【愛知から静岡】地獄と天国image_maidoya3
東海道は名古屋から南東に舵を切る。知立市から岡崎市、豊橋市へといくつかのアップダウンを越えて目指すは静岡県だ。道中には三河の長閑な風景が広がる。ほとんど国道1号線なので道に迷う心配はゼロ。郊外といっても愛知県は都会だから「宿なし」の心配はないだろう。岡崎の八丁味噌やきしめんなど、どこかで名古屋グルメにもありつけるに違いない。静岡に入るまでは気楽な旅になりそうだ、と余裕を決め込む編集長にまたしても試練が襲いかかる。そして、予期せぬ“ご褒美”も……。来月号「後編」へと続く前編・第三部は7日目から9日目まで。ついに編集長は静岡県に足を踏み入れる。

愛知から静岡
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江戸時代を彷彿とさせる御油の松並木
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40km歩くときはカップ麺がマスト
●7日目:12月12日(日)@池鯉鮒(愛知県知立市)
 
  予定通り、池鯉鮒を8時にスタート。今日は15km先の宿場町「岡崎」を経由して、豊橋市の「吉田」方面に向かって可能な限り距離を伸ばしたい。とはいうものの「池鯉鮒-吉田」は45km超になるので非現実的。吉田の手前に宿があればいいけれど、いくら地図を検索してみてもなさそうだ。ネットカフェが吉田の手前の宿場町「御油」にあるようなので、これを命綱とすることにしよう。コロナで閉店していないことを祈る。
 
  足はだいぶ回復している。ルートインホテルの人工温泉のおかげだ。筋肉は大丈夫。しかし、足の指や甲、足首など靴と当たる部分の痛みはしっかり残っている。頑丈なのはいいとして、安全靴のアッパーやベロはさすがに硬過ぎるのではないかと思う。きのうドラッグストアで9mの包帯を買っておいた。サラシに加えてこれを巻いて痛みをごまかしながら行くつもりだ。いつも通り、歩き始めは元気いっぱいで、40kmくらい歩けそうな気がする。でも必ずどこかで足が痛み出してブレーキがかかるのは間違いない。
 
  足の調子がいいうちにハイペースで距離を稼ぐ。岡崎は見どころが多そうだけど、安全のためにはサクッと通過してしまいたい。昼過ぎまでにできるだけ吉田の近くにアプローチした上で、宿をどこにするか判断しよう。昼飯は何かパッと食ってパッと出られそうな店があればそこで。なければ休憩中にビスコをかじって先を急ごう。特にアクシデントなく8時間行動できれば35km以上は固いが、愛知県は信号が多いので時速4kmを維持するのはかなり厳しい。
 
  三河は景観がいい。どこかの作家が「日本の原風景」と褒めていたのを思い出す。本当にそのとおりだ。同じ愛知県でも尾張と比べてやや素朴でのんびりしている。徳川家康もこの山の景色を見たのか、今川義元はここを通って尾張に攻め入ったのか、といったことをぼんやり思いながら歩いていく。
 
  旅は今日でちょうど1週間。愛知県に入って3日目。都市は信号もクルマも多いのでさっさとおさらばしたいけれど、今日もまだ愛知を抜けられない。愛知を過ぎたら次は静岡県で、これがまた頭を抱えるほど横に長いことを「青春18きっぷ」ユーザーである自分はよく知っている。
 
  10時に岡崎市に入った。11時くらいに本陣を通過できればスケジュール的にかなり余裕が出てくる、と喜んでいると、まいど屋から電話がかかってきた。毎日の安否確認である。歩きながら本日の目的地や現在の状況を伝えて電話を切る。と、何かがおかしい。東海道から外れた気がする。地元のおっさんに道を聞いてなんとか復帰したものの、15分ほどロス。旧東海道は、常に地図でチェックしていないとすぐ道を間違えてしまう。まったく油断ならない。
 
