【京都から三重】いきなり鈴鹿峠!image_maidoya3
「東海道」と聞けば、ほとんどの人は「新幹線の話?」「国道1号線でしょ?」と口にするだろう。では「東海道五十三次」はどうか。「永谷園のお茶漬け?」と返ってくるかもしれない。そう、あの浮世絵の題材となったのが東海道沿いにある53の宿場町だ。江戸幕府が「五街道」の中心として整備した東海道は、400年たった今でも同じルートで東京の日本橋と京都の三条大橋とをつないでいる。つまり、令和の世でも“江戸時代の旅”ができるのだ。できるならやるしかない。やらないとできない。というわけで2021年末、編集長は「京都-東京」間の徒歩の旅にチャレンジした。この前編・第一部は、初日から3日目までの記録である。

京都から三重
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京都・三条大橋を元気にスタート
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2日目は雨。お堂がありがたい
●1日目:12月6日(月)@京(京都市)
 
  9時20分、三条大橋をスタート。橋の向こうには楽しい木屋町や先斗町があるのに後ろ髪を引かれる思い。東に向かって500kmを超える長旅の第一歩を踏み出す。はじめは「やっぱり京都は寒い」と思ったものの、盆地脱出の登りが続くのですぐ暑くなる。1時間半ほど歩いたところに天智天皇陵があったので、お参りして旅の安全を祈る。旧道のほとんどは1.5車線で、抜け道になっているのか交通量は多い。曇天だがなんとか天気は持ちそう。しかし旅は長い。どこかで雨や雪に出くわすのは避けられないだろう。
 
  トイレのため立ち寄った山科駅の書店で『ちゃんと歩ける東海道五十三次』(五街道ウォーク・八木牧夫/山と溪谷社)の書籍をゲット。本当は出発前に入手しておきたかったのだが、大阪では売っていなかったのだ。「東海道沿いのどこかの書店で手に入るはず」との読みが当たって気分がいい。ネット上にも旧東海道のマップはあるけれど、やはり紙が一番だ。これでスマホのバッテリーが切れてもちゃんとコースを確認できる。そのまま15分ほど歩いた蕎麦屋「あづまや」でランチ。ざるそば定食。ネットには「魚がおいしい」とばかり書かれているこの店の蕎麦は絶品だった。
 
  京都府から滋賀県に入った。山を緩やかに下っていくと「大津」の街だ。ここなら天気が崩れても大丈夫だからホッとする。あとは琵琶湖の南端をぐるりと回り込んで「草津」を目指すだけ。山と比べると平坦の街歩きはラクで平和ないっぽう、退屈だ。旧街道にあるのは米屋に酒屋・和菓子屋・金物屋・郵便局とかだけで、立ち寄るところがない。コンビニもまったくないので(並行する国道1号線にはいっぱいある)、休憩もできない。
 
  かなり疲れたので、いったん旧街道を離脱して近江大橋のマクドナルドで30分ほど休憩。今日は草津で泊まることにしてビジネスホテルを予約した。店の目の前には、琵琶湖を東西に突っ切る近江大橋がある。この橋を渡ってしまえば草津は目前なのに、旧東海道は住宅街をジグザグに南下していく。そして瀬田唐橋でついに琵琶湖を渡った。近江大橋なら琵琶湖の壮観な眺めがあっただろうと思うが、こちらはたいして景観もなく残念だ。
 
  15時を過ぎ、平坦をのんびり歩いているのに足が痛くなってきた。みるみるペースが落ちる。道もつまらない。車がガンガンくるのにも神経がすり減る。耐えながら歩き続け、ついに街道沿いのコンビニを発見! と思ったら裏口だった。正面は大きな道路に面している。スイートポテトを買って今回の旅ではじめての路上休憩。この時間になると急に冷えてくるので自重堂の電熱ベスト「フィーバーギア」をONにして暖をとる。歩いていれば寒くないけれど、足を止めると急に冷えてくる。こういうシチュエーションを想定しておいて正解だった。
 
