今回の月刊まいど屋は「GoToトラベル」特集。えっ、作業着ショップが旅行ネタなんて意味わかんないって? その通り、編集部にもよくわからない! だが、今はまさに国を挙げてコロナで大打撃を受けた観光業を復興させようとしている最中であり、その予算総額はなんと1.7兆円。つまり、史上最大・空前絶後の"観光イケイケドンドン祭"が、目の前で行われているのだ。この状況を指をくわえて見過ごすか? いや、同じアホなら踊らにゃ損々。 乗るしかない、このビッグウェーブに! そんなわけで『月刊まいど屋』もGoToを使って旅に出ることにした。とはいいつつ、このご時世に遠くの農村や離島に行くのはさすがにNG。できれば近場で、しかもあまりあちこちに足を向けない「滞在型」の旅行プランを作らねばならない。しかし京都や奈良ではさすがに食指が動かない(関西人なので)。太平洋側はしょっちゅう行ってるし、日本海側の天橋立とか城崎とか? でもあんまり非日常って感じがしないなぁ……。と、日本地図を眺めているうちに、ある場所に目を惹かれた。岐阜県の飛騨高山だ。そういえば名古屋はよく行くけれど、こっち方面にはまだ行ったことがない。わりとあちこち足を運んでいるのに、こんな近くに未訪問エリアがあるなんて意外だ。念のため編集スタッフに「高山って知ってる?」と聞いてみると「名前くらいしか」とのこと。じゃあ、行ってみよう。GoTo飛騨高山!
飛騨高山
「倭乃里」のロビーには囲炉裏が
栗のイガはそうめんを揚げたもの
●山奥の洗練
飛騨高山エリアの中心地は高山市。本州のド真ん中というべき岐阜県のやや北寄りにある。市町村としては全国一の面積で、東京都とほぼ同じ広さという。こう言われてもいまいちピンとこないのは山のせいだろう。高山市の9割は森林で、「日本の屋根」と呼ばれる山々の西側にくっついた高山盆地が唯一の街である。
名古屋駅を発車した高山本線の特急「ひだ」は、山の間を縫うように北上していった。温泉で有名な下呂を通り過ぎると緑はさらに深くなり「マジかよ」と口をつきそうになる。こんな太平洋からも日本海からも隔絶された山奥に街があるなんて、はっきり言って信じがたい。
ところが、到着してみると高山の街は「洗練」を絵に描いたような観光都市だった。2016年に完成した新駅舎はモダンで、こちらが田舎から出てきたような気すらしてくる。駅前通りの土産物屋の店構えも端正で、とてもフォトジェニックだ。少し歩いて古い町並みのエリアに出れば、時代劇のセットみたいなピカピカの町屋がずらっと並んでいる。もちろん目障りな注意書きやポスターもなければ、ゴミひとつ落ちていない。その中に瀟洒な小料理屋や蕎麦屋があって、どの店にも入ってみたくて目移りするほど。うおお、なんだこれ、これが岐阜県なのか。高山がこんなところだなんて、なんで今まで誰も教えてくれなかったんだよぉ……。
高山がこれほど都会的であるのには、歴史的な背景がある。古代から集落があり、戦国時代には金森氏のもとで城下町として栄えた。と、ここまではよくある地方都市の歴史だが、1692年に幕府の直轄地となったことでこの街の運命が変わった。幕府は高山の街に出先機関「陣屋」を建て、役人を派遣して直接統治。幕府としては、この土地の良質な森林資源を押さえておきたかっただけなのだが、江戸とのヒト・モノ・カネの往来が街のさらなる繁栄につながった。江戸の産業や町人文化が流入したことで、結果的に"山奥にある京都"のような街になった、というわけだ。
「お客さん、どちらから?」
街を歩き回っていると地元ガイドらしき人が話しかけてきた。さっそく高山の現状について聞いてみる。