  岡崎の街はスルー。ここで悠長に昼飯を食ったりしていたら宿にたどり着けない。まだどこに泊まるかも決めていないわけだが、前倒しで動いておくに限る。市役所近くのファミリーマートで休憩。ついでに足に包帯をきつめに巻いたら「午後の部」のスタートだ。宿場町「吉田」まではここから30km。到着は夜になってしまうけれど、命を削ってでも歩いてしまいたい。ネットカフェでは疲れが取れないだろうし……。
 
  岡崎から次の宿場町「藤川」に向かう途中に数軒のラブホテルがあった。「この手もあるな」と思う。だが看板を見ると宿泊のチェックインは「20時から」で遅すぎる。それにいくら快適でも心理的なダメージを受けそうだ。
 
  藤川には道の駅があった。名物の「むらさき麦きしめん」を食べて休憩。ここから吉田までは25km。5時間で歩けば19時には着ける。それなら翌日に備えて体を休めることが……。と、考えながら食べる。だんだん旅というよりスポーツみたいになってきた。豊橋の「吉田」まで、全力を使い果たす覚悟をする。「四日市-宮」と比べて、足の痛みはそれほどないから、なんとかなるかもしれない。
 
  とりあえず12km先の「御油」を目指して再スタート。17時前には着けるはず、それから吉田だ! と休憩も入れずにずんずん歩く。しかし、意外と御油が遠い。午後になって足も重くなってきており、午前のようには進めない。次第に足の痛みもひどくなってくる。そのうち地図を見ようとしても腕が上がらなくなってきた。ネットカフェで寝るのも悪くない気がしてきた。ホテルでもどうせ寝るだけなんだし、大した違いはない。
 
  16時半、御油の手前でネットカフェに電話し、フラットルームを予約した。そして17時過ぎに到着。これは英断だろう。仮に歩き続けることができたとしても、吉田まで後3時間はかかる。今日も8時からほとんど休憩らしい休憩もなく、ぶっ通しで歩けるだけ歩いた。これが限界だ。
 
  †本日の移動距離=池鯉鮒→岡崎→藤川→赤坂→御油37km/通算215km
 
  ●8日目:12月13日(月)@御油(愛知県豊川市)
 
  6時15分、夜明け前に御油のネットカフェを発つ。ホテルと違って朝食がないぶん、早めの出発が可能になるのだ。活動時間を増やせば距離も伸びる。もちろんそのぶん体はキツいのだけど、できるだけ早く宿に入って「疲れの負債」をチャラにしてしまいたい。
 
  きょうは愛知県を脱出して浜名湖まで行く。40km近い距離になるが、平坦だから地獄を見ることはないだろう。いや地獄は見るけれど底までは沈まないというか……。とにかく止まらずに、コツコツ進んでいくのが大事だ。ビスコとコーヒーでエネルギーを作りながら、まずは次の宿場町「吉田」に向かう。トラックだらけの国道1号線で進行方向に太陽が昇ってきた。京からの東海道歩きは午前中が眩しい。
 
  8時過ぎ、豊橋市に入った。「御油-吉田」はとんでもなく交通量の多い危険な道だった。道路が歩車分離どころかクルマしか通れないような構造になっていて、生身の人間が通るのはほぼ不可能。クルマ社会の郊外にはこういう道がちらほらあるけれど、ここは極め付きだ。この区間を夜に通ることにならなくてよかった。御油のネットカフェ宿泊は正しかったのだ。
 
  通りがかった魚市場をのぞいてみる。こういう場所は仲買人とかが早朝から飯を食える店があるんだよな、と思ったらやはりあった。市場の喫茶店で、朝なのに「日替わりランチ」の親子丼を食べる。とんでもないライスの量だ。これなら昼をカットして先を急ぐこともできるだろう。
 
  満腹で宿場町「吉田」を突っ切っていく。豊橋を出れば、宿の取れる浜名湖の弁天島まで残り24kmの道のりである。「吉田-二川-白須賀-新居」の間隔はそれぞれ約8km。弁天島は新居から2、3キロほど先にある。3つの8km区間をそれぞれ2時間弱でクリアできれば、17時前に宿に着けるかもしれない。やっと人間らしいスケジュールに復帰できると思うと痛む足も軽くなる。
 
