【アシックス】勃発、BOA事変image_maidoya3
天下のアシックスである。現場では右を見ても左を見ても例のストライプ。ショップに行けば陳列棚の遠くからでも独特のビビッドな色使いが目に飛び込んでくる。言うまでもなくアシックスはスポーツシューズのブランドだ。しかし毎日、現場を駆けまわるワーカーならランナーやフットサル好きの何百倍もの重みを持って言えるだろう、「アシックスといえば安全靴!」と。――このようにワーキング界の頂点を極めたアシックスだが、商品開発や販売での前のめりな姿勢はまだまだ緩む気配がない。スポーツシューズで高めたブランド価値を安全スニーカーへ持ち込み、更なる高みへ。そんな同社のムードのせいだろうか、今回もまいど屋の取材は承諾を得られなかった。アシックス特集は今回も実現不可能か、せっかく乗りに乗ってるのに……と諦めかけたとき、ひとりの人物が編集部に現れた。「アシックスのこと知りたいんだって? いいよ、ついてきなよ」。招き入れられるまま彼のオフィスに足を踏み入れると、そこには最新の「ウィンジョブ」がギッシリと揃っていた。

アシックス
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BOA搭載のCP304(手前)とCP209
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ダイヤルはカバーされている
●新作は「ワイヤー方式」
 
  「まあ、なにはさておきコレかな。最近のアシックスと言えばこの2モデルだよね……」
 
  取材に応じてくれることになった情報通のY氏は、あいさつもそこそこにアシックスの安全靴「ウィンジョブ」を箱から取り出した。カクテルを客にサーブするバーテンダーのごとく恭しくテーブルに並べたのは、2019年の春に発売したハイカットモデル「CP304」とローカットの「CP209」である。
 
  堅牢なアッパー素材に、ハイテク素材を使ったソール、それらを統合する洗練されたデザイン……。見る者を圧倒するクオリティの高さである。ただ、そういったことは前から知っているので今さら驚きはしない。相変わらず高級感があってカッコいいな、というのが正直なところだ。
 
  「ふふふ、もう見慣れてるって感じ? でも、ここを見ても同じことが言えるかな?」
 
  Y氏は慣れた手つきでアッパー上部のカバーをめくり上げる――と、そこには見覚えのあるダイヤルがあった。靴ひもの代わりにワイヤーを使ったフィッティグシステム「BOA(ボア)」である。ダイヤルを押し込んでから回すとテンションがかかって締まり、ダイヤルを引っ張り上げると一瞬でリリースされる。もともとはスノーボードシューズの締め具として北米で開発されたシステムで、近年はゴルフやサイクリング用シューズをはじめ、スポーツやアウトドアの場面でよく使われるようになった。
 
  「BOA――ですか。あのアシックスが……」
 
  思わず口をついて出た言葉には否定的なニュアンスが表れていたかもしれない。あれだけ靴ひもによるフィッティングに強い自信を持っていたアシックスが、なんで今さらワイヤー方式なんだ。脱ぎ履きに便利だから? いや、トレーニングを始めるときのアスリートのように、毎朝よく手入れされたシューズの靴ひもをキッチリ締めてから現場に向かう、というのがウィンジョブの美学じゃなかったのか。それにBOAは他社のシステムだ。ただでさえ高いのに、さらにハイテク機能を追加して価格をアップさせるなんて……。
 
  当惑を抑えきれないまま視線をY氏に送る。目が合うと同時に、彼はこちらの気持ちを察したかのように頷いた。
 
  「わかる、わかるよ、私も最初はそう思ったんだよ……。でも、これを見てほしい」
 
  ●ランキング独占!
 