「いやー、外国人が来なくなったからね。もうぜんぜん違いますよ。コロナの前は、観光客の半分から7割くらい外国人だったんじゃない? 緊急事態宣言が明けてからは少しずつ国内のお客さんが来てくれるようになってきたけれど、高山の街に活気が戻るのはまだまだかな。秋祭りも毎年すごい人が来るんだけど、今年はなくなっちゃったし……」
そうは言っても、通りのあちこちでは若者グループやカップルが写真を撮ったり食べ歩きをしたりしていて、けっこう賑わっている。会話を聞いていると名古屋や岐阜からの行楽客が多いようだ。ちなみに高山市民は街でショッピングするときは岐阜ではなく富山に行くという。理由は富山の方が近いから。言われてみればお店の人も街で出会う市民も、北陸人らしいおっとりとした雰囲気がある。
●高山から「隠れ里」へ
と、街を歩き回っているうちにお迎えの時間となった。今夜の宿は、高山の街からクルマで20分ほど離れた場所にある「倭乃里(わのさと)」。海外に行けない今こそ、これ以上ないほど日本的な宿に泊まってみたいと思って探した。コンセプトは「飛騨の隠れ里」で、1万5000坪の敷地に客室の数がわずか8。こう言われても想像もつかないが、要は田舎でゆったりとした時間を持ちたい、という人間にもってこいの宿らしい。人気の少ない高山駅西口で送迎車に乗る。番頭さんの語りに乗って、クルマはどんどん田舎道に入っていく。
「何もないところですけど、ゆったり過ごされるにはいいですよ。客室の少ない宿は一人客を受け入れないケースが多いのですが、うちはおひとりさまでも大歓迎。コロナの前は海外からのインバウンドが多かったんですけど、毎年、東京からお越しになるお客さんもいたりして、皆様のんびり過ごされます。関東からだと北陸新幹線でまず富山に行って、観光してから高山に来てもいいですしね。たまに芸能人の方もお忍びでいらっしゃいますよ」
なるほど、2015年に北陸新幹線の長野-金沢間が開業したおかげで、東京-高山のアクセスも飛躍的によくなっているのだ。そういえば2、3年前に富山に行ったときも、富山駅周辺は東京からの観光客だらけだった。関西から富山に向かう場合、金沢までは在来線に乗るしかないのに対して、東京からは新幹線「かがやき」で2時間。この差は大きい。北陸そして飛騨高山はもはや関東圏のリゾートと言っても過言ではないのだ。それにしても、家族連れや若者に人気の長野や富山を通り過ぎて、山里の宿に泊まりに来るなんて、粋な遊びではないか。
田園が広がるゆるやかな山裾をのぼって、ついに宿に着いた。渓流のそばに湧き出す源泉を引き込むため、築160年の古民家を移築したというその佇まいは贅を凝らしていながら素朴。田舎風ではあるが、地方ではなかなかお目にかかれない数奇者の建築だ。
フロント横の囲炉裏端でチェックイン。通された部屋の奥側は壁いっぱいのガラス張りで、深緑の間を走る渓流の心地よい景観に加えて、水が流れて岩にぶつかる音やしぶきまでも聞こえてくる。まるで動く水墨画だ。
さっそく温泉で汗を流す。男湯の岩風呂は、洞窟を思わせるワイルドな趣。湯船を囲む岩は、尻が置かれるのを拒絶するかのような無骨な角度で、それがまた良い。オーバーハングした岩の下で湯に浸かり、窓越しの川の流れを見ていると、自然そのものに抱かれているようだ。一方、水風呂は人間が耐えられる限界レベルに冷えていて、足を入れるだけで雑念が飛ばされる。風流だとか幽玄だとか、余計なことを考えずただ味わえ! という声が聞こえてきそうなプリミティブな温泉である。
