えた田中氏はまず出荷場を拡張することにした。
 
  とりあえず出荷場の前にある駐車スペースにブルーシートを敷き詰め、即席の荷捌き場を設けた。だが、この「青空作業場」では風雨を気にしなければならず、効率はダウン。出荷能力は改善どころか従来より悪化し始める。
 
  「ヤベーな、じゃあ人を増やすか」(田中氏)
 
  続いて、通常6人で行っていた出荷作業を10人体制で行うことに。ところが、これでも未出荷の荷物は増え続けた。積みあがった箱から商品を探し出し、顧客ごとに箱詰めする「ピッキング作業」ひとつでも、モノが多すぎるせいで時間がかかってしまう。慣れない出荷作業に狩りだされたスタッフならなおさらだ。スペースに人数、そして勤務時間まで増やしているにもかかわらず、出荷件数は逆に減ってしまった。
 
  この時点で、連休明けから10日が経過していた。出荷場には商品の山が積みあがり、オフィスは問い合わせの電話が鳴りっぱなし。長時間労働の結果、職場の空気も殺伐とし始めている。
 
  このままでは、まいど屋は終わりだ……。楽観的な田中氏もさすがに頭を抱えた。
 
  ●起死回生をかける(5/18~22)
 
  追い詰められ焦燥感にあえぐ田中の脳裏に”最終手段”がよぎった。「一時的に店を閉める」というプランである。まいど屋のサイトを数日だけクローズし、その間フルパワーで出荷すれば通常状態に戻せるかもしれない。だが、まだ注文してない人はいいとして、すでに入金した顧客はパニックになるだろう。もし実行した場合、詐欺だと言われても仕方ないのではないか……。
 
  田中氏は階段の上に立ち、うつろな目で出荷場を見下ろしていた。うずたかく積みあがった段ボール箱は、まいど屋の前途を覆いつくす壁のごとき威容を放っている。しかも、この山はこうしている間にも増大を続けているのだ。連日、とるものもとらず働き続ける出荷スタッフには、差し入れでもしてねぎらいの言葉をかけてやりたいけれど、とても合わせる顔がない。ほかでもない、自分こそが彼らをこの地獄の戦場に叩き込んだ張本人なのだから。
 
  やはり店を閉めるしかないのか……と呻吟しながらスタッフを目で追っているうち、その視線は出荷場に隣接するコンクリート塀で止まった。塀の先は将来、まいど屋の新社屋を建てるための予定地で、現在は従業員の駐車場として使われている。
 
  「……この塀をぶち抜けば、出荷場とつながるのでは?」
 
  すぐに携帯電話で出入りの工事業者を呼ぶ。と、その日のうちに塀に通用口ができ、空地は出荷場とつながった。砂利のままでは使い勝手が悪いので、同時にコンクリートの敷設も決めた。翌々日にはコンクリを流して2日間の乾燥へ。続いて電線とインターネット回線を引いて百数十坪の新たな物流スペースを稼働させた。工期はわずか4日である。
 
  荷捌きや出荷を行う物流スペースの面積は4倍に拡大。これでこの異常事態は収束に向かう、と誰もが思った。いや、もはやそう願うしかなかった。すでに連休明けから15日が経過。連休前に注文したユーザーの一部は、じつに2週間以上も放置されていることになる。
 
  ●真の修羅場!(5/23~6/7)
 
  物流スペースの拡張によって、荷捌きやピッキングの効率はアップした。事態収束の期待を抱きつつ、1週間ほど出荷場の推移を見守っている田中氏だったが、やがて恐ろしい事実に気づいた。作業スペースには余裕が出たものの、段ボールの数は減っていないのだ。
 
  残業と休日出勤がひと月近く続き、物流チームは疲労困憊している。荷物が多すぎて、数種類を詰め合わせてから発送する予定でストックしてある商品が「消えた」。荷物が荷物の邪魔をする末期状態である。
 
  オペレーターも限界に近づいていた。ユーザーから問い合わせの電話を受けても、出荷がいつになるかは、誰ひとりとしてわからない。誠心誠意の対応をしようとすれば、どうなっているかを確認するため、出荷場に入って段ボール箱をかき分けざるを得ない。普段はパッと見つかる出荷作業中の箱も、このような状態では見つからず、出荷場でオペレーターが”遭難”する事態となる。
 
  それでも電話は鳴りやまない。当然、ユーザーは怒りを露わにして納期を問い詰める。だが出荷場がこんな状態では、オペレーターは謝罪を繰り返す以外に手がない。次第に電話が鳴っても誰も取らなくなってくる。
 
  「この状況はねぇ……、ものすごい、ストレスです……!」(田中氏)
 
  今回の取材の中で、もっとも真に迫る言葉だった。
 
  ●そして収束へ……(6/10~30)
 
  すでに異常事態の発生からひと月近く。6月初旬を過ぎつつあった。体が、精神が、日々蝕まれていく極限状態のなか、田中氏は悪あがきにも似た気分で最後のカードを切ることにした。社員のうち回せる人をすべて出荷場に送り込む「人海戦術」だ。オペレーターからウェブサイトのエンジニアまで、計15人が追加で動員され、出荷スタッフは平常時の約4倍に当たる25人となった。
 
  この段階で、ついに出荷場の荷物は減り始めた。マッカーサー率いる国連軍を38度線まで押し戻す人民解放軍のごとく、スタッフは最後の力を振り絞り、受注残を積み減らしていく――。やっと事態はようやく収束にむかったのである。最大のカギはスペースでも効率でもなく「人数」だったのだ。
 
  こうして、令和元年の「まいど屋クラッシュ」は6月末をもって完全に収束した。この危機によって、まいど屋の物流機能は強化され、今後の注文増加にも対応できるようになった。しかし、ユーザーの怒りと不信感、従業員が味わった苦難の記憶は、決して消えないだろう。
 
  まいど屋にとって、令和元年は忘れられない年となったのである。
 
     ☆
 
  [事態の経過]
  4/27:連休スタート
  5/1:令和に改元
  5/6:連休最終日/Tさん出社
  5/7:連休明け
  5/9:田中氏出社
  5/17:初手(増員・青空スペース)の失敗
  5/18:新出荷スペース着工
  5/22:新出荷スペース完成
  6/10:15人増員/荷物が減少へ
  6/30:収束
 
image_maidoya6
左部分の壁をぶち抜いて新スペースを整備した