  Y氏が取り出した資料は、2019年度のある会社における「ウィンジョブ」売上ランキングだった。
 
  「いちばん上からベスト10くらいまで、ざっと見てごらん」
 
  なにか似たような文字列が続いている……、と疑問を感じながらチェックしてみれば、なんとほとんどが新作のBOAモデル(CP304/CP209)だった。ハイカットとローカット、そのカラーバリエーションだけで1位から6位までを席巻しているのだ。7位はハイカットモデルの「FCP302」。amazonで1274件のレビューが付くウィンジョブの大定番にBOAモデルが完勝していた。絶句、である。
 
  「スゴイでしょ。しかも、このBOAモデルって2019年の2月・3月発売だからね。その他のモデルは1月スタートというハンデがあるにもかかわらずこの結果だよ。さらに付け加えておけば、この2モデルは注文がさばききれず欠品続きらしい。だから実態としてはこのデータをはるかに上回る人気があるんだろうねぇ……」
 
  要するに、BOA搭載の2モデル(CP304/CP209)は、2019年の春に発売するやいなやバカ売れ。今もその人気にはほとんど衰えがないという。このランキングや出荷情報を見聞きする限り、従来の靴ひもやベルクロのモデルを完全に過去のものにしてしまった感すらある。一体なぜこんな結果になったのだろう。一体ウィンジョブに何が起きているのか?
 
  「正直いって、誰もこの結果を予想できなかったねぇ。そう、私のような専門家ですら……」
 
  こう言ってY氏はソファにもたれかかる。そして目を細め、ゆっくり息を吐いてから「事件」の経緯を語り始めた。
 
  「ダイヤル式の安全靴は過去にもあったし、他のメーカーも売ってるんだよ。でも大して売れない。理由はシンプルで『高いから』。BOAフィッティングは海外メーカーの特許技術なので、メーカー的には高コスト。締め具に採用すると他と比べて割高感のある商品になってしまうわけ。そんなわけで、BOAに対するワーク用品の問屋やショップの評価はおしなべて低かった。アシックスがBOAモデルを発売すると発表したときも、ハッキリ言ってほとんど期待する声はなかったよ」
 
  ●もうひとつの「割安感」
 
  「――でも、さすがアシックスというか……」
 
  そこまで言うとY氏は、顔を手で拭いながら苦笑いを浮かべた。ワーキング業界人としての長年の経験に基づく予想があっさり覆されことに、ショックというより一種のカタルシスを感じているようだ。
 
  「いや、やられた。まさかこの価格帯で出してくるとは。ローカットのBOAモデル(CP209)の定価は\11.800で、同型の既存モデルとの差は2000円以内。ヒモやベルクロのハイカットモデルと比べたらほとんど同じ価格でしょう。これは思い切ったプライシングだな、と。これは私の想像だけど、アシックスは、過去に他社のダイヤル式モデルが売れなかった原因をかなり分析したんじゃないかな」
 
  ユーザーが価格以上の満足を感じられるなら商品は売れるし、逆だといくら優れた商品でも売れない。「値付け」の重要性は触れるまでもないが、アシックスはこの「満足感>価格」というテーマを、独自のアプローチで超えて見せたメーカーである。すなわち「価格の割にいい」ではなく「すごく高いけれどその価値はある」という路線だ。それが、ここにきて「割安感」で攻めてくるとは……。
 
  「うん、ちょっと不思議な気がするよね。ただよく考えてみたら、他社のダイヤル式はやっぱりその金額を出させるだけの説得力が欠けていたんだと思う。さっきも言った割高感ってやつだね。ユーザーからすればクッション性や着用感に特別なものがあるわけでもないのに、『締め具がBOAってだけでこんな値段するの?』と。これに対してアシックスの場合、ソールはゲル内蔵で疲れにくいし、全体的に高級感がある。これなら納得してお金が払える、とお客さんは評価したんじゃない? つまり従来からの価格とBOAによるアップ分とのバランスが絶妙だったわけ」
 
  パッと見は高いけれど、よく考えてみれば割安――。ソールやアッパーがハイスペックであることが、従来からの高価格に加えて「BOA導入=価格アップ」で生じる抵抗感までカバーする役割を果たしたのだ。この説が正しいとすれば、ウィンジョブは従来からユーザーにとって「満足感の割にすごく格安」だったことになる。ちょっと恐ろしい話だ。
 
  ●ユーザーは知っていた!
 