「はぁ~、こんな世界があるとは……」と、アゴまで浸かりながらひとりごちる。そっかー、お金ってこういうのに使うのがいちばんいいんだなぁ、もっと早く知りたかったけど、死ぬ前に気が付いてよかった……。
自分でも何を言っているかわからないが、とにかくそういう感じなのだ。
●古民家のおもてなし
夕食の時間となった。部屋と温泉ですっかり心が満たされてしまったので、「もう?」という気分だ。献立に目を移すと、想像もおよばない料理名が並んでいる。それでも、後半には名物の飛騨牛(最高ランク)が出てくるのを見て、胸ならぬ胃が高鳴る。
と、赤い作務衣に前掛け姿の中居さんが登場し、料理の説明をしてくれた。旅館といえば和服が定番だが、こういうのもいい。いや、ここは街の料亭なんかじゃなくて飛騨の山奥なんだから、このほうがいい。「心を尽くした田舎のおもてなし」という宿のコンセプトと調和している。日没とともにライトアップされた渓流を眺めながら、食事の世話をしてもらっていると、峠を越えて人里にたどり着いた江戸時代の旅人のような気分になる。これほどの贅沢は、大名でもできなかっただろうけれど。
先付の白和えに続いて登場した前菜は、なんと栗がメインだった。普段、栗をおかずにすることもなければ、しようと思ったこともなく、ましてや栗で呑もうなんて考えたこともない。だが、これがよくできている。イガに見える部分はそうめんを揚げて作ったもので、ややしょっぱい。脇を固める焼き銀杏やホタルイカの沖漬けも塩味だから、栗の甘さが引き立つのだ。お菓子のような直線的な甘さではなく、口の中に広がるふくよかな滋味というべきか。ああ、栗ってこういう味だったのか。いつの間にか、モンブランや栗きんとんが栗の味だと勘違いしてしまっていた。塩辛と栗とビール。こんな山奥で悪魔的なマリアージュと出逢ってしまったぞ……。
前菜の栗に続き、土瓶蒸しをはさんで登場したのはキジハタの薄造りである。山なのに海の幸? と思うなかれ、高山は富山から車で2時間だから「天然のいけす」と呼ばれる富山湾の恵みもたっぷり味わえるのである。で、これを自分ですりおろした生わさびでいただく。おろし板は本物の鮫皮を使用した一流品。こうして山と海の幸が合流したわけだ、とエラそうに講釈しているけれど、編集長も中部地方の料理というのは川魚やイナゴばかりかだと思っていた(スイマセン!)。キジハタの身は淡白な旨味でのど越しよく、皮ぎしのゼラチン質の感触は赤ちゃんの唇のようだ。
そろそろ飛騨牛か、と思ったら出てきたのは冬瓜だった。冬瓜を皮ごと炊いてあんかけにした「姿煮」。朴訥でありながら面妖さも兼ね備えた圧巻のルックスだ。「そのまますくってどうぞ」とスプーンを差し出す仲居さんからも、「どうこれ、スゴイでしょ?」といった空気を感じる。間髪入れずスプーンを差し込むと、ほとんど抵抗もなく底に届いた。口に運ぶ。次は皮から0.5センチくらいの固そうなところに匙を入れてみる――。と、スプーンはまたしてもズブリと吸い込まれた。嘘だろ、冬瓜ってこんなふうになるもんなの? いや、なってるんだからなるんだよ。産地がどうとか煮込み時間がどうとか、仲居さんに聞いてみようかと思ったがやめた。最高の冬瓜を全身全霊で味わう。それで充分ではないか。
●囲炉裏端の夜は更けて
そして、いよいよ飛騨牛である。陶板の上でじっくり焼いてレアでいただく。味付けはさっきすりおろしたワサビと塩。霜降りの肉はやはりおいしい。ただ、さっきまでの緻密に構成された料理の喜びを覚えてしまうと……。夢にまで見た最高ランクの和牛なんだから、もっと喜べよ、と頭の中で声がするが、本能は「もっとこう、未だかつて口にしたことのないような複雑な美味を」と可愛げのないことを言う。と、仲居さんが予定にない焼き魚を持ってきてくれた。泳いでいるときのような波打った姿で、アユが頭から串にささっている。
