【特集1】孤島生活はじめますimage_maidoya3
「島に流されたい」と誰もが一度は思う。とくに成人男性の場合、四年に一度ほど島流しの妄想にどっぷりふける時期があるというのは、文化人類学者の間ではよく知られた話だ。そうは言っても「ロープでぐるぐる巻きになって船の甲板に転がされたいなぁ」というのではもちろんない。求めているのはそんな処刑みたいなヤツじゃなく、もっと文化的でマイルドな島流しである。例を挙げるなら、後醍醐天皇の隠岐島、日蓮の佐渡島、近代では西郷隆盛の沖永良部島、それから海外ではナポレオンのエルバ島なんかが「みんなが憧れる島流し」の代表だろう。このように社会と隔絶された環境に身を置くことで、改めておのれの来し方行く先に思いをはせ、自らの本分を捉え直し……と、こんな期間が人間には必要なのである。ところが、現代はどんな離島であろうと海沿いにリゾートホテルが立ち並び、好アクセスなLCCや高速船が就航する時代。もはや社会とのつながりを断つのは不可能に近い。違う、おれはレジャーがしたいんじゃない。ドが付く僻地中の僻地で途方にくれたいんだ! と危険な願望を口にする編集長の前に、あるニュースが入ってきた。「唯一のアクセス手段であるこの船がドック入りすると、約1カ月間、この島は"絶海の孤島"となります」。こ……これだ! 誘蛾灯に向かう夏の虫のごとく、編集長の心はその夢の離島――小笠原諸島に吸い寄せられていったのだった。

特集1
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竹芝桟橋を離れ「さらば東京!」
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内地へ向かうドック便を見送る
●いちおう都内です
 
  まずは小笠原についてレクチャーしておこう。東京から南へ1000km。だいたい東京-サイパン間の中間地点にある大小30の島々が小笠原諸島である。日本列島のようにプレート移動で大陸から分離したのではなく、火山活動によって太平洋の中にボコンと生まれた島なので、生態系は非常にユニーク。タコノキやビロウが鬱蒼と茂る南洋のジャングルに、唯一の哺乳類であるオオコウモリが飛ぶ、といった豊かな自然環境が評価され、2011年にはユネスコ認定の世界自然遺産となった。
 
  空港はないのでアクセスは船のみ。週に1回、東京港の竹芝桟橋を出発する「おがさわら丸」に乗り、24時間後、父島の二見港へ――これが唯一の訪問手段である。なお小笠原諸島で人が住んでいるのは父島と母島だけで、人口は合わせて2600人ほど。父島から280km南にある太平洋戦争の激戦地・硫黄島には、自衛隊の基地はあるけれど住人はいない。行政区分としては、諸島すべてが東京都小笠原村に属している。たまにニュースで名前が出てくる火山活動で拡大中の孤島、西ノ島も小笠原村の土地。つまり都内である。
 
  編集長が目を付けた「ドック期間」とは、横浜の造船所で「おがさわら丸」が年に一度のメンテナンスに入る約1カ月間のこと。代わりとなる船はないから、この間に本土から小笠原に渡る手段はなし。同時に小笠原から出ていく方法もなくなる。もし命に係わる病気やケガの場合は、海上自衛隊が硫黄島経由で内地の病院に搬送してくれるらしいが、当然かなりの時間がかかるわけで、そんな事態は想像もしたくない。つまり、内地で家族が事故に遭おうが実家の親が危篤になろうが帰る手段はなく、こちらの身に何か起きても同じことが言えるのだ。
 
  太平洋の真ん中で、外界と途絶する1カ月――。エクセレント、アメイジング、ブリリアント……といった誉め言葉をどれだけ並べても足りない完璧無比の離島旅である。
 
  船会社が手配してくれたのは、おがさわら丸の往復チケットと素泊まりの宿(自炊可)、到着した翌日の父島レクチャーツアーのみ。トランクに着替えや食糧、本などを詰め込み、仕事道具を入れたバックパックを担いで大阪を後にした。
 