  草津まで、たかが6kmがめちゃくちゃ長い。ラストの1、2時間が苦痛なのは登山と同じだ。ずっと真っ直ぐなのでもう地図を見る必要もない。何も考えないようにしてひたすら歩き、草津市内へ。宿へたどり着けることを確信したあとはさらにペースを緩めて17時過ぎに草津の本陣(宿場町の中心地点)に到着。ギリギリ暗くなる前に着くことができた。
 
  初めての東海道ウォーキングの感想は「想像以上に疲れる」だ。過去にも山を20kmほど歩いたことはあったが、舗装路をこんなに歩いたのは生まれて初めて。クローズ直前の観光案内所に立ち寄ると、男性ガイドに話しかけられた。「東海道ですか?」「はい」「きょうは京都から?」「ええ」「どちらまで?」「……東京」。この会話のあと彼の態度が急によそよそしくなった。危険人物と判断されても無理はない。
 
  初日なので夕食は豪華に焼肉屋へ。いかにも若者向けの店でどうかと思ったけれど大成功だった。近江牛のホルモンに舌鼓を打ちつつ明日の計画を考える。全身の筋肉は痛むし、足の指も皮がめくれているからテーピングが必要だろう。明日はどこまで歩けるのか。筋肉痛が悪化して体が悲鳴を上げてしまうかもしれないし、意外と長距離に適応していくのかもしれない。
 
  外出のついでに100円ショップで反射テープやタスキなど、あらゆる種類の交通安全グッズを買っておく。東海道歩きのマストアイテムだ。
 
  †本日の歩行距離=三条→大津→草津27km/通算27km
 
  ●2日目:12月7日(火)@草津(滋賀県草津市)
 
  6時起床。昨日は京都までの移動があったので仕方なかったが、今日からはなるべく早い時間に宿をスタートしなければならない。日没は16時45分ごろ。17時30分くらいまでに次の宿にたどり着けば、なんとか「明るいうち」だ。登山用のヘッドライドも持ってきているものの、夜に歩くのはできるだけ避けたい。単純に危ない上に景観も楽しめない。それに体の回復に割ける時間もなくなってしまう。
 
  カーテンを開けると外は雨。昨日の天気予報は「雪」と出ていたのでホッとする。最低でも2週間はかかる旅だからどこかで雨になるのは避けられない。とはいえまだ体が慣れていない2日目の雨は気が滅入る。筋肉痛はほとんどなし。両足のあちこちに水ぶくれができているけれど、それほどひどい状態ではない。破れないように慎重にテープで巻いて、5本指のインナー靴下でさらに保護する。
 
  6時30分すぎ、オープンしてすぐの朝食会場に入るとすでに10人ほどの職人がメシを食っていた。いまだコロナ禍の影響が収まらないビジネスホテルで見かける客は99%がガテン系である。彼らにならってドカッと食べると、すぐ部屋に戻ってバックパックに防水対策を施す。ウェアや荷物が濡れると士気に関わるので、暴風雨でも問題ないくらい上下カッパでガッチリ固める。
 
  ただ足だけは諦めた。さすがに長靴を携行することはできない。今回の旅での靴は99%の舗装路と1%の石畳や登山道を歩くことを考えて、アシックスの安全スニーカーを採用している。スニーカーは崩壊が心配、登山靴は舗装路で歩きにくそうだと考えた。雨の日の鉄板やタイルの上でも転ばない安全靴の耐滑性には、これ以上ないほど信頼を置いている。でも防水ではないから浸水は避けられない。
 
  8時20分、草津の本陣を出発。しっかり降っているけれど苦痛を感じるレベルではない。ポジティブに考えよう。いつか必ずやってくる天気の崩れがこの程度で良かった。おかげで大雨や雪に遭わなくて済むのだ、たぶん。今日は鈴鹿峠の手前にある宿場町「土山」まで行きたいが、雨だから距離を伸ばすのは難しい。
 