「ロビーの囲炉裏で焼いたものです。90分以上かけて遠火でじっくり焼いたので、脂が落ちてさっぱりしています。水分が飛んでいますから頭や骨もまるごとお召し上がりになっても大丈夫ですよ」
脂が落ちておいしい? 水分がない? こういった疑問に対する答は、この魚が持っているのだろう。頭からかぶりついてみると「なるほど」のひとことだった。身はほくほくとして、骨も頭はパリパリとした子気味よい食感。よく観光地で売っているアユの塩焼きとは別物だ。あちらは内臓や皮下脂肪がジューシーで好きなのだが、こちらは干物のように旨味が凝縮されていて、より複雑な味わい。こういう生き物まるごとの料理は捕食動物のようにガツガツと胃に収めるべきだろう。そのまま尻尾まで完食すると、仲居さんが「すごい……」と言った。なぜかうれしい。
“美味しいもの欲”が完全に満たされたタイミングで、「むかご飯」が出てくる。むかごとは、小指の先くらいの芋のようなもの。食感はジャガイモみたいなのだが、銀杏やユリ根のような風味もあって不思議な感覚だ。世の中にはまだまだ知らない食材がある。そして人間はそんな未知のものほどおいしく感じるらしい。
「むかごは初めてですか? 山芋の葉の付け根にいっぱいつくもので、芽の一種ですね。こっちのほうでは、お店で出てくるだけじゃなくて家でも食べたりしますよ」
むかごを堪能し「もうとうぶん美味いものは要らないなぁ……」と余韻に浸っていたら、デザートの「とうもろこしシャーベット」が運ばれてきた。甘いものはお腹がちょっと厳しい、と思いつつスプーンを口に運ぶと、またしても予想を覆される。見た目に反して味は「焼きトウモロコシ」なのだ。ゼリー状のトッピングは醤油を固めたもの。つまり、夏祭りの夜店でかぶりつく「あの味」の冷製だ。やられた。甘いシャーベットと思わせてから完全に意表を突く陽動作戦、精緻にして無比なカウンターパンチである。
食事を終えてロビーに行くと、元支配人のお爺さんが囲炉裏でお酒をふるまってくれた。灰に突き立てた竹の中で温めた「ポッポ酒」だ。薪を動かしながら訥々と話すのは、生まれ育った家の話、子供時代の食べ物の話、そして高山の街での青春……。囲炉裏端の声は、ほろ酔いの吐息とうっすら昇る煙に乗って、山の夜に溶けていった。
飛騨高山エリアの中心地は高山市。本州のド真ん中というべき岐阜県のやや北寄りにある。市町村としては全国一の面積で、東京都とほぼ同じ広さという。こう言われてもいまいちピンとこないのは山のせいだろう。高山市の9割は森林で、「日本の屋根」と呼ばれる山々の西側にくっついた高山盆地が唯一の街である。
名古屋駅を発車した高山本線の特急「ひだ」は、山の間を縫うように北上していった。温泉で有名な下呂を通り過ぎると緑はさらに深くなり「マジかよ」と口をつきそうになる。こんな太平洋からも日本海からも隔絶された山奥に街があるなんて、はっきり言って信じがたい。
ところが、到着してみると高山の街は「洗練」を絵に描いたような観光都市だった。2016年に完成した新駅舎はモダンで、こちらが田舎から出てきたような気すらしてくる。駅前通りの土産物屋の店構えも端正で、とてもフォトジェニックだ。少し歩いて古い町並みのエリアに出れば、時代劇のセットみたいなピカピカの町屋がずらっと並んでいる。もちろん目障りな注意書きやポスターもなければ、ゴミひとつ落ちていない。その中に瀟洒な小料理屋や蕎麦屋があって、どの店にも入ってみたくて目移りするほど。うおお、なんだこれ、これが岐阜県なのか。高山がこんなところだなんて、なんで今まで誰も教えてくれなかったんだよぉ……。