  ●1000km24時間の航海
 
  1月14日火曜日の10時すぎ、竹芝桟橋の旅客ターミナルは想像以上に賑わっていた。岸壁ではおがさわら丸がコンテナの積み込みを進めている。11時出港のこの船が、小笠原に渡るドック入り前のラスト便なのだ。こんなタイミングでわざわざ小笠原を訪れる観光客はいないから、待合所にいるのは、ほとんどが正月を内地で過ごした島民やインフラ関係の仕事で小笠原を訪れる人々。島民といっても多くが移住者で、親兄弟や友人が関東にいるケースが多い。乗客の女性は、船に乗り込んでからもデッキに出て、仕事を抜けて見送りに来た友人に手を振りながらスマホで話し込んでいた。都市生活ではなかなかお目にかかれない別れの風景だ。
 
  熱烈な見送りを受けつつ、おがさわら丸は11時を少し遅れて出港した。一夜を過ごす船室はもっとも安い二等和室で、いわゆる雑魚寝だが、今回は乗船率が半分程度なので両隣に人はいない。部屋を出たところにはトイレに無料のシャワー、給湯器もあるし、シーツのたぐいも清潔で快適そのものである。24時間の船旅に備えて、和室で荷物を整理していると、船はもう東京湾を抜け出していた。
 
  2016年7月就航の三代目「おがさわら丸」をひとことで説明するなら「ハイスペックな船」だろう。まず、とにかく速い。1000kmを24時間でつなぐわけだから平均時速は40km/h以上。しかも船体の安定性が強く、台風以外ではほぼ欠航しない。さらに、横揺れを防ぐスタビライザーのおかげで船酔いもない……と言いたいところだけれど、残念ながらする人はする。編集長は往復とも平気だったが、海のうねりが強そうな日には、あらかじめ東京で酔い止め薬を買っておくべきだろう。船内で酔い止めは売っていないので、余った薬は顔色の悪い人にあげれば「地獄に仏」とばかりに喜ばれる。
 
  話を船室に戻そう。雑魚寝の和室がイヤならグレードアップして個室にすることもできるが、よほど気難しい人でなければその必要はないと思う。というのも自由に出入りできるラウンジや談話スペースが船内各所にあるからだ。とくに7階のラウンジはリゾート風の豪華な内装で、飲食物の持ち込みも自由。ここでコーヒーやビールでも飲みつつたまにデッキに出てみたり、太平洋に沈む夕日を眺めたりしていると、2、3時間くらいすぐに経ってしまう。なお、航路上ではインターネットはほぼつながらないので、本を持っていこう。
 
  ●ドック期間の対策とは?
 
  食事時には船内レストランがオープンする。が、なかなかいい値段がするので、乗り慣れた人は持ち込んだ弁当や船内で買えるカップ麺、冷凍パスタなんかを食べている。カップヌードルやビールなどの自販機に、給湯器、レンジも24時間使えるので、レトルトカレーとパックご飯を温めて晩酌したりもできる。要するにレストランに行かなくても食べ物やお酒にはまったく不自由しないのだ。
 
  と船内を見学している間に、レストランで、父島在住ガイドのおばちゃんが小笠原の見どころを語るレクチャーが始まった。山や海のレジャー情報も気になるが、まずは一番聞いておきたい疑問をぶつけてみる。
 
  「あの、ドック期間中の島ってどんな感じですか?」
  「うーん、例えるならお正月かな。年末年始のかきいれ時が終わって、島の人は、やっとゆっくりできるね~、って感じ。観光客も来ないし物も入らないから、みんな休暇を取って内地に行ったり家の片付けをしたりする、のんびりした時期ですよ」
  「なるほど、だからガイドさんも営業してないところが多いんですね」
  「え、あなたドック期間中ずっと島にいるの?」
  「そうなんです。心配しているのは船が入ってこない間の食生活でして……。生鮮食品とか、何か買っておいた方がいいものってありますか?」
  「買えるだけ買っておきなさい! この船が接岸したら野菜や果物がすぐ運び出されるから、品物が並び始めるくらいにお店に行くのよ!」
 