  歩き始めてすぐ雨以上の困難に気づいた。クルマだ。さすが東海道と言うべきか、1.5車線の狭い道なのに交通量は凄まじい。すれ違うごとに立ち止まらないと安全を確保できない。歩くのよりもクルマで疲れる。登山やハイキングでは歩き出して1時間くらいで荷くずれなどをチェックするのがセオリーだ。とくに今日は雨なので予想外の浸水などが起きていないか確認したい。そのためにはベンチと屋根がいる。ところが、いくら歩いても座るどころか立ち止まれる場所すらない。結局、宿を出て2時間ほどでようやく見つけた無人のお堂で休憩。行動パターンまで江戸時代になってきた。
 
  土山にたどり着くのは不可能と判断した。足元も悪いし旧街道にはトイレもコンビニもないからロスが多くなる。用を足す時はいったん国道に出なくてはならない。それに足の状態も悪化してきた。靴下が濡れると乾いているときとは違った摩擦カ所が生まれる。新たな靴擦れが起こりそうでも、保護用のテープを張ったり靴下の交換をしたりできるような場所はないのだ。足のダメージは蓄積するばかりで立て直しができない。苦痛だ。
 
  出発から10kmほどの宿場町「石部」で、ついにトイレ発見! と思ったら茶屋だった。まだ昼ごはんには早いので田楽とコーヒーで休憩することに。目的地の水口まではさらに15kmほどある。足に絆創膏を貼りまくって靴下を履き替えた。このような東海道の旅人のための店が残っているのはありがたい。
 
  『ちゃんと歩ける東海道五十三次』に従って、旧街道で「水口」にアプローチしていく。国道1号線とほぼ並走する道だが、曲がりくねっているので距離はかなり伸びる。つまり旧東海道ウォーキングとは「遠回り」である。グーグルマップで「徒歩1時間」と表示される場所に2時間かけて行くようなものだ。もちろん面倒臭い。とくに今日の「草津-石部」の道は最悪だった。アスファルトは割れて巨大な水たまりができ、ゴミが散乱している場所もあって、旧道の風情もヘチマもない。日本には歩きやすくて景観の良いウォーキングコースはいくらでもある。たとえ親の敵であっても東海道は歩いてほしくない。
 
  15時30分、水口のホテルに到着。土山を断念したため早めのチェックインとなってしまったが、足のケアもしなければならないしウェアも乾かさねばならない。やることはいくらでもある。なにより明日の計画をしっかり立てなければ命に関わる。何時に宿を出れば、明るいうちに鈴鹿峠を通り抜けることができるのか。そして峠越えを含めて40km近くになる「水口-亀山」の移動は体力的に可能なのか? 靴下にドライヤーを当てながら地図で明日のルートを確認して思う。こんな移動ができたら、もはや天狗なのでは? それでも人里に出るには何があっても鈴鹿峠だけは越えなくてはならない。
 
  今日は距離こそ短かったものの、雨と道の悪さでものすごく疲れた。風呂に入ってコンビニ弁当を食べたらすぐベッドに入り英気を養うことにする。
 
  †本日の移動距離=草津→石部→水口24km/通算51km
 
  ●3日目:12月8日(水)@水口(滋賀県甲賀市)
 
  3日目の朝は爽快だった。天気もいいし体の疲れも取れている。早めの投宿と大浴場でのケア、早寝の効果が出た。これなら鈴鹿峠は問題なく越えられるだろう。問題は三重県に入ったあと、宿のとれる亀山市街まで足を伸ばせるかである。水口から亀山まで行くと40kmになる。その間にある宿場町には旅館やホテルはもちろんネットカフェすらなさそう。つまり死ぬ気で亀山を目指すしかない。
 
  6時30分、少しでも行動時間を長く取るため、宿払いしてから朝食会場に行く。バイキング形式の食事をとってそのまま7時スタート。気温は12月とは思えないほど暖かいけれど風が冷たい。体が温まるまでは電熱ベストをONにして歩く。足は昨日の苦痛が嘘のように軽くて、まるで東海道を歩き出した初日のようだ。この健脚ぶりに自分でも驚く。昨日まで「体力的に日本橋にたどり着けるかは五分五分」と考えていたけれど、これなら日数さえかければ確実にゴール可能と言い切れる。
 