高山がこれほど都会的であるのには、歴史的な背景がある。古代から集落があり、戦国時代には金森氏のもとで城下町として栄えた。と、ここまではよくある地方都市の歴史だが、1692年に幕府の直轄地となったことでこの街の運命が変わった。幕府は高山の街に出先機関「陣屋」を建て、役人を派遣して直接統治。幕府としては、この土地の良質な森林資源を押さえておきたかっただけなのだが、江戸とのヒト・モノ・カネの往来が街のさらなる繁栄につながった。江戸の産業や町人文化が流入したことで、結果的に"山奥にある京都"のような街になった、というわけだ。
「お客さん、どちらから?」
街を歩き回っていると地元ガイドらしき人が話しかけてきた。さっそく高山の現状について聞いてみる。
「いやー、外国人が来なくなったからね。もうぜんぜん違いますよ。コロナの前は、観光客の半分から7割くらい外国人だったんじゃない? 緊急事態宣言が明けてからは少しずつ国内のお客さんが来てくれるようになってきたけれど、高山の街に活気が戻るのはまだまだかな。秋祭りも毎年すごい人が来るんだけど、今年はなくなっちゃったし……」
そうは言っても、通りのあちこちでは若者グループやカップルが写真を撮ったり食べ歩きをしたりしていて、けっこう賑わっている。会話を聞いていると名古屋や岐阜からの行楽客が多いようだ。ちなみに高山市民は街でショッピングするときは岐阜ではなく富山に行くという。理由は富山の方が近いから。言われてみればお店の人も街で出会う市民も、北陸人らしいおっとりとした雰囲気がある。
●高山から「隠れ里」へ
と、街を歩き回っているうちにお迎えの時間となった。今夜の宿は、高山の街からクルマで20分ほど離れた場所にある「倭乃里(わのさと)」。海外に行けない今こそ、これ以上ないほど日本的な宿に泊まってみたいと思って探した。コンセプトは「飛騨の隠れ里」で、1万5000坪の敷地に客室の数がわずか8。こう言われても想像もつかないが、要は田舎でゆったりとした時間を持ちたい、という人間にもってこいの宿らしい。人気の少ない高山駅西口で送迎車に乗る。番頭さんの語りに乗って、クルマはどんどん田舎道に入っていく。
「何もないところですけど、ゆったり過ごされるにはいいですよ。客室の少ない宿は一人客を受け入れないケースが多いのですが、うちはおひとりさまでも大歓迎。コロナの前は海外からのインバウンドが多かったんですけど、毎年、東京からお越しになるお客さんもいたりして、皆様のんびり過ごされます。関東からだと北陸新幹線でまず富山に行って、観光してから高山に来てもいいですしね。たまに芸能人の方もお忍びでいらっしゃいますよ」
なるほど、2015年に北陸新幹線の長野-金沢間が開業したおかげで、東京-高山のアクセスも飛躍的によくなっているのだ。そういえば2、3年前に富山に行ったときも、富山駅周辺は東京からの観光客だらけだった。関西から富山に向かう場合、金沢までは在来線に乗るしかないのに対して、東京からは新幹線「かがやき」で2時間。この差は大きい。北陸そして飛騨高山はもはや関東圏のリゾートと言っても過言ではないのだ。それにしても、家族連れや若者に人気の長野や富山を通り過ぎて、山里の宿に泊まりに来るなんて、粋な遊びではないか。
田園が広がるゆるやかな山裾をのぼって、ついに宿に着いた。渓流のそばに湧き出す源泉を引き込むため、築160年の古民家を移築したというその佇まいは贅を凝らしていながら素朴。田舎風ではあるが、地方ではなかなかお目にかかれない数奇者の建築だ。