  鬼気迫る表情がすべてを物語っている。そう言われてもこちらはまだ、宿にある冷蔵庫のサイズすらわからないのだけれど。ただそれでも、父島についたらすぐに行動しなければならないことだけはよくわかった。とにかく初手が大事である。宿に着いて「ふー、やれやれ」と昼寝でもしてしまったら、「詰み」なのだ!
 
  ●食料争奪戦!
 
  その夜はカップ麺を食べ、シャワーを浴びて就寝。6時の船内放送で目覚めて左舷(東向き)のデッキに出たものの、雲に阻まれて朝日は見えなかった。しかし、全身に吹き付ける風は内地とはまるで違って生暖かく、内地の寒さでこわばっていた体がほぐれていくのがわかる。
 
  運が良ければクジラやイルカが見えるというからずっとデッキに出ていると、ついに小笠原諸島が見えてきた。手前(北側)から弟島、兄島、その向こうにうっすらシルエットを現しているのが父島だ。地形はどの島も険しく「取り付く島もない」という言葉の見本のようだ。30以上も島があるのに父島と母島以外は無人島というのも納得である。
 
  父島はちょうどアルファベットの「a」のような形をしている。おがさわら丸は父島の西側を進み、かぎ状に伸びた北側の山を回り込んで二見湾に入った。と、太平洋のうねりはすっかり影を潜め、瀬戸内を思わせる穏やかな海となる。港に近づくにつれ海は、群青色からやや緑がかった鮮やかな色に変わっていく。小笠原はかつて無人(ブニン)島と呼ばれていたことから、この特徴的な色は「ボニンブルー」と呼ばれる。
 
  おがさわら丸は定刻通り11時に父島・二見港に到着。天気はあいにく雨模様だ。ただし、こちらの雨はスコールのようなものですぐに上がるという。「天気予報は当たらないから、住民に聞いて」と、いろんな人に言われた。宿で荷物を降ろして、外に出てみると、まず暑い。Tシャツ一枚で通りに出ると、今度は紫外線がきつい。冬でも日焼け止めが要る、とのガイドブックの記述は本当だった。
 
  とりあえず「買えるだけ買っておきなさい」のアドバイスに従って買い物に出かける。幸いにして宿の冷蔵庫は大きかったが、こちらは単身なので消費プランも大事だ。まずキャベツと長ネギ、あとはブロッコリーがあれば……と考えながら、最寄り(といっても食品を扱う店は2、3件しかないのだが)のスーパーに行くと、すでに人が殺到してとんでもないことになっていた。港から運ばれた段ボールがそのまま軒先に並べられると、四方から手が伸びてきてすぐ空っぽになる。菜っ葉やトマトなどの日持ちしない野菜はもちろん、牛乳やヨーグルトなんかも早い者勝ちだ。ちなみに輸送コストがかかるぶん価格は高く、たとえば納豆は150円以上もする。それでも住人は家族総動員で、値段も見ずに食品をカゴに放り込み、次から次へとレジに運んでいく。
 
  「こ、これは消費できるかとか言ってる場合じゃねぇぞ!」
 
  集団心理なのか、最小限のものを買うつもりだったのに、いつの間にか争奪戦に参加していた。
 
  その結果、冷蔵庫は野菜でいっぱいに。内地から持ってきたパスタ2キロに加え、無洗米2キロと卵も買えたから、これで最低でも2週間は充実の食生活ができるだろう。パソコンで仕事がしやすいように部屋の家具やテレビの配置を変えたら、島初日のミッションは完了だ。
 
  内地を離れるときは不安だらけだった心は、気付けば新生活への期待でいっぱいになっていた。
 
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食料を買い貯めする島民たち
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父島で最大のスーパー、生協