  水はけがいいのだろう。安全スニーカーは完全に乾いている。2日間で50km以上歩いても、耐滑ソールは新品のようにツヤツヤしているから恐ろしい。これならハードな石畳でもぶっ壊れる心配はまったくない。むしろ着用者の膝が先に壊れるだろう。
 
  旧東海道に復帰。さっきまで歩いていた歩車分離されたキレイな道をそのまま行けば、トイレや休憩所、コンビニもあって楽しく亀山までいけるのに、わざわざ歩きづらくて何もない旧道を選んで遠回りで亀山を目指す--。この事実に心底ウンザリするが、あまり意識すると気が触れそうなので考えないようにする。
 
  10時過ぎ「土山」に到着。水口もそうだったように、旧街道も宿場町の中だけは歩きやすくて旅情もある。旧家も多くて高度成長以前の日本を見ているようだ。宿場町の中を歩いているときだけは東海道を歩くのもいいなと思う。外に出るとまたひどい道になるんだけど。
 
  道の駅「あいの土山」で早めの昼食をとって鈴鹿峠に向かう。農家のおっさんが「2時間もあれば大丈夫」と言っていたので安心だ。神社の中を通り抜けて歩行者専用の遊歩道を歩いたり(これはすばらしい道だった)、1号線に合流したりしながらじわじわ登っていく。途中で京に向かう旅人に会った。週末を使って分割して東海道踏破を目指しているとのこと。あちらはゴール直前でこちらはスタート直後という違いはあるものの、初めて同じことをやっている人と話せて一瞬、疲れを忘れた。
 
  登山口らしい未舗装の道が見えた。さぁ、いよいよ西の難所・鈴鹿峠だ。休憩を入れてから上着を脱ぎ「汗だく登りモード」にして急坂に取り付く。さすがハードだ、これはハムストリングスにくる! と喘ぎながら登っていたら、山道はすぐに平坦になった。あれっ? 峠は? 見回すと数メートル先にこんな看板がある。「鈴鹿峠 ←滋賀 三重→」。これかよ! なんと、鈴鹿峠は気づかないうちに越えてしまっていた。国道1号線をじわじわ登っているときに、峠と同じ標高を稼いでいたのだ。楽勝すぎる……。とはいうものの下りは急な山道だったから、江戸から来た人は苦労するだろう。
 
  三重県に入った。「坂下」「関」とふたつの宿場町を抜けて、亀山に向かう。坂下はなにもなかったけれど、関は昔の町並みを保存していて見どころが多かった。1日20kmほどのペースなら観光する時間もあっただろうが、こちらは人間をやめる覚悟で亀山を目指している。立ち寄るのはトイレだけだ。
 
  例によって関を抜けてからの6kmが長い。30kmを超えると足の痛みが耐え難くなり、35kmを超えると全身がめきめきと軋み出す。時計を見たいのに腕が上がらない。休憩したいのはやまやまだが、そんなことしてたら夜になってしまう。だいいち座って足を休められるような場所など、どこにもないのだ。激痛にうめきながらも足だけは絶対に止めない。
 
  17時、幽鬼のようにホテルに辿り着いた。フロントにもたれかかると「お名前とご住所を」と用紙とペンを差し出される。えっ、おなまえって? ああ、名前か。じゅ……じゅう、しょ? 住、住所か、住所なんだっけ? 必死で思い出し、ペンを持って書こうとすると、紙にはうっすらインクの跡がつくだけ。もはや握力すら残っていなかった……。
 
  教訓。人間は40kmも歩いてはならない。
 
  †本日の移動距離=水口→土山→坂下→関→亀山39km/通算90km
 
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土山から鈴鹿峠までいい道が続く
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鈴鹿峠から亀山方面を見下ろす