フロント横の囲炉裏端でチェックイン。通された部屋の奥側は壁いっぱいのガラス張りで、深緑の間を走る渓流の心地よい景観に加えて、水が流れて岩にぶつかる音やしぶきまでも聞こえてくる。まるで動く水墨画だ。
さっそく温泉で汗を流す。男湯の岩風呂は、洞窟を思わせるワイルドな趣。湯船を囲む岩は、尻が置かれるのを拒絶するかのような無骨な角度で、それがまた良い。オーバーハングした岩の下で湯に浸かり、窓越しの川の流れを見ていると、自然そのものに抱かれているようだ。一方、水風呂は人間が耐えられる限界レベルに冷えていて、足を入れるだけで雑念が飛ばされる。風流だとか幽玄だとか、余計なことを考えずただ味わえ! という声が聞こえてきそうなプリミティブな温泉である。
「はぁ~、こんな世界があるとは……」と、アゴまで浸かりながらひとりごちる。そっかー、お金ってこういうのに使うのがいちばんいいんだなぁ、もっと早く知りたかったけど、死ぬ前に気が付いてよかった……。
自分でも何を言っているかわからないが、とにかくそういう感じなのだ。
●古民家のおもてなし
夕食の時間となった。部屋と温泉ですっかり心が満たされてしまったので、「もう?」という気分だ。献立に目を移すと、想像もおよばない料理名が並んでいる。それでも、後半には名物の飛騨牛(最高ランク)が出てくるのを見て、胸ならぬ胃が高鳴る。
と、赤い作務衣に前掛け姿の中居さんが登場し、料理の説明をしてくれた。旅館といえば和服が定番だが、こういうのもいい。いや、ここは街の料亭なんかじゃなくて飛騨の山奥なんだから、このほうがいい。「心を尽くした田舎のおもてなし」という宿のコンセプトと調和している。日没とともにライトアップされた渓流を眺めながら、食事の世話をしてもらっていると、峠を越えて人里にたどり着いた江戸時代の旅人のような気分になる。これほどの贅沢は、大名でもできなかっただろうけれど。
先付の白和えに続いて登場した前菜は、なんと栗がメインだった。普段、栗をおかずにすることもなければ、しようと思ったこともなく、ましてや栗で呑もうなんて考えたこともない。だが、これがよくできている。イガに見える部分はそうめんを揚げて作ったもので、ややしょっぱい。脇を固める焼き銀杏やホタルイカの沖漬けも塩味だから、栗の甘さが引き立つのだ。お菓子のような直線的な甘さではなく、口の中に広がるふくよかな滋味というべきか。ああ、栗ってこういう味だったのか。いつの間にか、モンブランや栗きんとんが栗の味だと勘違いしてしまっていた。塩辛と栗とビール。こんな山奥で悪魔的なマリアージュと出逢ってしまったぞ……。
前菜の栗に続き、土瓶蒸しをはさんで登場したのはキジハタの薄造りである。山なのに海の幸? と思うなかれ、高山は富山から車で2時間だから「天然のいけす」と呼ばれる富山湾の恵みもたっぷり味わえるのである。で、これを自分ですりおろした生わさびでいただく。おろし板は本物の鮫皮を使用した一流品。こうして山と海の幸が合流したわけだ、とエラそうに講釈しているけれど、編集長も中部地方の料理というのは川魚やイナゴばかりかだと思っていた(スイマセン!)。キジハタの身は淡白な旨味でのど越しよく、皮ぎしのゼラチン質の感触は赤ちゃんの唇のようだ。