  BOAモデルが大ヒットした原因として、Y氏がさらに指摘するのはユーザー像の変化だ。かつて、BOAをはじめとするダイヤル式の締め具は「靴ひもやベルクロのモデルを履いているユーザーに向けて提案する新機軸商品」といった位置づけだった。ところが、今回の2モデルの売れ方には、まるで違った印象を持ったという。
 
  「予約や問い合わせの入り方を見ていると、みんな迷いがないのよ。いくら評価の高いアシックス製品といっても、普通は『新しい締め具ってどうなんだろ?』と思うでしょ。で、なんでなんだろう? と考えていてふと思ったのは『BOA経験者が多いんじゃないか』ということ。スポーツやアウトドアでダイヤル式の靴を使ったことがある人は確実に増えているし、きっとみんな作業靴の締め具をダイヤル式にするメリットも分かってるんだよ。靴ひもを踏んで転倒することがないし、脱ぎ履きも楽だから、内装工事とかさまざまな現場で活用できる。BOAは便利だ、という意識はワーカーの中に確実にあったと思う」
 
  ではなぜ、他社のダイヤル式のモデルは市場であまり動かなかったのに、ウィンジョブは発売と同時に火が付いたように売れたのか。
 
  「BOA経験者が今回だけは迷わず購入を決めた。その最終的な要因は『耐久性』だと思う。すごい勢いで注文が入り始めたとき、過去にBOAモデルを使ったことがある人が口にしていたボヤキを思い出したんだよ。それは『靴が先にダメになっちゃう』という話。つまり、BOAの靴を履いていると、締め具はまだまだ使えるのに靴が傷んでしまって結局捨てざるを得ない、というわけ。これって通常の締め具より高いお金を払った人にとって、かなり理不尽なことなんだよね」
 
  耐久性が高く、特にソールの寿命は安価な作業靴の2倍以上と言われるウィンジョブ。そんな長く履ける安全スニーカーにBOAが搭載されることで、誰もが無意識化で望んでいた「靴と締め具との調和のとれた商品」が出来上がった、との分析だ。
 
  「やっぱりすごいね~、あの会社は。参りましたって感じだよ」
 
  ヒモやベルクロと比べての利便性はよく知られていながら、決して主流になることができなかったワイヤー方式。しかし、今回のウィンジョブの2モデルは、その高い壁を見事に打ち破って見せた。
 
  この事件は、数年後には「安全スニーカーのBOA革命」と呼ばれることになるかもしれない。Y氏の苦笑いは、ひょっとしたらそんな歴史的瞬間の目撃者になれたという充足感ではなかったか――。そんなことを考えながら、編集部はオフィスを後にした。
 
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通気性がウリのCP305AC
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CP305は中敷きにも通気孔が

    

足裏の蒸れよさらば! 最高レベルの通気性「エアサイクルステム」搭載モデル

夏にうれしい高い通気性がウリの「ウィンジョブ」ローカットタイプ。ミッドソールの前足部と中足部の通気孔から外気を取り入れ、蒸れを放出する。ミッドソールから取り入れた空気は溝を通って中敷きの通気孔まで届くため、足裏まで風通しバッチリ。アッパーのサイド部分にはメッシュ素材を使用し、耐久性と通気性を両立させた。JSAA規格(A種)認定品。


跳べる! 走れる! 高ホールドで動きをサポートする"活発系ワーカー"向けモデル

他モデルと比べて、やや細め設計(2E相当)の「ウィンジョブ」ローカットタイプ。ホールド感が高く、激しい動きをしても靴は常にフィットするので作業にしっかり集中できる。ミッドソールにはクッション性と反発性のある素材、かかと部分には衝撃吸収GELを使用することで疲労も軽減。JSAA規格(A種)認定品。