  宿場町「二川」を通過。途中、東海道新幹線と並行する箇所があった。速い、なんて言葉じゃ言い表せないほど速い。どうかしている、こんなテクノロジーがあっていいのか、と思う。新幹線について作家の宮脇俊三は『最長片道切符の旅』で「すこし思い上がっているぞ、と言いたくなるほど速い」と書いている。まったく同意見だ。同時に「1万数千円であれに乗れるって、考えてみればめちゃくちゃ安いよな……」とも思う。
 
  「二川-白須賀」間は1号線をひたすらまっすぐ。あたりに建物はなく、見えるのはキャベツ畑だけ。西から吹く強い風がうれしい。もし、この遮蔽物のない道で向かい風を受け続けたらかなりのストレスだ。そうこうするうちに静岡県に入った。白須賀の本陣はもうすぐ。そして新居まで8kmを片付ければ、宿は目前である。これはいける! コンビニの前でカップ麺を食べて先を急ぐ。
 
  白須賀の小中学校の前を抜けて山道を行く--と、えええッ! と大声を上げてしまった。海だ、ついに太平洋が見えてしまった。静岡の海沿いの道に出れば、とは思っていたが、愛知県を出たばかりのこのタイミングとは。看板には景勝地の「潮見坂」とある。1時間くらい見ていたい素晴らしい景色だ。「御油-豊橋」という最悪の区間を越えてきた甲斐があった。
 
  海が見えると張り合いが出る。次の宿場町「新居」までサクサク進んで、復元された関所を通過。あとは弁天島までひたすら足を動かし続ける。橋は長くて単調。それに、やはりラスト1時間はものすごい疲労と苦痛で命が削られる。コンビニで弁当を買って17時前、宿にチェックイン。今回の旅で初めてのリゾートホテルである。日は沈んでしまったが、なんとかオーシャンビューの和室から夕焼けを眺めることができた。
 
  温泉もある。浜名湖を眺めながら、久々に時間を気にせずゆっくりお湯に浸かった。この3日間、1日35km超の異常なペースで歩いてきたので、さすがに全身にガタがきている。足の裏や関節の痛みもひどい。しかし、ダメージだらけの体で入る温泉は最高である。三条大橋を発ってから8日間の疲れは、浜名湖の中に溶けていった。
 
  †本日の移動距離=御油→吉田→二川→白須賀→新居39km/通算254km
 
  ●9日目:12月14日(火)@新居(静岡県浜松市)
 
  朝食は7時。これまでの宿でいちばんおいしかった。温泉と食事の満足感に浸りながら、今日の計画を練る。次の宿場町「舞坂」はもう目前。次が12km先の「浜松」で、そこから12km先に「見附」、さらに9km進むと「袋井」である。磐田市の見附で泊まると30kmに満たずやや物足りない。かといって袋井までいくと35km超になってしまう。35km超などこれまでに何度もこなしていて、じゅうぶん可能なことはわかっている。が、何度やろうが辛いものは辛いのである。とは言いつつ「もう覚悟を決めて袋井まで行っちゃえ!」との悪魔の囁きも聞こえる。
 
  舞浜で脇本陣を見学。道中の殿様なんかが本陣に入りきらなかった場合、ここを使ってたらしい。京都や滋賀では、ほとんど入って見るような建物はなかったが、江戸に近づくにつれてだんだん充実してくる。東海道の観光施設は圧倒的に「東高西低」である。舞坂の本陣に近づくと東海道らしい松林が出現。テンションが上がる。
 
  休憩所で旅人のじいさんに会った。お互い『ちゃんと歩ける東海道』を携えているので話が早い。「どちらまで?」と聞くと「豊橋(吉田)まで」とのこと。え、マジ? 遠いっすよ、という顔をすると、こう返ってきた。「いや、私は考えました。この歳でぜんぶ歩くのは無理。もう“籠”を使って行きます」「籠って……、タクシーですか?」「いえ、路線バスです。ここは何もないな、と思ったらどんどんバスで飛ばしていくんです」。
 