そろそろ飛騨牛か、と思ったら出てきたのは冬瓜だった。冬瓜を皮ごと炊いてあんかけにした「姿煮」。朴訥でありながら面妖さも兼ね備えた圧巻のルックスだ。「そのまますくってどうぞ」とスプーンを差し出す仲居さんからも、「どうこれ、スゴイでしょ?」といった空気を感じる。間髪入れずスプーンを差し込むと、ほとんど抵抗もなく底に届いた。口に運ぶ。次は皮から0.5センチくらいの固そうなところに匙を入れてみる――。と、スプーンはまたしてもズブリと吸い込まれた。嘘だろ、冬瓜ってこんなふうになるもんなの? いや、なってるんだからなるんだよ。産地がどうとか煮込み時間がどうとか、仲居さんに聞いてみようかと思ったがやめた。最高の冬瓜を全身全霊で味わう。それで充分ではないか。
●囲炉裏端の夜は更けて
そして、いよいよ飛騨牛である。陶板の上でじっくり焼いてレアでいただく。味付けはさっきすりおろしたワサビと塩。霜降りの肉はやはりおいしい。ただ、さっきまでの緻密に構成された料理の喜びを覚えてしまうと……。夢にまで見た最高ランクの和牛なんだから、もっと喜べよ、と頭の中で声がするが、本能は「もっとこう、未だかつて口にしたことのないような複雑な美味を」と可愛げのないことを言う。と、仲居さんが予定にない焼き魚を持ってきてくれた。泳いでいるときのような波打った姿で、アユが頭から串にささっている。
「ロビーの囲炉裏で焼いたものです。90分以上かけて遠火でじっくり焼いたので、脂が落ちてさっぱりしています。水分が飛んでいますから頭や骨もまるごとお召し上がりになっても大丈夫ですよ」
脂が落ちておいしい? 水分がない? こういった疑問に対する答は、この魚が持っているのだろう。頭からかぶりついてみると「なるほど」のひとことだった。身はほくほくとして、骨も頭はパリパリとした子気味よい食感。よく観光地で売っているアユの塩焼きとは別物だ。あちらは内臓や皮下脂肪がジューシーで好きなのだが、こちらは干物のように旨味が凝縮されていて、より複雑な味わい。こういう生き物まるごとの料理は捕食動物のようにガツガツと胃に収めるべきだろう。そのまま尻尾まで完食すると、仲居さんが「すごい……」と言った。なぜかうれしい。
“美味しいもの欲”が完全に満たされたタイミングで、「むかご飯」が出てくる。むかごとは、小指の先くらいの芋のようなもの。食感はジャガイモみたいなのだが、銀杏やユリ根のような風味もあって不思議な感覚だ。世の中にはまだまだ知らない食材がある。そして人間はそんな未知のものほどおいしく感じるらしい。
「むかごは初めてですか? 山芋の葉の付け根にいっぱいつくもので、芽の一種ですね。こっちのほうでは、お店で出てくるだけじゃなくて家でも食べたりしますよ」
むかごを堪能し「もうとうぶん美味いものは要らないなぁ……」と余韻に浸っていたら、デザートの「とうもろこしシャーベット」が運ばれてきた。甘いものはお腹がちょっと厳しい、と思いつつスプーンを口に運ぶと、またしても予想を覆される。見た目に反して味は「焼きトウモロコシ」なのだ。ゼリー状のトッピングは醤油を固めたもの。つまり、夏祭りの夜店でかぶりつく「あの味」の冷製だ。やられた。甘いシャーベットと思わせてから完全に意表を突く陽動作戦、精緻にして無比なカウンターパンチである。
食事を終えてロビーに行くと、元支配人のお爺さんが囲炉裏でお酒をふるまってくれた。灰に突き立てた竹の中で温めた「ポッポ酒」だ。薪を動かしながら訥々と話すのは、生まれ育った家の話、子供時代の食べ物の話、そして高山の街での青春……。囲炉裏端の声は、ほろ酔いの吐息とうっすら昇る煙に乗って、山の夜に溶けていった。
囲炉裏で90分以上かけて焼いた鮎
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景観に加えて川の水音も心地よい
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