  この人はこれまで出会った中で一番クレバーな旅人だった。たしかに東海道には歩く価値のある場所はたくさんある。しかしながらその反対に、見るべきものが何もない区間、交通量が多くて危険な区間、信号や迂回路が面倒臭い区間が掃いて捨てるほどあるのだ。東海道は地元民がよく使う道だからバス停だらけで、乗り降りには不自由しない。いままで東海道の文句ばかり言っていたが、こういう攻め方があったのか。まさに年の功である。東海道を歩きたい人に声を大にしていっておきたい。ぜんぶ歩き通す必要はない。単に体力的にハードなだけでなく危険である。路線バスを上手に使って人間らしい旅をしましょう!
 
  とはいえこちらは今日も歩き通しだ。死にそうになるのにもだんだん慣れてきた。「今日は30kmぐらいでやめておくか、いや40kmいけるかな」といった、常軌を逸した独り言が飛び出す。これまでの経験から言えるのは「35km以上は別物」ということ。35kmまでは痛いキツいで済むけれど、それ以上はガリガリと命が削がれる。絶対にやめるべきだ。体だけでなく頭にも障害が出てくる。とはいうものの、どんなに調節しても40km程度の「宿無し区間」は必ず出てくるから、結論としては、そもそも「東海道を一発で歩くのはやめろ」という話になる。
 
  歩きながら明日の計画を練る。袋井より先は掛川か島田にしか宿はなくて、「見附-島田」を歩くと40km超になってしまうから……。きょう楽をして明日、ガッツリと「死の行軍」をやるか。それとも今日「新居-袋井」明日「袋井-島田」と、35km前後でコンスタントに命を削っていくか。こう考えるとやはり今日、袋井まで行くしかないことがはっきりした。苦しいのが仕方ないなら、なるべく人道的な範疇に留めたい。昨夜、温泉に浸かりながら「明日は絶対に楽なプランにしよう。さすがに身が持たない」と言っていたのに、結局こうなるのか……。
 
  浜松の市街地を通過。袋井まで行くとなるとメシを食っているヒマはない。見附までは先を急ぐ。午後3時を過ぎると必ずヘロヘロになってくるから、元気なうちに距離を伸ばす必要がある。「見附-袋井」は12 km で3時間はかかるから15時より前に磐井をスタートするようにしたい。旅行記なのに小学生の「旅人算」よろしく距離と時間の話ばかりしている。情緒もヘチマもなくて我ながら悲しい。
 
  天竜川をめちゃくちゃ長い橋で渡って磐田市の「見附」へ。14時を過ぎたあたりで太ももの痛みが耐え難くなる。だんだん足を使い切る時刻が早まってきている。それでも明日の「死の行軍」を避けるためには、ぜったいに足を止めるわけにはいかない。ふと思う。これは一体どういう旅なんだ?
 
  やばい。見附を15時前に通過できなかった。このままでは袋井に着くのが18時以降になってしまう。こうなったら昼飯をコンビニのイートインにして短縮しよう。ローソンで焼きうどんを15分で食べる。ここから3時間で袋井まで行きたい。暗くなってしまったら止まってもいいけれど、明るいうちは休憩はお預けだ。写真も撮らず、前に進むことだけ考える。
 
  日没前に「江戸の道」と呼ばれる暗い石畳の道をクリアし、なんと17時半にホテル到着。ボロボロの足で時速5kmは驚異的である。きょうも雑巾を絞りに絞って絞りまくるような全力ウォーキングだった。もうコンビニまで出かける気力もないので、弁当を買ってから宿にチェックイン。明日も30km超の山越えが待っている。
 
  †本日の移動距離=新居→舞坂→浜松→見附→袋井36km/通算290km
 
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白須賀の潮見坂で初めて海が見えた
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舞坂の街並みは旅情たっぷり